緑風は刃のごとく 83
貘馬木梦須は、今夜も劉輝達の茶会に参加しようと王宮を訪れていた。今日は野暮用が長引き、いつもの時間は過ぎてしまっている。まあ、茶会がお開きになるのはだいたい空が白みはじめる頃、それを思えば時間はまだまだ充分あった。それに、野暮用は何も悪いことばかりではなかった。
そんなこんなで機嫌よく、鼻歌交じりにふらついていると、艶やかで甘い音色が何処かから聞こえてくるのに気がついた。


「こりゃ、二胡かねー。かなりの腕前ときた、楽師でも呼んだかなァ」


その時梦須は、すっかりと失念していた。数月前、同じように二胡の音に導かれ、結果散々な目に遭ったことを。

どこかできいた覚えのある、龍笛の音を気にも留めず、梦須はただただその旋律に誘われて、口笛を吹いていた。

思い出すのは、愛しい妻と初めて出会った日。幼い彼女は後宮入りして日も浅く、場に馴染めぬその辛さを誰にも打ち明けることができず一人、頬を濡らしていた。その姿があまりにいじらしく儚げで頼りなく美しくて、気まぐれを起こした梦須は慰めに涙を拭ってやった。
その手を、あろうことか彼女は手酷く打ち付け払った。こんな姿を見るなと先ほどよりも声をあげて大泣きしはじめた彼女は、先ほどまでの嫋やかさはどこへやったのか、梦須に頭突きや蹴りをお見舞いしてきた。とんだじゃじゃ馬だった。

それから疾るように過ぎていった毎日。後宮への抜け道を通って、たまに訪れては彼女の話し相手になって。はじめは彼女の話をきくだけだったのが、次第に自分の話もすることが増えて。

恋が始まったのは、きっと彼女が女性であることを意識した日で。催事のために粧し込んだ彼女は可愛らしく、梦須の名を呼ぶ、紅をのせた唇につい目がいってしまって。からかおうとしていた自分は空回り、うっかり素直に褒めていて、それに対して彼女も恥ずかしそうに顔を赤くして一言二言しかいわないものだから、あとで羞恥に悶える羽目になった。

今も、梦須は思い出して恥ずかしさに転げそうになりながら、それでもそんなこそばゆい恥ずかしさが幸せで頬をだらしなく緩ませる。
その表情が凍るのは一瞬だった。


「あーっ! やっぱり! 口笛の上手い人!」


きいたことのある声だった。ぎぎぎ、とぎこちない動きで声のした方を見れば、ついこの間、再会するしないで梦須と賭けをした少女がいた。彼女の手には、二胡。あの演奏で気付くべきだったのだ。梦須は自分の考えなしな行動を呪った。
しかし、悲劇はこれだけではなかった。


「久しいな」


冬の凍った池に飛び込んだような感覚が肌をさす。その低く重い声に、梦須は意識を飛ばしたくなる。とはいえ、彼の前で気を失ったが最期、生きて家族のもとに帰れる気がしないのも確かであった。


「元気にしてる、みてぇだなァ?」


全然嬉しくないなあと思いながら、梦須は声の主を見た。今をときめく御史台長官、元部下の現上司な葵皇毅であった。
梦須にとっては羨ましいことに、記憶の中の彼よりも随分と背が伸びていた。彼といえば、龍笛を手にしている。よほどのことでもないと、彼がこれを奏でることはなかったような気もするのだが、これも月日のなせる変化であろうか。


「皮肉か? お前は…変わっていないな。気味が悪い」


ふん、と ひとを冷たくあしらうように、鼻をならす癖は変わっていないようで、ハァヤレヤレと梦須はわざとらしく肩をすくめた。それから、彼に背を向け秀麗嬢へと向き合う。先に、厄介ごとの塊な彼女との用件を済ますことにした。


「賭けは俺の敗け。あぁ、怖え怖ぇ。さぁて、そんじゃ自己紹介といきますか。
俺の名前は貘馬木梦須。可愛い妻と娘と仲睦まじくひっそり静かに暮らしてる幸せ者だ。できれば俺と関わらんでくれ」

「ええ!?」


関わらないでくれ宣言に、秀麗嬢が驚愕の色をその顔に浮かべ叫ぶ。梦須の方こそ「ええ!?」と言いたい。彼女と関わるということは、平穏が奪われるということであるのを、彼女は自覚持つべきだろう。

そういう梦須は、己が『貘馬木梦須』である限り、平穏なんてものとは縁遠いということをわかっていなかった。しかも、彼は大抵巻き込む側。巻き込まれる場合にだけ文句をこうして垂れていることを、いつ何時も梦須に巻き込まれてきた元部下が知れば皮肉の一つや二つは言ったことだろう。

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空中三回転半宙返り土下座
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