蝙蝠の求愛行動

有り得ざるifの話 後編


緩やかに日々は過ぎ去り、数え切れない程太陽がミクトランを往復した。

新たな類人猿が台頭し始めた頃。実に六百万年後。ミクトランに、新たな概念が齎された。それは汎人類史に則った概念であり、思考。そして、類人猿達を統括し始める存在が現れた。名を、テスカトリポカ。戦の神である。そして戦の神と共に一人の神と一人のリーダー、一人の人物がやってきた。その名は、デイビット・ゼム・ヴォイド。一人の人間である。



「奴らめ、第五層に城塞都市を早々に建てた」

「オセロトルですか?」

「いや、殆どはあのテスカトリポカという奴の力だろう」

湯を済まし、夕餉を取っているカマソッソとミズノの話題は専ら、最近やって来てはみるみる内に頭角を表したテスカトリポカ達のことだった。

「……まさか、戦ったんですか?」

「馬鹿を言うな。ほんの少し遊んでやっただけだ」

カマソッソの暇潰しなど、される側にとったら身が持たない話である。

「お戯れは程々にしてください。いくら不死とは言え、痛い物は痛いんですから」

「……そうだな。痛みは怖い物だ」

それを言ったきり、カマソッソは口を閉じる。昔は、過去の忘却したことが発露する度に激情に苛まれていた彼だったが、六百万年も経てばほぼ気持ちは凪いていた。それこそ、想い出す頻度は減ったとしても、その際の衝動は鳴りを潜めている。

「カマソッソ様」

名を呼べば、虚空を見つめていた目がこちらを向く。その目はがらんどうで、彼の心情は伺えない。

「トウモロコシの貯蔵が少なくなってきたんです。明日狩りも兼ねて取りに行きませんか?」

なんてことない話題を口にすれば、ぱちぱちとカマソッソの目が瞬く。そして、仕方のない奴だと言わんばかりに口端を上げた。

「お前はこのカマソッソがいないと直ぐに野垂れ死ぬからな」

「否定出来ないのが辛いところですね」

こうして再び和やかな空気が流れ始める。こうして六百万年の間、二人は平凡な時を刻んでいた。だから言わなくても、お互いの気持ちを察することも、多少出来る。それはまるで陽だまりのような時間であった。


翌日、第五層に連れてきてもらったミズノはカマソッソと別れると、せっせとトウモロコシの選別を始めた。どれも艶々で美味しいが、出来ればカマソッソには血以外で美味しいと思える食事を取って欲しかった。カマソッソは狩りに行ってくると嬉々として森の方へ飛んで行った。どうやら、以前テスカトリポカから取引を持ち掛けられたらしい。何でも、代わりの物を差し出すからオセロトルを攻撃するなだとか。そして彼は知識をくれるなら攻撃しないと契約を結んだらしい。近頃、遊ぶ相手がいないと管を巻いていたカマソッソをふと思い出す。

この場にはミズノしかいない。確か、少し行ったところにある森にはラモンの実が生っていた筈だ。ラモンの実をすり潰した物はクッキーの生地として代用出来る。どうしようか、少しだけ行ってみようか。そう悩んでいれば、一つの足音が近付いてきた。

その足音には、殺意が含まれていなかった。

だからか、緩慢な動作でミズノは振り返った。そこには金髪の短髪に、ジャケットを羽織った紫紺の瞳を持った男性が立っていた。人間だ。類人猿でもない、列記とした人間がいる。それが彼を見た感想だった。

「驚いたな」

「人間がいることにですか?」

「違う。お前の在り方だ」

その一言が、全てを物語っていた。この男はたった一目見ただけで、ミズノの数奇な運命を見破ったのだ。人間のようでいて、人間じゃない。異質な雰囲気を出す男につうとこめかみに汗が垂れた。

