紅差し指・04




新婚生活。
そんな甘いものじゃない。

カカシとの生活は、周りの人が期待するようなものではない。
普通の新婚夫婦だったら、行ってきますのキスをしたりするのだろうか。
キスはおろか、手に触れたことさえないのに。

例えば。

食事や家での時間は、あまり2人の間に会話はない。
カカシは寡黙とは言わないが無口な方で、名前もお喋りなタイプではない。ソファーで距離を置いて隣合ってテレビを見ても、あまり会話はない。

お風呂なんて一緒に入る訳はない。
寝室だって別々だ。
食事はタイミングがあった時だけ一緒にする。

これでは、ただの顔見知りが同じ屋根の下にいるだけだ。

「相手が居たのならそうと言ってくれれば良かったのに」

とある日、緊急手術後の休憩時間。院長が顔を出し世間話をしている時に、一言そう言った。

「いや、そんな」

名前は、何と返して良いのか分からず舌先に言葉を残したまま黙り込んだ。断っていたのは、カカシのせいではなく自分が結婚に興味が無かっただけだ。でもそうすると、カカシと自分が交際もせず結婚したことになる。まあ、実際にそうなのだが。

「まあ、でも火影様相手だと言えないよね」

名前の曖昧な対応を、そう捉えて院長はごめんねと謝った。
そう、里の人達は名前とカカシの結婚が里に決められたものだと知らないのだ。結婚を決めた上層部、そしてカカシと自分しか知らない。
周りには、いつの間に火影をゲットしてたんだと突っ込まれる。

木ノ葉が暁に襲撃され、綱手が意識不明の状態になった時から既にカカシは、火影に任命されていた。その様子は名前も見ていた。
四代目火影の教え子で、父親は忍界に名を馳せた天才忍者。本人も、少年の頃から暗部に入り、その実力は闇の賞金首にされる程だ。

「名前君みたいな美人がどんな人と結婚するのかと思っていたけど、カカシ様なら周りも納得だよ」

何とも悪気のない純粋な笑顔の院長は、使い捨てカップの中にあるコーヒーを手首のスナップを効かせながら回していた。
徹夜でもしていたのだろうか。院長の顎には髭がうっすらと伸びていた。ポツポツと生えた黒くて太い髭を見ながら、そう言えば3日ぶりにカカシが帰って来た時も顎に髭が伸びていたのを思い出した。髪と同じ銀色で、最初は目立たず気が付かなかった。
人間だから当たり前なのだが、カカシにも髭が生えるのだと名前は食卓で向かい合いながら思った。

「どうした、ぼーっとしちゃって。旦那様のことでも考えてた?」
「あ、いえ、そんな」
「ははは、いいね!若くて美人な名前くんと結婚したカカシ様が羨ましいなぁ!」
「もう、からかわないで下さい……」

院長の機嫌のよさそうな笑い声に、名前はこっそりと嘆息を重ねた。

今日は外来の予定はなく、緊急の手術も無事成功した。患者の様子をもう少し見届けたら帰ろう。世間話も済まし、名前は手術着から私服に着替えた。
患者の病室に顔を覗かせる。純白のシーツの中で、人形のように眠る患者。全身麻酔が切れるまではこうだろう。
戦闘で見るも無残な怪我を負って里に戻ってきた忍。まだ若い中忍になりたてだと言う青年は、どれだけ酷い目にあったのか。想像すると胸が痛む。
安定した脈と血圧を確認して何とかなるだろうと、一息つく。名前は、患者の額に手のひらを当てて優しく撫でる。

「帰ってきてくれてありがとう」

名前は、密かに微笑み掛けてから病室をあとにした。

「おつかれ」
「わ、カカシ先輩」
「こら、カカシでいいよ」

病室を出ると目の前にカカシが立っていた。
カカシの代になってから新しくなった濃緑のベストは、軽量かつ刃物に強くなった。名前も暗部を抜けているから、任務の時にはこのベストを着用している。カカシが武具に強い忍達と考え抜いて作ったものらしい。
もちろん、そのベストは普段からカカシも着ているが、カカシのものだけは「六代目火影」を示す「六火」の文字が施されている。
ベストを着たカカシの後ろを歩くと、この人はやはり火影なのだと名前は改めて実感していた。

「こんな所にどうしたんですか?」
「いや、特に何も」
「そうですか」
「何よ、その不審な目。ま、迎えに来たよ。もう帰りなんでしょ?院長から聞いたよ」

カカシは名前を見下ろしながら、ニッと笑った。

「一緒に帰ろう」

名前は、少し沈黙を認めて静かにこくりと頷いた。

「うん、良かった」

病院の帰り道、名前はカカシの隣を歩いた。
カカシの存在に気付いた人々が、頭を下げて笑顔で挨拶をして行く。そして、奥様と呼ばれ名前もカカシに向けられるものと同じ目で名前を見る。
カカシは、暗部にいた頃から目立つ存在で里内はもとより周辺国からも注目されていたが、名前は面を着けた状態で陰で暮らしてきた。人に見られることに慣れていない。
やはりカカシの隣にいるのは目立つのだ。
どんな顔をすれば良いのかも分からず、目を泳がせているとカカシが心配そうに見下ろしてきた。

「大丈夫、いつも通りにしてれば良い。まだ新婚だから周りも浮き足立ってるけど、直に里の人たちも慣れるさ」

名前は、居心地の悪さと喉のつっかえを感じながら家路を急ぐ。足早に歩いていても、カカシは悠然とした歩調は変えない。それでも隣にカカシが居続けることに、名前は僅かばかりの苛立ちを感じた。

この人のせいで、私はこんなに滅入っているのに。どうしてこの人はこんなに平気な顔をし続けられるのだろう。

勝手に結婚相手を決められたカカシだって同じ立場であるのは分かっているのに、身勝手な考えが浮かんでしまう。

カカシの横顔を一瞥すると、ん?と首を傾げてカカシが見下ろして来る。名前は首を横に振って、前を向き直した。

この人が、私の旦那さんなのだ。

何度も言い聞かせてみるが、自分の腹は据わってくれない。傍から見れば、自分は意味が分からないのかもしれない。
火影に相応しいと認められる器があり、誰にでも優しく穏やかで、若い火影様と結婚して何が不満があるのだろう。
もちろん、そこは子供ではないのだから人には不満を見せないようにしているが。

「名前、何か食べたいものある?俺が作るよ」
「良いですよ。先輩はお仕事忙しいんですから」
「名前こそ手術があったんでしょ」

カカシは常に優しい。怒ることってあるのかと思う位に。暗部時代に初めて会ったカカシは、今ほどではないが変わらず優しかった。もちろん、任務で手を抜くと厳しく叱って来ることもあったそうだが、それは隊長として当たり前の務めだ。
こんなに優しい人なら恋人がいたっておかしくないのに。この年まで独身だったのが不思議だ。

もしかして、カカシにも恋人が居たのだろうか。
上からの命令で、その恋人と別れて自分と結婚させられたのだろうか。

ハッとカカシを見上げる。再びカカシは、ん?と首を傾げて名前を見下ろす。

もし、そうだとしたら。
どれだけその女性に恨まれているのだろう。
心当たりは沢山ある。ひとつ屋根の下に暮らしているのに手さえ触れてこないのだから。




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