「ちょ、長官が俺の仕事を取り上げた…! 長官が! 俺の仕事を!!」
目の前で起こったそんな出来事を信じられず、櫂兎がパニックに陥っているところで、皇毅は櫂兎から強奪したその書類の束を長官室にある鍵付きの引き出しの中へとしまいこんだ。
「何故ここで呑気に書類仕事なぞしている。今日が何の日か、忘れたわけではあるまいな」
「え? 長官のお誕生日とかですか?」
「……」
沈黙のままにギロリと睨まれ、櫂兎は「冗談ですよ」と肩をすくめた。
「御史大獄が開かれる日でしょう? しかし、そんなものに私なんかの出番や仕事があるわけないじゃないですか」
「役割があるだろう。お前は、私の副官だ。違うか?」
「……なんか、心得てきましたよねえ、長官」
むず痒そうに、それでも嬉しいのか櫂兎は口もとを緩ませて言う。それから椅子を立ち、法廷へと向かう皇毅についていった。
法廷に着いたところで、人目から逃げるようにして離れていこうとした櫂兎を、皇毅は引き留めた。
「側に控えておけ」
「……悪目立ちしません?」
そう言いつつも、視線を集めること承知で、櫂兎は彼の一歩後ろに立つ。びしばしと突き刺さる「何故こいつが」とでもいうべき視線に、「副官の代理ですよ」とでもいうような控えめな態度をみせておく。
ずんずんと階段をのぼる皇毅に、櫂兎もついていく。
……櫂兎もまさかとは思っていたが、皇毅は法廷でも最上段のど真ん中の席に座るつもりらしかった。かなり近付きたくない。
「やあ、久し振りだね櫂兎。そっちの椅子、座るかい?」
「わー俊臣久し振りーでもこんな視線集まってる状況でなんで知り合いだってばれちゃいそうなことするかな? あと座らないよ? そこ大理寺の長官席だからね?」
少しあとからやってきた俊臣に、櫂兎は下っ端官吏が高官に畏まるかのような姿勢をとりながら、フランクに心の叫びをぶつけた。これで、側からみれば『刑部尚書の気紛れに話しかけられてへこへこしている一官吏の図』という算段だ。櫂兎にとって幸いなことに、櫂兎の声は周囲の雑音に紛れ、一般官吏の公聴場所にまでは届かない。
「君ならどこにでもおさまってしまいそうだけれどね。向きもなければ不向きもない」
「ちょっと器用なだけだよ」
「器用? 君が? 変なところで不器用だし、要領もいい方じゃないだろう? ボクは君が几帳面なだけだと思っているよ」
目をぱちくりとさせた櫂兎に、俊臣は唇を微笑のかたちにする。
「君に似合う棺桶をと思ったときに、君について四六時中考えていたんだ」
「わーなんかその執念にはいっそ感心するっていうか、棺桶は嬉しかったけどその情報はききたくなかったかもしれない」
棺桶は嬉しかったのか、と、二人の会話を聞いていた皇毅は思ったが、何も言わないでおいた。彼らの関係について分かっていたのは同期というその一点だけで、中身については判明していなかったが、どうやら仲は悪くないらしい。
と、そこに大理寺長官も到着し、途端に二人は会話を止めた。先程までの表情は何処へやら、俊臣も櫂兎も澄ました顔だ。
裁判開始の刻も近づいてきた頃。突如として、ざわりと聴衆がさざめきたった。今回の裁判の主要人物、秀麗と清雅が法廷に姿を現したのだ。そのざわめきもやがて波がおさまるように止み、その場をしんとした空気が包む。
役者は揃った。法廷に、裁判の開始を告げる厳粛な声が響いた。
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