「お前のことは気になるが、今は時間が惜しい」

ざり、と男の靴底が音を出す。瞬間、ミズノは臨戦態勢を取った。未知なる脅威。それが男に抱いた印象だった。

「警戒を解け。俺はお前と争う気はない。ここへはたまたまフィールドワークで寄っただけだ」

はあ、と一つ溜め息を零した男が告げる。

「それにお前に費やす時間もない。俺は先に行かしてもらう」

そう言って、男はすたすたとミズノの横を通り過ぎていく。その瞬間、ゾワリとした、得体の知れない感覚がミズノを襲った。ばっと、腰に提げている刀に手を触れる。

「さっきも言った筈だ。お前に費やす時間はない。それに、お前と俺では戦力差がありすぎる」

「…………」

男はそれだけ言うと、ミズノに背を向けたまま、颯爽と街道を進んで行った。そして漸く男の背が見えなくなった頃、ミズノは詰めていた息を吐き出す。異様な雰囲気のする男だった。同じ人間な筈なのに、そうとは思えなかった。刀に掛けていた手を離し、暫しぼうっと掌を見つめる。

「……非力だな」

突きつけられた現実と、痛感した現実が否が応でも襲いかかる。鍛錬はしている。それでも、まるで失ってしまったかのように力が戻らない。強さが戻らない。さっきの男が言ったように、今の自分じゃ、いや、かつての自分でさえもまともに戦えていたか分からない。

まるでお前には興味がないと言わんばかりの瞳。その瞳はくっきりと、ミズノの脳内に男の顔と共に刻みつけられた。



不思議な男と出会って一年。その間、男と二度と会うことはなかった。オセロトル達が作った城塞都市はメヒコシティと呼ばれるようになり、オセロトル達はどういった訳かディノス達を襲っていた。そしてこれまたどう言った訳か、カマソッソも戯れと称してディノス達を襲っていた。

一度、第八層と第九層の毒の霧が無くなる期間、カマソッソとあの時会った男がヤヤウキで戦っているところをミズノは見た。

「ひとりはいい、ひとりは最高だ!なにしろ守る必要がない!自らが強ければ、他に気を配る余分がない!」

そう強気に叫ぶカマソッソをミズノは見つめる。男は異質な者達を従えて、あのカマソッソですら息を上げる程の戦闘だった。勝負はカマソッソが男に勝ちを譲り、カラクルムに入ることを許可したそうだが、その日のカマソッソはいつもよりも言葉数が少なかったことを覚えている。聞けば、汎人類史に自分が存在したのかを問うたらしい。彼は、このミクトランが異聞帯であることを理解している。それはきっと、一年前彼らが来た時か。自分という存在に何か価値を見出したかったのかもしれない。彼の言葉を聞いて何となくだが、ミズノはそう感じた。


そして、それから更に時が経った頃、ミクトランに異邦者が現れた。それはミクトランを攻略せんと、第七異聞帯に乗り込んできたカルデアだった。そして、それと同じ頃。夕餉の時間に戻ってきたカマソッソは非常に機嫌が良かった。オセロトル達と戯れている時とは違う、何か高揚している様だった。

「何かあったのですか?」

「見ろ、これを」

掲げられた右手には、今までなかった赤い刺青のような物が入っていた。何かの紋様の様なそれを、ミズノは不思議そうな顔で見つめる。

「カマソッソ様。なんですか、それは」

「令呪と呼ばれる物だ。テスカトリポカと取引をして貰ってきた」

何でも、冥界線の在り方を変える代わりに令呪という物を貰ったらしい。

「これがあると、何か出来るのですか?」

「汎人類史のマスターになることが出来る。しかもただのマスターではない。汎人類史、最後のマスターだ。令呪を試行するには莫大な魔力を要するがな」

「最後の、マスター」

クツクツと楽しそうに喉を鳴らすカマソッソの顔はまるで新しい玩具を手に入れたように悦びに満ちている。汎人類史やマスターと理解の及ばない言葉が出てきたものの、彼が楽しそうならそれでいいかと思考を放棄した。そして唯一頭に引っかかった言葉、最後のマスター。まるで最後の戦士であったカマソッソと似ているなと、少しだけそう思った。

