溶けるまでは


好きな人にチョコをあげる日なんだもんね?じゃあ、俺も好きな人にあげようかな。

事の発端は、無責任なイケメンの発言だった。


2月14日、里の女の子達はざわついていた。
だって、あのはたけカカシが今年のバレンタインデーは俺もチョコレートをプレゼントすると言い出したのだ。つまりは、カカシには好きな女の子がいると言うことで、それは一体誰なのかと皆が噂をしていた。
もちろん、カカシにチョコレートをプレゼントする女の子も数多で、カカシの隣にはチョコレートの山が出来ていた。

アスマと紅が、互いにヒソヒソと話しながら見据えるのは目の前の呑気な同僚。

「ねぇ、カカシは本当にあげる気なのかしら」
「さぁ、でも面倒くさいことを自ら言い出すってことは本気だろ」

カカシは、時折目尻を下げて読書を楽しむ。とてもチョコレートをこれから女の子にあげる雰囲気なんてなくて、カカシを慕う女の子達は気が気でない様子だ。
読書が一段落したのか、カカシはパタンと本を閉じてポーチにしまった。アスマは、やっとタイミングを見つけ話し掛ける。

「おい、カカシ」
「ん?何よ」
「お前、今日チョコをやるって本気か?」

カカシは、あーと間抜けな声をあげてニコリと微笑んだ。これは、本当に楽しそうな時の顔だ。

「うん、あげるあげる。ポーチの中に入ってるから」
「ほ、本気なのね」
「当たり前でしょーよ。嘘はつかないよ、嘘は」
「誰にやるんだ?」
「えー?分かんないの?アスマと紅なら分かるでしょ」

カカシは立ち上がり、窓に足を掛ける。

「お前、どこ行くんだ?」
「任務。大事なね、任務」
「はぁ?今日は待機だろ」
「何かあったら、上手く火影様に言っといてよ」
「おい!チョコ持ち帰れ!」
「俺、甘いの苦手だから皆で食べてちょーだい」

ヒラリと飛ぶと、待機所から出ていった。アスマの逃げやがったな!と声が聞こえた気がした。

ポケットに手を突っ込みながら、カカシは里の門に立つ。時間はそろそろな筈だ。忍犬達に、お目当ての人が里に近付いたら知らせるようにお願いをしておいたから。人影が見えて、駆け寄る。

「おかーえり」
「わぁー!ただいま!」
「名前、怪我してない?」
「してないよ、大丈夫!私が怪我するわけないじゃない」
「そーだな」

カカシは、名前の荷物を代わりに持ってあげた。前よりも少しボロボロになった荷物が、いかに彼女が厳しい環境を過ごして来たかを暗に物語っていた。

「長かったね、3ヶ月」
「あっという間だったけど長かったー!私がいなくて寂しかった?」
「うん、寂しかった」

素直なカカシに、名前はクスクスと笑った。

「カカシは任務ないの?」
「名前を家に送って狼になる任務中」
「ま、凄い任務ね」
「でしょ。報告書は?火影様の所に行く?」
「もう忍鳥使って飛ばしてあるから大丈夫。明日、帰還報告しに来いとだけ言われたわ」

3ヶ月振りの自宅。少し埃っぽかったが、任務前に念入りに掃除をしていたお陰で綺麗なままだった。窓を開けて空気を入れ替える。

「シャワー浴びるけど、覗いちゃだめよ」
「えー、何で?」
「セクシー過ぎて気を失っちゃうから」
「なるほどね」

久し振りの名前の家、カカシは少し溜まった埃の掃除をして、ベストや額当て、手甲も腰のポーチも椅子の上に外して置いた。忍ばせたチョコレートの入った箱を確認する。カカシは甘いものが苦手だからと、チョコレートを貰ったことはない。
今年こそ、名前からチョコレートが欲しいと思っていたが、長期任務で会えるかも分からない。そうしたら、バレンタインデーに還ってくると決まり、カカシからチョコレートをあげようと思ったのだ。
さすがに女の子ひしめくお店に、男ひとりで行く勇気はなくて女の子に変化して潜入したのは墓場までの秘密だ。

何かご飯でも作ってあげようと思ったが、案の定冷蔵庫は空っぽで水のひとつもない。
任務明けの名前は、決まって長風呂だ。カカシは急いで近くの商店に買い物に行き、ひと通りの食材を揃えた。玄関を開ければ、湯船に浸かっているらしく、チャプチャプと湯が跳ねる音とご機嫌な鼻歌が聞こえてホッとする。名前の好きな料理を作ってあげよう。

