人形姫・12





医者のお座敷通いの数は前にも増していった。
喜ばしい反面、やはり複雑な気持ちも誤魔化せない。あれから医者が名前に好意を仄めかす言葉はなくなったが、前よりも名前を包み込むような眼差しを向けているのは分かっていた。

しかし、今日は何やら浮き足立ちソワソワと落ち着かない。変だなと名前は何も言わずにいつも通りの仕事をしていたが、食事もそろそろ終わりに近付いていた時、医者が座椅子から降りて名前と向き合った。

「あの花風さん、いや、名前さん」

医者は畳の上に正座をして、名前の前に両手をついた。

「僕に、一生貴女を守らせてくれませんか」

真剣な眼差しに、いつものように笑って誤魔化してはならないのだと感じ取った。

「貴女が芸妓さんになるのなら、応援します。もし、もし」
「先生、今だけ花風のことは忘れてください」
「……はい」

名前は、向かい合うように正座をし三指を揃えて頭を下げた。

「ごめんなさい。私は先生の期待に応えることは出来ません」

医者はわかり易く肩を落とした。

「ですよね。完全なる片思いだとは分かっていました。名前さん、好きな方が居るんでしょう?」
「先生……」
「好きな人のことは、誰よりも良く見ている。それだけですよ。僕はその男性が羨ましい」

名前は、何も答えることが出来なかった。

「花風さん、僕は貴女を好きになれて幸せでした。こうして散々無礼を働いたこと、本当に申し訳ありません。本当に最低な男ですね」

医者が帰り、名前も置屋に戻る。下駄を脱ごうとしていると、お母さんが口角だけを上げてやってきた。それはとても意味有り気な顔で、名前は窺うように首を傾げた。

「お母さん?」
「お医者さん、告白でもしたの?」
「どうしてそれを」
「お茶屋さんから電話が掛かって来たのよ。大切な花風さんにご無礼を働きまして、申し訳ありませんでしたって頭を下げてたよってね。花風ちゃん大丈夫かしらって心配してたわ」
「何でもないよ」
「……そう」

お母さんは名前の肩を抱き、真っ白な頬を撫でた。

「それで、襟替えはどうする?」
「それは」

名前が口籠もっていると、始めから答えを知っているかのようにお母さんは名前を抱き寄せた。

「もう、頑張れないんでしょう?」

名前は静かに首を縦に振った。

「今まで、本当に良く頑張りました」

お母さんの言葉に名前は、両手で顔を覆った。恩を仇で返してしまうのではないかとずっと不安だった。

「アテが見つかるまでは、うちにいなさい。貴女の家はここなんだから」

かつて姉妹の契を交わした芸妓の娘と言うだけで、10年近く育ててくれたお母さん。もう裏切ることは出来ないと、名前は居住まいを正す。

「あのね、お母さん」
「なあに?」
「意識が戻って入院してた時、話してたこと覚えてる?」

お母さんは、ん、と口角を上げて頷いた。

「ええ、覚えてるわ。イケメンだっけ」
「夢の中のことは、本当なの。信じてもらえないかもしれないけれど、本当でね」

もっと上手い説明があっただろと、名前は自分の不器用さに涙が出る。涙を拭っていたら、手が白く汚れてしまった。その汚れをお母さんがハンカチで綺麗にしてくれる。その優しい手つきは母親そっくりで、名前の胸に慎ましやかに安心感が溶け込んだ。温かく綺麗な手を名前はまじまじと見つめていた。

「話すタイミングは、名前のお母さんに言い聞かされてたんだけどね。それが今なのね、やっと分かった」
「お母さんから?」
「そうよ。見せたい写真があるの」

名前が首を傾げると、お母さんは小悪魔のような愛らしいウィンクをした。






本を顔に伏せて、カカシは土手の草の上に転がった。

戦争で失った命は数え切れない。親友の目を返し、写輪眼のカカシは終わった。大切な宝物を失った今、親友が目の力だけでなく今までどれほどの勇気を自分に与えてくれいたのかと思い知った。目が無くとも、親友が教えてくれたものはカカシの中に残っている。

就任前の最後の任務を終え、あとは火影になる日を待つばかりだ。綱手からの引き継ぎを受ける中で、名前がこんな時に傍に居てくれたらと願ってやまなかった。こんな風に寝転がれるのは今だけで、就任式後は、多忙を極めるであろう。

そんな時、名前のふんわりとした膝の上で眠りたいと思ったこと、幾度となく数え切れない。

就任前とは言え、今はもう自由の身ではない。勝手な行動は許されない。カカシは、名前の笑顔を思い出していた。抱き締めた時の柔らかな表情を思い出して、カカシは幸せだった日々を噛みしめていた。

