人形姫・12



「さようなら」

名前が濡れた睫毛を上げて、そう唇を動かした。唇は色を失い、全てを諦めた顔をカカシに向ける。

「何言ってるんだ?俺は絶対に離さない」

カカシは語気を荒らげて、名前に詰め寄ろうとする。が、上手く歩けない。
もつれる足を見てみれば、蔦が纏わりついていた。それは重く、まるでカカシの全てを水の底へと引き摺り込もうとしているようだ。
こんなもの、ホルスターからクナイを取り出して蔦に手をかける。

鋼のように硬く歯が立たない。

蔦はじわりじわりとカカシを締め付けて行く。

「ごめんね、カカシ」
「行くな!」

名前が離れて行く。手を伸ばしても届かない。名前が暗い穴に吸い込まれて行く。蔦はカカシの足を引き千切ろうとしている。不思議と痛くはない。それよりも、名前が。名前が行ってしまう。

もうダメだ。間に合わない。

そう諦めた瞬間に、目が覚めた。

「夢……」

息が止まっていたのに気付き、カカシは深呼吸をした。昨夜、泣き疲れて眠った名前を抱きしめている内につられて眠ってしまったみたいだ。
胸元の布団を捲れば、赤い目蓋をした名前が眠っていた。夢では届かなかった手が今度は簡単に届く。ぬいぐるみをプレゼントされた子供のように、カカシは名前の体を抱き寄せた。
ああ、夢で良かった。本当に。

「すぐに戻るよ」

名前の香りを鼻腔いっぱいに吸い込む。唇を何度か落としてから、カカシは惜しむようにベッドから出た。





頭が痛くて目が覚める。

名前は、ベッドにいるのが自分ひとりだと気付いて胸に隙間風が吹いたような気がした。
泣き腫らした目は随分と酷い有り様だろう。名前はそれを確認することさえ臆してベッドの中で丸くなる。

カカシはどこにいるんだろうか。カカシならば、家の中の気配で誰がどこにいるか分かるだろう。だが、残念ながら自分には分からない。試しに目を閉じて神経を尖らせてみるが、やはり分からない。

「…………」

きっと自分は元の世界に戻らなければならない。でも、どこかでこのままで居られるような期待をしてしまう。
頭の中はグチャグチャで、整理なんてつくわけもない。帰りたくない、しかし帰らねばカカシ達を危険な目に遭わせてしまう。
カカシのような里の大切な存在ならともかく、自分はただの住民だ。自分のワガママが通る訳が無い。
自分はどうすればいい。そもそも、自分に選択の余地があるのかも疑わしい。

「名前」

優しく低い声がして、布団ごと抱き締められる。

「名前、ご飯にしようか」

カカシは声を掛けるが名前は動かない。気配は起きている筈なのだが。もう1度名前を呼んでみる。すると、布団の奥からくぐもった声がしてきた。

「泣いて顔が酷いからダメ」
「なーに言ってんの。俺の名前への愛を舐めちゃ困るね」

そう言って半ば無理やり布団を剥ぐ。それでも名前は布団にしがみつく。彼女の子供のような抵抗に頬を緩ませながら、カカシは名前を布団から剥がした。泣き顔の残った名前の顔。目蓋は腫れ、擦りすぎたのか睫毛の根本は赤く線を引いていた。
見られたくなかったのに、そうボヤいて名前は腫れた目を逸らした。

「ほらね。やっぱり可愛い」

カカシは名前を抱き上げると、キッチンに向かう。ダイニングテーブルには、温かい朝食が並んでいた。

「カカシが作ってくれたの?」
「いつも名前に作って貰ってるからね、たまには」
「美味しそう」
「そうじゃなくて、美味しいの」
「フフ、そうだね。ありがとう」

名前とカカシは向かい合ってテーブルに着くと、手を合わせた。

「いただきます」
「いただきます」

魚の切り身をほぐして口に運ぶ。
美味しいね、名前が目を細めた。

昨夜は泣きはらして食事はおろか、水もろくに飲んでいなかった。少し塩辛い味噌汁も、体に染み込むように美味しい。

「本当に美味しい」
「ありがと、名前みたいにはうまく出来ないけどね」
「そんな事ないよ。とっても美味しい」

美味しい食事はこんなにも人を元気にさせるのか。きっと、自分は大丈夫。そんな気がした。
最後の一口をお茶で流し込んで、名前は湯呑みを置いた。

「私、戻るよ。元の世界に……」
「名前……」
「私がいると里のみんなが危ないんでしょう?」
「そんなに木ノ葉は弱くない。綱手様は戻る必要がないって言ってる」
「皆さんが強いのは知ってる。でも、私は出来るだけ戦って欲しくないの。大好きな里を守れるのなら、私は戻る」
「本気なのか?」

名前は、零れそうな涙をぐっと堪えて頷いた。

「…………」

自分の感情を押し殺してでも里を守ろうとしている名前。離さない、離したくない、カカシは自分の気持ちが独り善がりのような気がしてしまう。

「名前、綱手様と話をしよう。決めるのはそこからだ」

使い終わった食器の片付けもそこそこに、カカシは名前の手を引いて家を出た。目指すのは火影室。

一体どこに到着するかなんて、カカシにも分からない。ただ、立ち止まることだけは出来ない。もう進んで行くしかないのだから。

暗くなるには、まだ早い。



ー56ー

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