料理が出来上がる頃、ガチャリと言う音と共に、タオルを頭に巻いた名前が戻って来た。

「わぁ、美味しそう!」
「当たり前じゃない」

早速テーブルについて、頂きまーす!と両手を合わせたが、カカシによって阻まれる。髪を乾かしなさい、と箸を奪われた。

「食べたらすぐ乾かすからー!折角作ってくれたのに冷めちゃうー!」

お願い!お願い!と言われ、仕方ないねぇとカカシもテーブルについた。
久し振りに一緒に食事をしながら、名前は任務先で起きたことを話し、カカシは名前がいなかった間に里で起きたことを話した。

「美味しかったです!カカシ、ありがとう」
「どういたしまして、さ、乾かしな」
「んぅ、面倒くさい……」

再び、仕方ないねぇと言いながらカカシはベッドに胡座をかいて座り、ドライヤーを手に取った。
おいで、と言うように自分の前をポンポンとすれば、名前はラッキーと言いながらカカシの前に座る。
温風が髪をなびかせて、労をねぎらうように丁寧に指先で髪を梳く。

「本当、無事で帰って来てくれて良かった」
「えへへ、ありがとう」

名前の綺麗な髪に口付けたい衝動と戦いながら、紳士的に振る舞う。

いつの間にか仲良くなって、いつの間にか常に一緒に過ごして、いつの間にか好きになっていて。

傍から見れば恋人のようかもしれないが、互いに好きだと言ったことはない。もし、名前に恋人が出来ればこんなこともできなくなる。まだ居もしない名前の恋人に、カカシはヤキモチと言うには醜い感情を覚えた。

ふと、意識を名前に戻せば、何やら不思議な動きを始めた。
頭を前に後ろにコクリコクリとし始めて、最終的にカカシにもたれ掛かるように倒れた。

「あー、寝てる」

ドライヤーを止めて、名前を揺するが起きない。
だが、幸運だと思った。恋人でない自分達は、まだ一緒に過ごしても抱き合ったりしないのだから。まぁ、座椅子代わりにされてる感も否めないが。

「お疲れ、名前」

これは名前からくっついて来たし、怒られたら名前のせいにしよう。そう心の中で言い訳をして、名前の体の上に布団を掛ける。名前の自分よりも小さな手を握りながら、チョコレートのことを思い出した。
チョコレートは起きてからでいいや。それよりも、今はこの幸せな時間を独り占めしてしまおう。





「カカシー」
「……ん?寝てた?」
「もうグッスリ」

気付かないうちに昼寝を貪っていた。握ったままの名前の手を引っ張りながら背筋を伸ばせば、名前の体も伸びた。

「名前、俺のこと座椅子だと思ってたでしょ」
「えへへ、ばれた?」
「バレバレ」
「この座椅子、暖かくて大きくて快適ー!あ、もう!」
「この抱き枕、小さくて柔らかくて気持ち良い」
「カカシのエッチ」
「名前だって負けてないでしょーよ」

名前の膨らんだ頬をツンと突けば、唇からフシューと空気が風船のように抜けた。

「あ、そうそう。これあげる」
「ん?なにこれ?」
「うまいもの。さて、俺は行ってくるよ、サボってるのバレたみたい」

カカシがピッと指差した先では、忍鳥が名前の家の窓に向かって来ていた。

「カカシ、ありがとう」
「どういたしまして」

ニコリと笑ってから、口布をあげ額当てを結ぶ。
じゃあな、と頭をクシャクシャにしてカカシは去って行った。


翌日、名前は帰還報告をしに執務室へ行き、ついでに待機所に寄ると何やらザワザワとしていた。あーでもない、こーでもなかった。あいつはどこに行ってたんだと何やら議論している。

「紅、どうしたの?」
「あら!名前おかえりなさい!」
「ただいまー!」
「おかえり、名前!」

3ヶ月振りに仲間達から労われ、名前はちょっと涙ぐんだ。

「んで、皆で何を話してたの?」
「カカシのことよ」
「へー」
「何それ、興味なさそうね」

興味ない訳ではないが、別にわぁわぁカカシの事を話す話題もない。2人の間には秘密があまりないのだから。
アスマも何やら考えているし、ガイに至っては、頭を抱えて震えている。カカシの何が、彼をそうさせるのか。

