室を出たところで、劉輝は庭を挟んだ回廊に珠翠の姿を見付けた。声をかけようとして、その隣にいた人物に息ををとめる。
「珠翠への客とは、櫂兎だったのか……?」
「まあ。劉輝様のお知り合いなんですか、あの男」
少し低い声で、そんなことを言った奈津はひょっこり室から顔を出す。不機嫌そうな顔をして櫂兎をみつめていた奈津だったが、劉輝をちらとみて、ハッとした風に目を見開いて、小声で問いかける。
「……もしや、夜のお相手で?」
「違う、違うぞ! 話し相手だ、話し相手」
「それは失礼しました」
奈津はおほほと口をおさえて澄まし笑った。その目が鋭く細められる。
「不定期に後宮に出入りしているようなのですが、藍将軍のような噂は全くなく、珠翠も気にしなくていいというのです。あの者は、何者なんですか?」
「……」
劉輝は言葉に詰まる。
話し相手? 絳攸の元付き人? そういったことを問われているのではない。なら、彼は何者?
……彼自身のことを、答えられない。何故朝廷三師と親しいのかだとか、彼の意外な人脈だとか。理由を知らないことばかりが、たくさん、ある。
(知らなくて、困らなかったから。今まで気にしたこともなかった…いざ問われると、気になるな)
それは華蓮の件に少し似ている。
そっと床に視線をおとし、劉輝がまた思考に意識を沈めようとしていたとき、奈津が急に小さく悲鳴を上げた。
「ど、どうした」
奈津は、ただ驚いているように、口に手をあて何も言わず、震える手で視線の先ーー櫂兎と珠翠のいる方向ーーを指差した。劉輝も顔を上げ、そちらを見ては目を見開いた。
そこでは、櫂兎が珠翠を後ろから抱きしめるようにして、二人で一つの薄手の布を羽織っていた。二人とも幸せを噛みしめるような笑顔で、和気あいあいと何かを話している。あれではまるでーー
(まるで、恋人……)
ぽかんとして、劉輝は奈津と共にその場で固まった。
劉輝達が暫く二人にくぎづけになっていると、ふと、櫂兎の目がこちらを向いた。反射的に視線を逸らすものの、ばっちりと気付かれてしまったらしい。
櫂兎は、名残惜しそうにそっと珠翠から離れると、劉輝に向かって一礼し、こちらへ近付いてきた。劉輝はおろおろとして奈津の方をみるが、奈津は首を横にぶんぶん振っている。あれでは髪も乱れてしまうのではなかろうか。
と、そんなことを考えている場合ではない。一体どうすればーー
「こんにちは、陛下。何か珠翠に、もしくは私にご用ですか?」
その言葉に答えることなく、劉輝はその場を逃げるように駆け出した。後ろで己が名を呼ぶのをききながらも、劉輝は、振り返りはしなかった。
△Menu ▼
bkm