人形姫・15





医者にプロポーズされた晩、泣きじゃくった名前は倒れるように眠ってしまい、気付けば日付が変わっていた。

お母さんの配慮で暫くお稽古をお休みすることとなり、お座敷は指名が既に入っているもの以外は、全て妹の珠藤が行くことになった。
昨晩のプロポーズ、そして、お母さんと妹にも迷惑を掛けたことに酷く落ち込み、食欲さえ湧かない。名前は冷蔵庫にあった果物を切って何とか喉に流し込んでいた。食べては休み、ガラス皿の底に溜まった果汁とその中で泳ぐ小さな果肉の破片をフォークで刺して遊んでいた。
すると、お母さんがやって来て名前の隣に座る。お母さんは、どんな時でも目線を合わせて話をする。

「ねえ名前、話できる?」
「うん」
「名前にね、話しておかなきゃいけないことがあるのよ、今いいかしら」

ここだと妹達に見られるかもしれないからと、お母さんの部屋に入った。お母さんはゆっくりと襖を閉めてから、漆塗りの棚の中からひとつの木箱を取り出した。名前の前にそれを出して、開けてみてと促す。
名前はゆっくりと箱を開けた。こまめに掃除をされて埃は被っていないが、もう結構な年月が経っていそうだ。経年でがたついた蓋を上げると、封筒と巻物がひとつずつ。封筒には何も記入がなく、中に何も入っていないのか厚みがなかった。
開けていい?と視線で窺うと、お母さんは笑って頷いた。封筒の中には1枚の写真のようだ。白い裏側がこちらを向いていて、名前は写真を折らないように慎重に取り出した。
表に向けて、名前は思わず驚嘆の声を上げてしまう。

「え?」

名前は、ついに寂しさで幻覚まで見るようになったのかと目眩を覚えた。
写真の端はボロボロになってしまっていて、像は自分の知っているものより色褪せていた。名前は、自分がおかしくなってしまったのではないかと何度も目蓋を擦っては見直すが結果は同じ。

「これはね、名前のご両親の遺品なのよ」
「え?どうして?お母さんとお父さんが?持ってたの?」
「何て言ったらいいのかしら……説明するのは私には難しいんだけどね」

置屋のお母さんは、眉を下げてどこから説明しようかしら……と綺麗な指先を顎に添えた。普段は明るくあっけらかんとしたお母さん。ふとした仕草に若い頃、名前の母親と花街イチの美人姉妹と呼ばれていたことを感じる。

「でもね、名前に私が知る限りの全てを知って欲しいの。だから、初めから話して良いかしら」
「うん、お母さん、お願い!」





しまった。

カカシは出してしまった名前の名を口の中に戻そうとしたが、それは不可能だった。もっと順序を立ててしっかり話そうとしていたのに、馬鹿野郎と自嘲した。

「うちの娘の名をどうして知っている?」
「それは……」
「まさか、君まで娘を狙って居たなんて……」
「違います!」

それまで穏やかだったカカシが、突如声を荒らげた。カカシの急変に目の前の男は警戒心を高めた。カカシは再び自らの失態に気付き、普段の任務であったのなら決してしないミスにひとり狼狽えた。今度は顔面を白くさせてへたり込む。

「す、すみません」
「いや」

カカシと反比例して、男は落ち着きを取り戻して行く。男は冷たい目でカカシを見下ろすが、カカシとて次期火影が婚約者の父親だからと言って下手に下から行く訳にもいかない。

「やはり、そのお子さんが名前さん……なんですね」

男は何も答えないが、カカシはそれを肯定に捉えた。
だとしたら、カカシは名前が幼少期の過去に飛んだことになる。空間を飛び越えるだけでなく、時間軸まて飛び越えられる。そんな時空間忍術は聞いたことがない。だが、そうでないと話が合わない。なぜなら、名前の父と母は既に……。

「カカシくん、君は何をしに来たんだ?」
「それは……」

白馬の王子様よろしく、婚約者の名前を迎えに来たなんて言っても信じてもらえるのだろうか。

「まあまあ、あなた、ピリピリしたら名前にもお腹の子にも悪いわ。この人は悪い人には見えないし、そんな怖い顔しないで。ね?」

妻に窘められ、男は表情をふっと和らげた。

「すまなかった。僕も気が動転してしまったみたいだ」
「いいえ、私こそ突然すみません」
「ありがとう。えっと、何だっけ。そう、確かに名前は僕達の娘だよ」

やはり、とカカシは小さく喜びあがった。火影の書庫で忍者登録証を見た時には、まさかと思った。名前と同じ姓を持ち、写真でもどことなく名前に似た雰囲気を感じさせた。
本人に会って確信した。この人はやはり名前の父親だと。だとすると、男の妻は母親だ。母親をひと目見た瞬間に、名前にそっくりですぐに分かった。いや、正しくは名前がそっくりなのだが。

「ねえさーん!」

3人の間に流れていた空気を切り裂いたのは、利発そうな女性の声。名前の母は、カカシの背後に目線を遣り「あら!」と名前も受け継ぐ可愛らしい笑顔を咲かせた。

「やっと来たわ!」

カカシの後ろから顔を出したのは、着物の似合う明るくも上品な美しい女性だった。姉さんと言っていたから、似ていないが母親の妹なのだろう。これは、名前は言っていなかった。

「妹さんですか?」
「妹って言っても、舞妓時代の姉妹の契を交わした妹だから血は繋がってないけどね。現役の芸妓なの。美人でしょう?」
「ええ、こんなに美しい姉妹は初めて見ました」
「まあ、お上手ね」

この女性のお陰で、重苦しくなりつつあった空気は何処かへ飛ばされた。妹は、カカシをまじまじと見上げ母親の隣にぴったりとくっついた。

「姉さん、この男前はどなたですか?」
「はたけさんよ。名前のフィアンセ」
「へ!?」
「え!?」

その美しさとは裏腹に、妹はオーバーリアクションでカカシを見上げた。それと同時に、父も喉の奥から声を上げた。

「フ、フィアンセだと!?」

母親は、そうよ、と父親に飄々と答えた。名前の外見は母親そのものだが、どうやら性格は似てないようだ。

「シー、名前が起きちゃう。だって、世界を跨いたんでしょう?愛する人に会う為に。そんな人を私は知ってるもの」
「……そうだな」

頬を赤らめ合う夫婦にカカシと妹は置いてけぼりを食らう。

「はたけさん、気にしないで。この2人、いつもこうなので」
「はあ……」
「私はもう慣れました」

名前は、こんな素敵なふたりから生まれて来てくれたんだ。そう考えていると目が勝手に細くなる。
幸せそうなカカシの変化に、他の3人がどうしたの?と声をかけてくるまでカカシは自分の頬が緩んでいるのに気が付かなかった。



ー80ー

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