「販売層、販売場所の拡大をお願いしたい」
「……はい?」
完全に想定外、予想の斜め上をいかれた条件に凛は目を点にする。
(販売層の拡大…したところで利益が増えるのは私達では……)
「従来隠し花菖蒲印では、紫州一店舗のみで裕福層相手にやってましたけれど、私の本意ではなかったのです。ですから、全商連さんに権利譲渡するならば、求めやすい価格で、紫州以外にも全商連所縁ある場所なら求められる、そんな風に隠し花菖蒲印がなればいいと思いまして…」
少し照れた風に頭かき目の前の男は言った。自然と自分も笑み浮かぶのが分かった。
「元より、そのつもりです」
「……へ?」
目の前の男は間抜けな声を出す。思わず声をあげて笑う。びくりと肩はねさせた目の前の男には少し申し訳なく思えた。
「…ああ、失敬。あまりにも交渉らしからぬ条件になってしまったと思うとつい笑いが。
実は、全商連へ『隠し花菖蒲印制作権、販売権譲渡の交渉』の話がきた時点で、一度会合がありまして。そこで決まったのが、『州支部による権利の独占はどこであっても認めないこと、全商連に所縁ある者なら誰でも販売権得ること、制作費を下げることで販売価格も低め、一般層にも商売持ち込めるようにすること』だったんです」
「…………全商連さんって、気がはやいですね」
「取らぬ狸の皮算用ではありません、きちんとそれなりの対応で必ず捕まえる予定でしたからね」
紫州の全商連は今頃交渉条件にと色々揃えているはずだ。
「隠し花菖蒲印を独占すれば、年間国家予算の数倍は金子が整いますから。独占しないということはお互いの州のためでもありましたし」
「……え、そ、そんなに隠し花菖蒲印って凄いんですか?」
「ええ、前権利者の方は物凄く溜め込むことで有名でしたけど、二代で築いた財力は黄家に負けずとも劣らずだと……」
「なにそれこわい」
目の前の男、交渉に来ておきながらそんなことは無自覚だったらしい。
「むしろ交渉条件になるのかやら条件のむも何も利益でないって言われたらどうしようかとひやひやしながら今日来たんですけど……」
「それはそれは…お疲れ様ですかね? いらぬ心配というものです、貴方の隠し花菖蒲印は有益ですよ」
にこりと微笑み、そこで相手の名をきいていなかったことに気付いた。自分も名乗りさえしていない。名前そっちのけで話をしていたことに、また噴き出す。何だか交渉の席らしからぬものになってしまった。
「ええと、お互い名乗っていませんでしたね」
「ッああ!本当だ! ……本当ですね、ええと、棚夏櫂兎と申します」
「ふふ、堅苦しい言葉は無しにしようか。知っているかもしれないが、私は柴凛だ。改めてよろしく」
右手を差し出せば握り返される。男性だというのに細い綺麗な指だなとふと思った。
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bkm