心は藍よりも深く 09
「盗み聴きとは…趣味が悪くなりましたね、櫂兎」


執務室から出てきた悠舜は、扉にもたれかかっている櫂兎を見つけるなりそう言った。


「さて、何のことだか」

「嘘おっしゃい」


悠舜はぺし、と軽く櫂兎の頭をはたいた。櫂兎が、笑いたそうで怒っているような、それでいて泣きそうな不思議な表情になる。


「…本当は、尚書令にはなって欲しくない」

「おや、盗み聴きではなかったんじゃないんですか」

「偶然きこえてきた分だから盗聴じゃねえよ」


櫂兎はぷいとそっぽを向いた。


「身体のこと考えたら今すぐ官吏やめて空気も水も綺麗など田舎に隠居しろって言いたいんだよ」


言いたいも何も、既に言ってしまっている。


「なら、櫂兎が代わりになってくれますか?」

「……冗談はやめてくれよ」


櫂兎は眉を寄せた。悠舜は小さく笑う


「あながち、冗談でもないんですけれど。ふふ、心配はとても嬉しいですよ、櫂兎。でも、私の中で答えは決まっていますから」

「……そっか」


そして二人とも黙り込む。長いようで短い沈黙ののち、櫂兎はまた口を開いた


「――本当は、尚書令になって欲しい」

「どっちが本当なんですか」


呆れた風にいう悠舜に櫂兎はさてねと白々しく返した。


「……願いは叶えられるだろうが、自由に空を飛べる日は二度とない」


ぽつり、と櫂兎は呟いた。


「……人間は、空を飛べませんよ」


しかし櫂兎の言ったことの意味を、悠舜は誰よりも理解していた。


「予言めいたことを言いますね」

「……前にもいったけど、縹家じゃないぞ」


じぃ、とみつめられ気まずそうになりながら櫂兎は言った。


「ええ、賭け碁のときにききましたからね」

「……そういえば賭け碁の俺の賞品、今でも有効だよな」


それは櫂兎が保留にしていた、勝った側が負けた側のいうことを一つ聞くというもの。当時の結果は持碁で引き分け、お互いにききあう話になっていた。


「はい、鳥になることでも、尚書令になることでも、何でも申し付けてください」

「鳥には流石になれないだろ…」


できる範囲でします、とこたえた悠舜に櫂兎は苦笑いした。じゃあ、と言い掛けて、口にすることを迷った風に止まる。それから、目線を彷徨わせ、少し照れ臭そうに言った。


「いざという時には俺を頼れ」


悠舜は、まさかそう言われるとは露ほども思っておらず――実を言うならばどんな無理難題を言われることかと冷や冷やしていた――完全に予想外だったように面食らった顔をする。


「ずるいですねぇ、櫂兎は」


賭け碁の賞品で、それを言うなんて。本当に、ずるい。


「…何て顔してんだよ」

「誰のせいですか」


そう悠舜が言葉返すと、バツの悪そうな顔をした。また二人とも黙り込むのが続き、今度は悠舜がその沈黙を破る。


「櫂兎は、陛下も大事なんですね」


櫂兎は激しく動揺したようで不自然に一回転してバク転し、運動能力の高さを見せつけたかと思えば奇怪な動き――手足を不規則にくねらせたりタップを踏んだり――をした。悠舜は友人が何か悪い病気にでもかかったのではないかと心配になった。急にガクン、と動きを止めた櫂兎はギギギと調子の悪いからくり人形のような動きで悠舜をみる。


「……な、何で分かっちゃうかな」

「櫂兎が言った『尚書令になってほしい』、の理由を考えてみた結果です。
大切なのが国の線もありましたけど、さっきの様子からしてこっちで当たりでしょう」


意地悪い、まるで普段の逆襲であるかのような楽しそうな笑顔で悠舜は言い切った。



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空中三回転半宙返り土下座
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