それから、数日は経たぬ内にカマソッソは「新しく冥界行に挑む奴らが現れた」と嬉々として飛び去っていった。ディノスが冥界線を下っているのだろうかと思ったが、基本、彼はディノスが冥界行をしていても何にも思わない。直々に姿を見せに行くなんて、珍しいなと思いながらミズノはカマソッソが帰ってきた時にご飯が食べられるように支度を始めた。

ご飯の支度が終わった頃、翼のはためく大きな音が洞窟内に響いた。どうやらカマソッソが帰ってきたらしい。出迎えにいこうと身を翻そうとすれば、それを抑えるように腹部にカマソッソの凛々しい腕が回った。そして突如、首元に熱い痛みが走る。

「いっ……!」

あまりにも早急な吸血と腹部を圧迫する腕の力強さに呼吸が止まりかける。熱いのは一瞬だけ。その後訪れる微かな甘さに僅かに肩が跳ねた。血を吸われ、ぐったりと体をカマソッソに預ければ、仄かに香る血の匂い。

「戦闘が、あったんですか?」

「ほんの少し戯れてきただけだ。それよりも今は身体の熱が滾って仕方ない」

ぐっと、臀部に硬い物が押し付けられる。その硬さに、ミズノの体が少し反応する。

「……血に汚れたままは嫌です」

「そうか、ならば今日は湯殿で致すとするか。それなら丁度いい」

ひょいっとミズノを抱えたカマソッソはそのまま湯殿へ直進する。いつも以上に上機嫌なカマソッソに、ミズノは首を傾げる。そんなに、戦闘が楽しかったのだろうか。

「なんだか、機嫌が良いですね」

「うふふ、此度の冥界行に挑むモノ共は実にいたぶり甲斐がある。きっとすぐに第二冥界線へと来るだろう」

その間、やることも多いがなと彼は言う。明日からは忙しくなるのだろう。カマソッソの揺れる腕の中で、そう胸中で言葉を零した。

それから二回程、同じように外から戻ってきたカマソッソにミズノは血を求められることがあった。いや、それだけではない。最近では頻繁に血を求めることが多くなっている。まるで常に空腹に急かされているような、そんな状態だった。

そして、特に彼が変わった日があった。

それは第三層に赴いていた彼がドスドスと足音荒く、ヤヤウキに戻ってきたからだ。

「カマソッソ様、如何なされて――」

言の葉を継ぐ前に手首を捕まれ、引っ張られる。そのまま彼の意図が分からぬまま着いていけば、湯殿に辿り着いた。そして乱暴に冠や装飾を外していく彼はザバンッと激しく湯に飛び込む。それを呆気に取られるようにミズノが見ていれば、カマソッソと視線が合った。その瞳には、怒り、悲しみ、憧憬、侮蔑など、多くの感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。

一緒に、入って欲しいのだろう。はあ、と短く溜め息を零した彼女は着ていた服を脱ぎ、湯に足を浸ける。そのままカマソッソの近くに寄れば、ぐいっと後ろから羽交い締めにするようにお腹に腕が回り、翼で覆い隠される。こつんと、肩口に彼の頭が当たった。ここまでカマソッソの気が掻き乱されることなど、あっただろうか。きっと出先で、彼が良く口にするカルデアと何かあったのだろう。何かあったことくらい、明白だった。

彼の気持ちに正直な尻尾が、しゅるりと足に巻き付く。何も言わない彼の頭を労るように撫でながら、時々、彼に歌っていた子守唄を歌った。

「――耐えきれぬ、耐えきれぬ。なんとも最悪の日だった」

お腹に回った腕に力が籠る。その言葉にミズノは返答せず、ただ宥めるように、ずっと唄を口ずさんだ。


「死霊魔術を用いて蘇らせたカーンの戦士達を戻してくる」

「それならば、私も手伝います」

「いい、お前はここにいろ。あの近くにはカルデアもいる。戦闘になったら、お前は足手まといだ」

「ですが……」

「ならばこのカマソッソの為に飯の準備でもしておけ」

そう言って飛び去る背中を見つめるミズノの目には物悲しい色が宿っている。カルデアという存在が来てから、カマソッソは常に楽しそうにしていた。だが同時に、苦しそうでもあった。彼の力に、なれないのだろうか。自らの掌をミズノは見つめる。

