白虹は琥珀にとらわれる 27
本来なら御史大獄が行われていたであろう時刻、政事堂では緊急の宰相会議が開かれていた。

開口一番、旺季に『吏部の後任を誰にするか』という痛いところを突かれ、劉輝は軽く仰け反った。せめて場を和ませようと笑う事を勧めれば、それが墓穴になる始末。我ながら笑うしかなくて、劉輝は声をあげて笑う。旺季はそれに、やけくそで付き合いわざとらしい笑い声を上げた後、笑っている場合ではないと劉輝を一括した。

場がちょっぴり和んだところで、優しい笑顔と裏腹に、悠舜が鋭い言葉で切り込む。旺季と悠舜の間で火花が散るのにおっかなびっくりした劉輝は、それから、こんな時こそと腹黒タヌキじじいのいるべき席を睨みつけた。もちろん、空席だ。彼がいたなら盾にもなっただろうのに。肝心なところで、トンズラしたとしか思えない。


「……で? 主上のお考えは?」

「え!? あ、ああ……」


突然話を振られ、動揺した劉輝は思わず悠舜に視線を向けてしまう。そこでリオウに、自分が先に名を挙げるべきだと鋭く指摘され、劉輝は何も言えずに黙した。
吏部の後任は誰が適任か。その問いは、悠舜にもされた。そして劉輝には、それがちっとも分からなかった。誰の名も、知らない、分からなかった。
人事を黎深と絳攸に任せきりにしていたから。そのツケが、ここにきていた。

答えられない自分に、からっぽの自分に、泣いてしまいそうだった。それでも耐えて、奥歯を噛み締めた、そんな時。不意に浮かんだ名が、口からこぼれ落ちた。


「櫂兎」


その声は小さくかすれていたけれど、その場にいた者達の耳にはしかと入ったようだった。それがまるで、自分が取り返しのつかない失敗でもおかしてしまったかのようで、劉輝は恐ろしくてたまらなくて、顔をあげられなかった。


「――いや、」


俯いたまま、先程のことを掻き消すように、否定の言葉を重ねて、劉輝は予めきいていた、悠舜の言葉をそっくりそのまま口にした。


「吏部尚書位はしばらく空位、かわりに侍郎には楊修を昇格させ、当分は彼に尚書代行を兼ねてもらうのがいいと……思う」


旺季の同意を得る間も、劉輝は床ばかり見ていて、結局執務室に戻るまで、劉輝は俯いていた。


執務室に戻ったなり潰れた蛙になった劉輝を、静蘭と一緒に入室した悠舜が慰める。小さな芽を優しく育てる春の雨だれのように、やわらかな声。尚書令でいてくれる、彼の言葉に劉輝は泣きそうになる。
櫂兎の名を口にしたことも、考えなしの行動だったのに。悠舜は褒めてさえくれて、余計に辛くなった。


「『櫂兎』とは、棚夏櫂兎のことですね」

「知っているのか?」

「ええ、昔からの友人ですよ。彼とは同期なんです」


悠舜の言葉に、劉輝が驚く。しかし、それで納得いくこともあった。元吏部尚書や戸部尚書、それに工部尚書が櫂兎と親しげだったのは、彼自身も、あの悪夢の国試を通過した一人に他ならないからだったのだ。


「知らなかった」


謎の多い、彼のこと。何も知らずに、何もきかずに、信じるとだけ劉輝は決めたけれど。あの時饅頭を一口といわずまるまるあげてしまっておけば、もう少し、彼について知っていたろうか、なんて考える。
劉輝が知っているのは、邵可と仲がいいこと、珠翠を娘のように大事に思っていること、絳攸が尊敬する吏部の先輩だったこと、劉輝に対してだけ必ず畏まった態度であること、何かを秘密にしているらしいこと、それから、それから…。案外、饅頭一口分とするにはたくさんのことを知っていて、劉輝は驚いた。それでもどこか掴めないのだから、本当に櫂兎は謎だらけだ。


「彼はなかなかの秘密主義ですからね」

「悠舜でも知らない秘密があるのか!」

「ええ。彼、昔から自分の素性を話したりしないんですよ。知らずともこの方、困ったことはありませんが。隠されれば気になるというものを、彼は分かっているんでしょうか」


悠舜はそう言って苦笑した。確かにそれは、劉輝も何度も思い、気になってきたことではあった。


「吏部の後任の件ですが、櫂兎に任せるというのも、悪手ではないのです。能力があり、吏部の面々とは既知、かつ慕われていると聞きます」


それは、劉輝も絳攸から溢れ聞いた話で感じていたことだった。本人の人柄も相まって、容易に想像がつく。


「彼が越権行為に吏部を辞めさせられたことも、当時の尚書が紅黎深であったことが考慮されることでしょう。
そもそも、吏部侍郎の付き人という職は、先王の時代では仕事の裁量や人事にまで手を伸ばせるという、侍郎の代理をもこなせる職であったようですね。それを、官位に対して持つ権利の度が過ぎると、黎深が罷免権すら認めない位にまで下げています」


悠舜はそう話して、ゆるりと口端を緩めた。

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空中三回転半宙返り土下座
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