「カカシ先生ー!来てください!」

耳につんざく声。乱暴に本を顔から退かすのは、綱手の弟子のサクラ。カカシの顔を見て、寝てる場合じゃないですよ!と、カカシを起き上がらせた。

「何よ、突然」
「綱手様がお呼びです」
「はあ、またか」
「まあまあ」

ナルトに影を引き継ぐ時には、もっと余裕をもってやらないとアイツには酷だなとカカシは思った。

「早く!先生!」
「分かったよ。ありがとな」

カカシは重い腰を上げると、火影邸に足を運んだ。

「遅いぞカカシ」
「すみません」
「まあ、良い。次期火影のお前にしか出来ないお願いがあってな」
「はあ……」
「火影邸地下の書庫の整理をしてくれないか?」

カカシは、雑用かと密かに落胆した。サクラまで遣いに出してお掃除ですかと。

「それなら、他の奴でも出来るでしょう」
「火影の書庫なんだよ」
「それは仕方ないですね……」
「呆れたな?」
「あ、いえ、決してそんなことは」

蛇に睨まれて、カカシは慌てて愛想笑いを返した。

「こないだの地震で棚から全て落ちてしまってな。抜け忍と行方不明者の忍者登録証と、巻物だ。頼むよ」
「分かりました」

地下一番深くの階に降りて、綱手から引き継いだ方法で書庫を開いた。

「こりゃ酷い」

巻物も書類も、ぐちゃぐちゃだ。なんとまあ、地震があったとはいえ酷いものだ。自分が火影になったら、こまめに整理しなければ。

ひとまず足元に散らばる巻物を拾い上げる。火影の蔵書だけあって、名前すら聞いたことのない術や自来也やミナトから名前は聞いたことのある禁術ばかり。実際にお目に掛かったのは初めてで、カカシは開けられるものに目を通しながら確認し、順番通り棚に戻した。

一つ目の棚は全て綺麗にし、二つ目に取り掛かる。なんと棚はあと3つはあるのだ。その上、まだ忍者登録証は1枚も整理していない。

「引き継ぎと言うかパシリだね」

ほんとにやんなっちゃうよ、と巻物に目を通すのも飽きて来た頃、ひとつの巻物が目に入った。

カカシは、その巻物を手に取って広げた。見た事のある術式だ。
目を通しながら息をすることさえ忘れていた。綱手には、もう無いと言われていた。だが、ここにある。最後まで丁寧に一字一句確認したが間違いない。
前回、綱手に渡されたものと違い、この巻物は二対になっており、片方は口寄せの巻物で1人の名前が記されていた。

「行方不明の……」

そうだ。ここにある登録証は抜け忍と行方不明者のもの。カカシは、散らばる登録証を必死で掻き集め、それにもひとつひとつ目を通した。

「あった!」

間違いない。名前を見て、カカシの身体は勝手にはね飛んだ。嘘だろ?カカシは何度も巻物と登録証を見返すが、自分の見間違いではない。
登録証と巻物を手に、書庫から出て階段を駆け上がる。火影室の扉を蹴破る勢いで転がり込んだ。

「綱手様!」
「早いな」
「これが書庫に」

カカシは先ほど見つけた巻物と登録証を火影の机に置いた。綱手は、それを一瞥だけ遣ると頬杖をついた。

「行くか?」
「はい、行かせて下さい」
「結果はどうであれ、48時間以内に里へ戻ること。いくら私でも次期火影を匿うのには限界がある。これは命令だ。対の巻物に名前を書いていけ」
「ありがとうございます!」

指先を傷付け、対の巻物に名前を書いた。カカシは書かれた唯一の名前をもう1度よく確認した。

カカシが去った後、サクラが入れ替わるように火影室に戻って来る。カカシの尋常ではない様子に何事かと目をぱちくりさせていた。

「サクラ」
「はい、師匠」
「書庫の片付け、途中だろうから続きを頼むよ」
「え?書庫には火影様しか入れないんじゃ」
「んなの、火影の許可があれば入れるに決まってるだろ。これは命令だ」
「つ、綱手様!」

サクラが綱手に抱き付けば、邪魔くさい、早く行けと叱られた。サクラは上機嫌に謝罪の言葉を口にして、地下に繋がる階段へスキップを踏みながら向かって行った。

サクラの目には、ちゃんと見えていた。
綱手の綺麗な唇が優しく弧を描いていたことを。


ー77ー

prev next

[back]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -