金華に着いた秀麗は、茶州一の商都であるというのに活気のない街に眉根を寄せた。
(少し経てば分かると若様は言っていたけれど……)
人通りが多いのに活気がない。どこからどこまでも不自然そのものだった。
それから用事済ませた後に「菊の邸」まで二胡と甘露茶を受け取りに行く約束をする
「邸に来てくれた時に、甘露茶淹れてくれてもいいんだよ」
「淹れません」
「じゃあ私が淹れたのは飲んでくれるかい?」
秀麗は目を見開いた。あの自分のことさえほぼ人任せな若様、琳千夜が他人に茶を淹れるというのだ。
「……お茶、ちゃんと淹れられるんですか?」
「甘露茶なら、一度だけ淹れたことがあるよ」
「……何だか不安だからお断りします」
「それは酷い言い草だね」
少しムッとして千夜が言うのに秀麗は苦笑いする。
「だって沓を履かせてくれっていうような若様が淹れるお茶ですよ、お腹壊しそうなんですもの。
だいたい前はいつ淹れたんですか?」
「んー、かれこれ十四年ほど前かなぁ」
「昔じゃないですかっ!その頃私まだ二、三歳ですよっ!」
「……そっか、随分経ったんだね」
千夜はそう言って目を細めた。
「一体どんな成り行きで若様が甘露茶淹れる羽目になったのやら…」
「さあ……どうだったか忘れてしまったよ。いれたことだけは覚えてるんだけど、随分と前の話だしね」
そうして千夜は眉を少し下げて微笑んだ。
「まぁ、私は菊の邸にいるから甘露茶が飲みたくなったら来て、淹れてあげるよ。その代わりに香鈴にも甘露茶を淹れてもらうけれどね」
「……二胡と茶葉だけ受け取りに行きますね」
「……釣れないな」
少し眉根を寄せてから、千夜はにっこり微笑んだ。
「待っているよ」
それが、秀麗の最後にみた『千夜』の姿だった。
「……あ」
「どうした、櫂兎」
凛邸のこじんまりとしていながら程度高く内容濃い書庫で書物を繰っていた櫂兎は、手を止め何かに気付いたように顔を上げた。
「何だか、笛の音が聞こえた気がした」
潰されるかと身構えたが、衝撃はこない。気のせいだったかと首を捻る櫂兎だったが――
丁度その頃、金華の街をその音の主が笛をぴいひょろ奏でつつ闊歩していたのだった。
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