「尚書、貴方も相変わらずですね。絳攸にいつまでお守りしてもらうつもりなんですか」
尚書室に入って開口一番、楊修が口にしたのはそれだった。持ってきた書類を机上にどさりとのせる。
「……仕事はせんぞ」
「ああそうですか。暑さは去年ほどではないでしょうに」
「甘煎餅をもう半月ほど食べていない。甘煎餅の妖精からは暫く休むと文添えられていたし」
まだ妖精やら言っているのか、と楊修は呆れ返った。
「理由になりません、くだらないこと言ってないで仕事したらどうです?」
「やる気が起きん」
「やる気? はっ、貴方、万年仕事に対してそんなものわかないでしょう」
黎深はふんと鼻をならすだけで、それに反論しなかった。
「棚夏殿がしばらく休暇をとるというので不在ですので、いつもの数倍仕事が溜まってるんです。今の吏部は惨状ですよ」
「知らんな」
楊修は黎深を暫く見つめた後、深い溜息をついた。
「最近の絳攸は侍郎であること放棄しつつある、そのこと分かっていて貴方は何もしないんですね」
「どうしようとそれは彼奴の勝手だろう、彼奴が自分で決めることだ」
「そのまま取り返しがつかなくなっても、ですか」
「…………」
どうせ不器用なこの人のことだ、きっとこんな形でしか方法が分からなかったのだろう。天つ才が、きいて呆れる。背を向け、室をでようとしたところで黎深のポツリと漏らす声に足を止める。
「……それでも」
「……」
「それでも、彼奴のすべきこと、だ」
どんな顔をしているのかは、みずとも手にとるように分かった。楊修はそのまま尚書室を後にした。
室に一人残る黎深は、窓の外に目をやっては、夏真っ盛りで深まる緑を視界にいれ、その色濃さに顔を顰める。それから何度か瞬きしては天井に目を向ける。
「彼奴は私自慢の養い子だぞ、気付けないわけなかろうが」
これが自分の最初で最後の、あの洟垂れへの情けというやつで、自分は愛し養い子を信じることしか方法を知らない。
呟かれたその言葉はほつり空に消える。あとには蝉の鳴き声しか残らなかった。
△Menu ▼
bkm