「ああ、ところで全部終わったら英姫さんのところに行く、ってのは行ったの?」
「うっ……」
明らかに顔顰めた霄太師に櫂兎はにやにやと笑う。こんなに彼が英姫に弱いとは知らなかったのだ。いつもは食えん狸も、今はからかい甲斐のある奴である。
「英姫さんは平手を何度も打つに金五百」
「……行くの、やめたいな」
霄太師はそう言って憂鬱に顔染めた。
「話があるんだろーが。そのために態々ここまで来てるってのに、いかずにどうするんだよ」
「……この前訪れたとき、かなりの覚悟して行ったんだぞ、なのに話は後で聞くだなんて」
「そりゃあ、聞いてもらう身だし?」
「……絶対平手されるに金千両」
「賭けになんねぇじゃん」
あははと笑った櫂兎を霄太師は睨んだ。
「他人事だと思って」
「だって自業自得、因果応報ってやつだろ?」
「…………ああ」
静かに瞠目した霄太師に、櫂兎の漏らした小さな声が届くことはなかった。
「
でもその辛さには、少し同情する」
仕事も全て一段落し、久々に邸へと戻った凛は、見えない顔に眉根を下げた。
(そうか……季節はもう秋だ、彼は帰ってしまったというわけか)
彼の借りると言っていた馬はかえってきており、置き手紙には貸しにそぐわない返済金が積まれていた。
「……飛馳をそれだけ高く評価してくれた、というわけかな?」
それならば見所ある彼らしい、ただ金を積むだけの連中とは毛並みも違うわけだ。余計に、嫌がらせにも似た彼を試す自分の所業に、少し自己嫌悪した。
「よー、凛。帰って来た頃だろ」
聞き慣れた声に振り返った凛は、見たものに唖然とする。
「……あの、弟の顔でそういうことはやめてもらえないか」
「おう、家人さんも混乱してたしな」
弟の顔をしながら、女装中の貘馬木梦須は、女の身からしても惚れ惚れするくらいに化粧を綺麗に施し、服もばっちり着こなしていた。
「親しいやつら以外は絶対凛と間違えるな。また彰にやらせてみよー」
「……やめてくれ」
弟はやけにこの人に弱い。まあこの人相手で強い人なんていないとは思うが。凛はどちらかというと苦手であり、彼に尊敬の念を抱く弟の気がしれなかった。
「それより凛は危機感持つべきだぞー。家人さんが俺を彰だって見破ったとき、何て言ったと思う?」
「……何です」
「『凛様がそんなご格好なさるなんて…いえ、貴方は彰様ですね』」
言われた言葉を、ばっちり声まで再現してみせた貘馬木に、凛は心中穏やかでなく、しかし表向きは綺麗に笑ってみせた。
「その声…燐果か」
それから暫くの空白の後、凛は問いかけた。
「ねえ、梦須。もしかしなくとも弟が女装する方が、私が女らしく着飾ることよりあり得ると思われてるのかな」
「うん」
ガックリと肩落とした凛を、貘馬木はぽんぽんと肩たたいた。
△Menu ▼
bkm