緑風は刃のごとく 81
夕刻、父へのいつもの差し入れを手に獄舎を訪れた蘇芳は、心当たりのない『午間の付け届け』の件をきいて、遂に考えていたことが起こったのかと思った。口封じ、蜥蜴の尻尾切り。そんな言葉が頭を巡る。可能性はあったし、覚悟はしていた。けれど、この目でそれを確認するのは並ならぬことだった。

さてこれから、父親の姿を確認しに行くかと蘇芳が考えた時だった。


「あれっ、こんなところで奇遇だねー、たんたん君」


どこかできいた声だった。振り返れば、人懐こい笑みを浮かべた男がいた。あれだ、長官に直談判しに行った時に長官の横にいた、そして秀麗とも知り合いだとかいう男だ。名は、棚夏櫂兎といったか。


(何でここにいるのこの人)


こんな場所に用があると思えない彼は、獄吏と少し言葉を交わしたかと思うと蘇芳の横に立った。得体の知れない恐怖に、獄舎の扉が開いたなり逃げるようにすぐ踏み入る。
蝋燭揺れる薄暗い廊下をスタスタと歩いていた蘇芳は、ふと自分以外の足音が後ろから聞こえるのに気がついた。おそるおそる振り返ると、蝋燭の光に照らされどこか不気味な雰囲気を漂わせた櫂兎が笑顔でそこにいた。


「怖ッ! 怖ッ、何でここにいんのこの人!」


思わず蘇芳が叫ぶも、櫂兎は笑顔のままだ。


「奇遇だねえたんたん君。ちょうど俺も榛淵西氏と面会にきたところだったんだ」


そんな偶然あってたまるか!
心の中で叫びながら、彼の目的が蘇芳の父親であることに眉根を寄せる。一体、何のつもりだ。塩の賃仕事の件であったって、秀麗がこれから来るとどこか確信しているようなところがある。彼女には、まだそんな余裕もなさそうで、そもそも何をきっかけに今蘇芳が賃仕事をしている店を訪れることになるのかは謎だ。
まさか、全て彼の手のひらの上ということだろうか。それとも、彼女の家の調味料事情が櫂兎には筒抜けだということだろうか。どっちにしてもろくなことではない。
櫂兎は沈黙を守ったまま、蘇芳についてきた。父親の牢に着いた蘇芳は、また驚きに包まれる。父親は、生きていた。

唖然としている蘇芳を横目に、その場に座った櫂兎は淵西へ自己紹介を済ませ、王宮の桜が綺麗に咲き出しただとか梅は散り際だとか、とりとめもない世間話を和気藹々と談笑しだす。
すっかりと櫂兎のペースに巻き込まれながら、楽しそうにしている父親に蘇芳は一つため息をついた。それから、彼の目の前にある、牢に似つかわない立派な重箱に気付く。


「それ――」

「ああ、これな、あやしいから食べなかったぞ。いつもの竹の葉の包みじゃなかったし、お前より綺麗な三角のおにぎりだし、煮物なんか人参が花の形してたし。何よりいつも夕方にお前が直に届けてくれたのに、いきなり午に豪華な重箱にはいってるのって、おかしいじゃないか」


そういって広げられた重箱は、中の彩りも見事なものであった。驚く蘇芳に、何故か櫂兎が喜び誇るようにふふんと鼻で笑った。


「これはお前に聞いてから食べようと思って、待ってたんだ。というか、実は一緒に食べたいと思って待っていたというのが本音でな。一人には量が多いし、小皿と箸は三人分入っていたし」


三人分。ぎぎぎとぎこちない動きで櫂兎を見ると、まるでこうなることがわかっていたかのように小皿と箸を淵西から受け取り、ついでに蘇芳にも渡してくる。


「あのー、それ、多分毒入りかと思うんだけど」

「ああ、午の付け届けは毒入りだったみたいだね。それはもう回収しているよ。これは俺が作ってすり替えた分、美味しさは保証するよ」


唖然とする蘇芳と事態を理解していない淵西の前で、櫂兎はそれを証明するように一口大の饅頭らしきものを小皿にとってかぶりついた。


「うん、冷めたら冷めたで美味しいな」


味わい満足そうに言う櫂兎に、もう考えることは諦めた蘇芳は、秀麗から受け取っていたおにぎりを広げ、自分も重箱の中身をつつき始めるのだった。







「で、このことは」

「長官殿も『付け届け』に関してはご存知だね。でも、その出処の調査に乗り気みたいで、まだ具体的に淵西さんの身柄をどうするかは決まってないみたいだよ。
たんたん君には取引材料、もとい切り札があるんだから、長官殿には強気でお父様の身柄の安全確保を持ちかければいいと思うよ。ついでにザル警備なのもからかったりね」


あの長官をからかうという単語が出てくることに、蘇芳は戦慄する。


「今日もまだ、遅くまで残っているようだし、今からいってもいいと思うよ」


櫂兎は御史台の方向を見ながら呟き、蘇芳の肩を叩いた。


「ま、頑張ってね」

「……あのさ、あの代わりの重箱ってどこから出したわけ?」

「あれは俺のおひるごはんでーす」

「三人分なのに?」

「俺は育ち盛りだから」


明らかに嘘だが、櫂兎の笑顔がそれ以上きくことを許さない。取り敢えず、事前の回収について感謝の念を伝えれば、櫂兎は、元々毒であっても食べなかっただろうとどこか複雑そうな顔で言った。
見慣れぬ料理が幾つかあったが、どれも美味しかったことを告げれば、嬉しそうにしていた。これが正解だったらしい。


「たんたん君もそのうち、綺麗に三角形のおにぎり作れるようになるよ」


別れ際、彼はそう言った。――いつ、自分がおにぎりに苦戦していると知ったのか。蘇芳は、櫂兎の得体の知れなさに、どこか面倒ごとの予感を覚えた。

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