「カカシが何かしたの?」
「あいつが、誰にチョコをあげたのかを話してたんだ」
「へー……チョコなら昨日貰ったよ?カカシに」

その瞬間、シーンと待機所が静まり返る。

ーーそうか、名前なのか
ーー確かに言われてみれば
ーー仲良いもんな

「え、どうしたの?確かにカカシがチョコ持ってたのはおかしいよね。甘いの嫌いなのにね」

ニヤリとする紅の口から発せられた言葉は、信じられないものだった。

「カカシったら、今年のバレンタインは俺も好きな人にチョコあげるって言い出したのよ」
「あいつらしいって言うか、なぁ」
「ねぇ、カカシって任務?」
「確か休みだぞ。ん?」

そう聞いて、名前は待機所から出ると一目散に店に向かった。チョコレートが並ぶショーケースの中を覗いて、どれにしようか考える。いや、カカシって甘いものが苦手なのだ。名前は、店員に声を掛け注文をした。

「この中で、1番苦いチョコを下さい」


休日のカカシを襲ったのは、息を切らした名前だった。インターホンをやたら鳴らすのは、名前の証拠だ。
玄関に立つ名前は、はぁはぁと肩を上下させて何やら尋常じゃない様子だった。カカシは胸騒ぎを感じずにはいられない。

「ま、入りな」
「うん」

カカシの家には特に座る場所がない為、名前はいつもベッドに座っている。いつも通り、そこに座るだろうと思いきや、お茶を淹れるために湯を沸かすカカシの横に立ったままだ。

「座らないの?」
「これあげる!」

名前がカカシの鼻の先に差し出したのは、甘い香りが微かにする可愛らしい箱だった。この香りは、つい最近嗅いだことのある香りだ。カカシにはすぐに中身が分かった。

「だって、カカシ、今年のバレンタインデーは好きな人にチョコあげるって。なら、私もあげる!」

でも、1日過ぎちゃったけど……と小さく付け足した。

「俺にくれるの?」
「他にいると思う?」

それもそうだな、とカカシは大人しく受け取った。蓋を開ければ、チョコレートの綺麗な粒が並んでいる。

「食べるなら、緑茶じゃなくてコーヒーがいいよね。名前は紅茶がいい?」
「そうだね……って、カカシがチョコ食べるの!?いつも苦手だからって配ってるじゃん!」
「だって、名前からの本命チョコを食べるのが俺の夢だったんだよ」

紅茶が入ったマグカップを名前に渡し、ブラックコーヒーで満たされたマグカップとチョコレートを持ってカカシはテーブルの前に座った。名前も隣に座り、マグカップをテーブルに置く。
カカシは嬉しそうにチョコレートを眺めてから、ひと粒手に取った。

「食べていい?」
「うん」

ひと粒かじる。名前は心配になって、カカシの顔を覗き込んだ。

「美味しい?」
「うまい。名前も食べる?」
「いいの?」
「もちろん」

箱に手を伸ばすが、カカシがそれを阻む。仕舞いには、箱にフタをしてしまった。

「そっちじゃないでしょ?」
「え?なん…」

カカシが覆いかぶさって来たかと思えば、唇を塞がれた。
チョコレートの香りがカカシの唇から漂う。そして、それはすぐに自分の口の中に広がった。カカシの体温で少し溶けたチョコレートが舌の上を転がる。
目の前で、ぼんやりとカカシの銀色の睫毛が揺れていた。
甘みよりも苦味の強いチョコレートの筈なのに、名前にはとても甘く感じられた。舌が甘いんじゃない、脳が甘いんだ。それに気付くのに時間は掛からなかった。
口の中のチョコレートが全て溶けて、名前が喉をコクリと鳴らせるとやっと唇が解放された。
伏せられた睫毛と、少し濡れた唇があまりにも色っぽくて名前は咄嗟に顔を背けた。男なのに、ずるい。

「カカシのエッチ……」
「名前程じゃないけどね」
「カカシのせいで味わかんなかったもん」
「ごめん」

ずっと好きだった人にチョコレートを貰えて、プレゼントもできる自分は、きっと世界でいちばん幸せな女の子だと思った。

じゃあ、もうひとつあげるよ。そう言われて再び唇を塞がれたとき、名前は諦めた。
体が倒されて背中に硬い床を感じた。このチョコレートが溶けてしまったら、きっと今度は自分が食べられてしまう。でも、それも悪くないかもしれない。
それまでは、このチョコレートを味わっていよう。カカシの体に腕を回しながら、名前は早くチョコレートが溶けますようにと口付けを深くした。




溶けるまでは end.

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