白虹は琥珀にとらわれる 36
あの御史大獄から数日。
冗官室にいた叔牙に紅姓官吏が一斉に出仕拒否したという話を聞いた秀麗は、御史大夫室へ飛び込んでいく。そこで知ったのは、紅姓官吏達はクビになるだろうということだった。
今回ばかりは仕方がなく、助ける理由もない。この度吏部侍郎におさまった楊修が主導だということだけが救いか。そしてどうやら、自分にそれを気にしている余裕もなさそうだ。

秀麗が皇毅の指示で移動した隣室には、清雅と景侍郎の二人がいた。景侍郎の微笑みの中に異変の種を拾った秀麗は、皇毅に言われ、机に散らばった調査資料に目を通していく。
戸部からの資料を除けば、その多くが清雅の手による様々な数字の記録らしく、それらは殴り書きのようで、料紙の質からいってもまだ下調べの段階のようだった。その中に、妙に整った文字の羅列を見つけ、秀麗は思わず手にとる。――記録者の名義は櫂兎となっていた。

あの御史大獄以来、櫂兎は人の対応に忙しいらしい。いざ秀麗が副官室に突撃した時に限って不在と、妙な間の悪さも相まって、秀麗は彼と話の一つもできていなかった。秀麗が、彼を副官だと明かしてしまった、それが影響しているのだろう。

櫂兎の手により書かれた資料は、官給田の土地利用率の調査記録だった。他の資料と比べてそれは、どこか浮いている。
それを一旦端に避け、清雅の調査資料を戸部の資料とつきあわせる。例年の農作物や資源原価とここ最近のその値を見比べた時、秀麗はぎょっとした。

(――原価が、残らず跳ね上がってる!?)

それからの話は早かった。
紅家系商人達による流通の制限。これから来る冬を思うと、手が震えた。由々しき事態だ。
これに対する調査と経済対策で、御史大獄の日がずれたのだ。清雅との差に情けなさを覚えながら、秀麗は、この指示が出せる存在とは何者か明らかにしなければならないと思った。


「秀麗ちゃん」


隣室から出てすぐにかけられたその声に、秀麗は驚いて振り向く。このところ会うに会えなかった、御史台副官の棚夏櫂兎その人がいた。


「櫂兎さん…!」


見ると安心してしまうような、いつもの笑顔の彼に、自然と秀麗の頬も緩む。


「凄い勢いで駆け込んできてたみたいだね。たまに声がこっちまで聞こえてたから、どうしたのかと思ったよ」


笑顔でそんなことを告げられて、思わず秀麗は赤面した。あの時は自分も必死で、まわりなんて気にしていなかったのだ。
それを見て更にへにゃりと微笑んだ櫂兎は、秀麗の側まで来ては頭を優しく撫で、それから内緒の話でもするかのように小さな声で秀麗に告げた。


「一つ、助言しておこうかな。紅家官吏に、今回のその指示について詳しく聞いてみるといい」


目を見開いた秀麗は、櫂兎の顔を見る。変わらぬ調子で微笑んでいる彼の菫色の瞳からは、何も読み取ることができなかった。
彼の言葉は、秀麗がこれから何をしようとしているのかまるで見通しているかのようで、それでも。彼が何を知るのか、去るその背に秀麗が問いかけることはできなかった。







あの御史大獄の後、副官室にあまりに人が押し掛けるので、長官室に避難したり、清雅の室に隠れたり(清雅には露骨に嫌そうな顔をされた)していた櫂兎だったが、扉の前に一人衛士をつけてもらえることとなり、ようやく訪問者も落ち着いた。
落ち着いたというより、衛士が追い払うようになったので勝手に入ってくる人間が減ったとするべきかもしれないが。

普通、副官だけに用のある人間など数はいないはずなのだが、今まで正体を秘密にしていたなどの話題性もあって、小さな用であってもわざわざ櫂兎に会いにくるという者は少なくなかった。顔馴染みの御史達は、要件の中に櫂兎が副官であるというその事実を伏せていたことへの恨み辛みをさりげなく混ぜてくるあたりが御史台らしいと言えるだろう。どこかそこに親しみがこもっている様子なのは、自分も少しはここに馴染めたということだろうかと櫂兎は一人考える。


「それでもやっぱり、向いてないんだろうなあ」


久々に感じた胃の痛みに、櫂兎は胸の下辺りを撫でた。


(取り敢えずリオウ君には話を通したから、あとは許可をもぎ取って…もぎ取れるかな? いや、もしもの時は適当な名目で送り出しちゃってよし。うん。よいよい。後で邵可がなんとかするでしょ)


うんうんと自分に言い聞かせるように頷いて、櫂兎は椅子の背もたれに体重を預けた。

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空中三回転半宙返り土下座
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