「はじまったようだの」
誰もいなくなった菊の邸。その奥の室に霄太師はいた。
「久しぶりの里帰りじゃろ」
呟いて小箱を開けると、一人の青年がふわりと姿を現した。かつてこの邸の主であった茶鴛洵は、帰郷を懐かしみもしなかった。その鋭く秀でた顔が厳しさを増す。
「朔洵が……動き出したか。たった十五で“殺刃賊”を掌で弄んだ男……」
「お前や英姫にさえ、ぎりぎりまで気付かせなかったとは、いっそ見事よの。あの貘馬木も確証無しの勘で動いとったしな」
まーその勘もやけに当たるんじゃけども、と霄太師は言った。
「朔洵のあの才――うまく育てさせすれば、私など遥かに超える官になれたものを」
「はは、そりゃ無理じゃ」
「……なんだと?」
笑い飛ばされて、鴛洵はびくりと眉を動かし言った。それににやにやと笑いながら霄太師は言う。
「朔洵ごときにお前を凌ぐことはできん。あやつには決定的に欠けているものがある。その可能性を持つものは朔ではない。わかっておろう?」
「……だが、あれは優しすぎる」
「馬鹿じゃのう。そういうところはお前とて全然負けておらんわ。お前櫂兎に『鴛洵優し〜』など言われて照れとったではないか」
それに鴛洵は狼狽えた。
「ば、馬鹿、別にそれは言葉を認めたわけじゃないぞ。というか櫂兎は何処だ? 一緒にくるのではなかったのか?」
「二人で一緒にきて一緒に飯食ってさっきわかれてきたぞ」
「私も混ぜろ」
「もう遅い」
悔しそうに鴛洵が顔を顰めたところで、霄太師はさて、と指輪を見た。
「これの行き先は? 英姫か、新州牧たちか、それとも鄭悠舜のところかの? おお、櫂兎もありじゃぞ」
鴛洵は、悪友の耳元へすいと身を寄せ、囁くように行き先を告げた。
(想いは遥かなる茶都へ・終)
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