春姫が茶家の見取り図をかき終えたのは、日もかなり高く昇った頃だった。彼女はかき終えた後、よろよろと床に崩れ、半ば気絶するように眠った。
彼女のかき上げた図をみたその場の誰もが感心した声をあげるのを横目に、彰は廊下へ出て、冷たい空気を吸って、深く息を吐く。
「なー彰」
「わっ!」
思わず驚きの声あげ振り向いた彰に、声を掛けたであろう、見たことのない優男は、しーっ、と静かにするよう仕草をする。
「ふぅ……幸い、中の室のやつは気付かなかったみたいだな、よかったよかった」
「……梦須でしたか」
「あったりー」
いぇーい、と意地の悪い笑みを浮かべた彼に、彰は溜息つく。
「知らない人間の顔をしていれば、驚くのも無理ないでしょう。今度は誰なんです」
「あ? ……あー、いや、これは仕事じゃなく、元部下の顔だよ。お前の姉君の客だって言った方が分かりやすいかぁ?」
「………………何なんですか、その偶然」
うんうん、と貘馬木も大袈裟にそれに頷いた。
「だよなぁ、元部下がまさかお前の姉君の客だなんて貘馬木さんびっくり」
「この顔の人間が、あの隠し花菖蒲の権利者なんですか……まだ若いじゃないですか」
「少なくとも三十路は越してるはず、俺の勘じゃ四十後半かな」
「………………」
彰は、生まれて初めて彼の勘を信じなかった。
「……っていうか、如何して梦須がその顔の人物になってるんです」
「貸しを作ったから勝手に借りた」
「……」
要するに気紛れか。しかし、そうさせる何かが、その人物にあるのも確かなんだろう。貘馬木が
物事の中心に近付くのは、彼が官吏辞めて以来ずっとないことだった。それが、今起きている。
そんな頭の中を見透かしたのか、貘馬木は苦虫噛み潰すような顔をする。
「何もする気はないっての、今回のも元部下の代わりに馬返すののついでに盗み聴きしてただけ、期待すんな。俺がいたらすぐ頼りたがんだから、困ったちゃんめ」
それからぐしゃぐしゃと彰の頭を撫でた貘馬木は口元を綻ばせる。
「彰は俺居なくてもちゃーんとできてる、今回も上手くいくから安心してお前はやることやってればいーの」
そうしてぽん、と貘馬木は背を叩いた。
「で、本題なんだけど」
目の前に立った男は、もう見知らぬ優男の顔ではなかった。
「茶家本邸の見取り図を見たいので、コレは少しお借りしますね」
目の前の『自分』は、そうして彰の眼鏡を取り上げた。
思う存分茶邸見取り図をみたらしい貘馬木は、また彰の頭を撫でた後るんるんと帰っていった。眼鏡を受け取った彰は乱された髪を少し気にしながら、疲れた顔で室に戻る。
「そういえば馬の数が増えたような…」
「気のせいです」
影月の呟きに、眼鏡を直して彰は即答した。
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bkm