緑風は刃のごとく 56
「三人目は藍家のお坊っちゃまで、当時彼は後宮に忍び込んでは、女官たちを、その…誘惑なさっていたみたいで」

「……」


何処かでそんな奴のことをきいたことがある気がする。今はお坊ちゃま、なんて名称は似合わないが、自分のよく見知った人物のような。


「楸瑛、か?」

「ええ、こちらによくいらっしゃっていたのは、四男様のはずですから」

「……昔からああだったのか」


気のせいならよかったのに。彼との噂があるくらいなら、自分との噂だってあってもいいはずなのに。

子供じみた、独占欲に似たその感情に、劉輝は胸がきゅっとした。


「その、四男様ですが、あまりに目に余る行動だったものですから、華蓮様が一喝なさって。
そんな姿に一目惚れしたのか、はじめはただの好奇心だったのか。そればかりは分かりかねますが、ともかく。いつからか、好いてしまったのでしょうね。気付けば華蓮様のもとへ毎日愛を囁きにいらっしゃるようになって」

「……ッ、華蓮の方は」


わなわな、と拳を震わせ肩を揺らす劉輝に、奈津は微笑み告げる。


「迷惑がってらっしゃいました」


途端ぐっと腕を突き上げた劉輝に、奈津は失笑する。


「華蓮様とお知り合いだったのですね。…失礼ながら、その、劉輝様は華蓮様のことがお好きだったのですか?」

「……ああ。好きだった。今だって」


好きだ、と言おうとして、口ごもる。口からでていくことのできない「好きだ」「愛している」
そんな言葉ばかりが、心で、頭で、反芻されている。

だが、多分、きっと、自分が思っている『好き』とは、違うのだ。華蓮に、違うと、言われてしまったから。

それは恋ではないと、言われてしまったから。


「素敵な方ですからね。真っ直ぐで、その優しさ故に厳しくて、でも、あたたかくて。大好きです」

「ああ」


何故か、胸が痛んだ。


「そう、四男様といえば」


ぽん、と奈津は手をたたいた。


「彼と華蓮様、そして後宮にまつわる話をひとつ、させていただきますね。
これは私の失敗談でもあるのですが。四男様という悪い虫に華蓮様がお困りになっていたときのことです」


懐かしむように、奈津は目を細めた。


「その頃の私は、お困りになられている華蓮様のお力になりたいと思うばかりで。そんなときに、唐辛子に虫除け効果があると耳に入れたものですから」


唐辛子の虫除け効果は、自分もきいたことがあったので頷く。確か、それは櫂兎からきいたのだったか。秀麗に大量に贈ったことが懐かしい。


「てっきり、その虫除けというのは人にも有効な、仙術呪術のような力を発揮してくれるものだと思って、女官達に協力を仰ぎ、後宮内に唐辛子を吊るしたのです。しかし、悪い虫のはずの四男様にはどうにも効果がありませんでした。

私たちは少しでも華蓮様のお力になりたかったものですから、それはもう、女官達皆で落ち込んで。……その時は、何もできなかったようなものだったのですけれど。

華蓮様が後宮を去られる時。当時いた女官達皆で、ひと針ずつ縫った唐辛子模様の手ぬぐいを贈りました。私達からの形ある贈り物というと、きっとあれが初めてで…そう、最初で最後のものでした。

華蓮様はとても喜んで下さって。ああ、今でもはっきりと、おぼえています。とても嬉しくて、ほっとして。
華蓮様は唐辛子模様に、少し呆れてもいらっしゃいましたが、冷たさはなくて。その目はどこまでも、穏やかで、柔らかで、綺麗でした」


奈津は、どこか切なそうな、そして嬉しそうな笑みを浮かべる。


「……優しい、方です。私達は、そんな華蓮様が大好きだったのです。
だから、最後の贈り物に、皆で唐辛子を縫いました。他の誰のものにもなって欲しくなかったんですよ。

……幸せになって欲しいと、恋の応援だってすることもあったのに。不思議ですよね」


優しい目で、遠い日をみつめながら、奈津はくすりと笑った。

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