刑部尚書を引きずりだそうとした秀麗が、棺桶の中からこんにちはした屍人(キョンシー)のあまりの衝撃に気絶して幾許。寝て起きて、すっきりした頭で燕青に御史大獄の延期をきいた秀麗は、その理由に首を傾げながらも燕青と帰路につく。
「そーそー、姫さん。これ」
ぽふ、と渡され秀麗はおもわず受け取ってしまう。まだ温かなそれは――お饅頭?
「さっき櫂兎が来て、差し入れだーって。いやー、櫂兎も御史台に居たんな?」
働いているところが想像できないと笑う燕青に、秀麗は手の中のお饅頭を見る。
「櫂兎さん、副官補佐をやってらっしゃるって」
「へー、補佐…ってあの副官の補佐やってんのか! うわ、なんか納得だわ。櫂兎ならやれちまいそー」
「燕青? 『あの』副官、って?」
「ん、俺も噂に聞いただけなんだけどな。あの連絡網とか、大きな捕り物の時の班分けとか、発案したの全部その副官さんなんだと」
連絡網も、班分けも、御史一人の裁量を残しながら、組織として御史台が動ける工夫がされていた。よく考えられていて、詳しく知れば知るほど感動した覚えがある。
「でも、お会いしたことないわよね? 長官のお側に控えている風でもないし」
ぱくり、と秀麗が饅頭にかぶりつけば、生地の甘さが優しく舌を喜ばせる。餡の塩気も相まって、次に次にとかぶりついてしまった。眠気ばかりにごまかされていたが、自分は随分お腹を空かせていたらしい。
秀麗がそうして饅頭を食べる様子を和やかに見守りながら、燕青は副官の噂について語りだす。
「本人は表に顔出さず、一般御史に紛れてるとかなんとかで、補佐が取次してるって噂だけど。この春に副官の席が埋まったってのは事実みたいだかんな。あの長官がいて、そんな裏方がいるとか、手強いはずだぜ……」
あっという間になくなった手の中の饅頭を少し寂しげに見ていた秀麗が、顔を上げる。
「そんな人が。……そんな人の補佐を櫂兎さんが?」
「なー、一枚噛んでるってとこが想像つかねー。いや、櫂兎ならあり得んのかな、逆に。むしろ案外副官におさまってて後ろで糸引いてても驚かない……流石にそれは驚くか」
秀麗の中で、何かが、閃いた気がした。
「……待って、燕青。もう一回言って」
「流石にそれは驚くか」
「そこじゃなくて! 副官におさまってても、って!」
「うん? うん、櫂兎ってあんなだけど、割とちゃっかりしてるとこあるし。悠舜のお墨付き、ってか目の仇みたいなとこあるから。悪巧みしてる長官の側で毒っ気なくにこにこ笑ってても違和感ないってーか」
「……もしかして、櫂兎さんって、凄いの?」
いや、彼が凄いというのは、秀麗だって常々実感してはいたのだが。燕青は、少し考えるようにしてから、ぽつぽつと話しだす。
「李侍郎だって、いや、元侍郎か、李元侍郎だって、櫂兎のことすげー褒めてたろ? あの吏部尚書の下で軽々仕事こなして、指導まで抱えてたってんだから、官吏としては有能だろうな。
それに、悠舜とは同期だってさ」
「それって」
国試合格者の異様に少なかった年の、その狭き門を通過した一人だということ。他の同期が戸部尚書や元吏部尚書、尚書令…と一様に重要職についているだけに、櫂兎が吏部で長く出世しなかったことは、不思議で仕方なかった。それほどまでに、まだ見ぬ叔父の元吏部尚書は仕事をしなかったのか。
(……でも、櫂兎さんを辞めさせる時は仕事してるのよねぇ)
謎だ。
「なんだか、余計に分かんないことが増えちゃったわ。でも、分かったこともあった」
思えば、蘇芳との会話の中にも、副官の噂については出てきていたのだ。そして、その答えも。とっくに自分が、口に出していた。
――蘇芳があの時、秀麗の言葉に動揺した意味も、漸く理解した。
目の前の燕青も、秀麗の様子に「まさか」とその可能性を考えだす。
「燕青」
秀麗が、燕青の思考を断ち切るように声を掛けた。そこで自分が険しい顔になっていたことに気づいて、燕青は慌てていつもの笑みに戻す。
「考えるのは明日にするわ」
秀麗の宣言に燕青も頷く。考えることは、たくさんあった。
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