そうして戻ってきたカマソッソは泥だらけで、なのに何故か上機嫌だった。同じ湯殿に入り、彼に背中を預けてはいるものの、カマソッソは気前よく鼻歌を歌っている。

「直に第八層、九層の霧が晴れ、冥界行が解禁される。そうすれば、何が起こると思う?」

「……カルデアとの対決ですか?」

「それだけではない。あの男、クリプターとカルデアの競い合いになるだろう」

クリプター。デイビット・ゼム・ヴォイド。星喰いの怪物、ORTを復活せんと暗躍している人物。またあの怪物が復活なんてしたらたまったもんじゃない。ミズノは心の中でカルデアが先に第九層に到達することを願っていた。

「オレの退屈も、ここまでということだ」

「……まるで私との日々は退屈だったと言いたげですね」

「退屈ではなかったが、刺激が少なかっただけだ。そう拗ねるな」

「別に拗ねてません」

気まぐれで頬を撫でられるのにも慣れてきた。その手の温もりは、あの頃と何も変わらない。

そしてカマソッソの言う通り、毒の霧が晴れた頃。クリプターよりも先んじて、カルデア一行が第八層に辿り着いた。ヤヤウキ内を歩く一行を崖から見下ろす。一行の中に黒髪の少年がいた。彼が、カマソッソの言うカルデアの神官、マスターなのだろう。同じく彼らを見下ろすカマソッソをミズノは見上げる。

「カマソッソ様」

「お前はここで待っていろ。何、用が済んだら直ぐに戻る」

告げられたのは待機の命令。きっと、激しい戦いになるのかもしれない。そうなった時、自分がいてはカマソッソの邪魔にしかならない。

「分かっています。どうか、ご武運を」

頭を垂れるミズノをちらりとカマソッソは一瞥する。

「お前は本当に従順な臣下だな」

緩く笑った彼は翼をはためかせ、崖下にいるカルデアに向かっていった。彼らの様子を、そっと崖上から覗き見る。距離が離れているものの、洞窟内は酷く音が響く。ミズノは彼らの会話に耳を傾けていた。

女、ニトクリスを差し出せば近道を教えるというカマソッソに、カルデアは拒絶を示す。そして彼らは、最も言ってはいけないことを口にした。

「ORTを倒したというのは、本当?」

その瞬間、カマソッソの纏う雰囲気が変わる。ぴりぴりと肌を刺す緊張に、ミズノは知らずの内にゴクリと唾を飲み込んだ。

「その問いはオレへの挑戦だ。その問いはカーンを辱める暴言だ。然るに」

カマソッソの表情が、凶悪に歪む。

「暴言には、暴力で返答する。その覚悟があっての発言に相違ない」

ORTに課した所業を述べた彼は言う。

「それを信じられぬというのなら、その身を以て教えてやろう!」

カマソッソの体に沢山の精霊と蝙蝠が纏わり付く。彼は言う。カルデアのマスターの気持ちが分かると。いや、その気持ちは忘れたと。王者には不要なものだと。人類最後の戦士には不要なものだと。

「――オレの名を語るがいい。カーンの勇者。蜘蛛殺しの蝙蝠。王冠を捨てし王。臣民すべてを生贄にしなければ、世界も救えなかった弱きもの」

カマソッソの語る言葉がミズノの耳に届く。忘却したと言っても、心の奥底で彼の魂にそれは刻まれているのだ。例え忘却のふりをし、狂気のふりをしていても。

「カマソッソ様……」

どこか胸を悲しくさせる言葉に、近くの岩をぎゅっとミズノは握った。

「試すがいい、カマソッソの鮮血を!カーンの民が身を捧げたシバルバー、その恐怖の真髄をな!」

そして、ORTを破った姿を現したカマソッソとカルデアの死闘が始まった。


激しい戦闘の中、無数の蝙蝠がカルデアに襲いかかる。そして程なくして、カマソッソが一人の女、ニトクリスを抱えて戻ってきた。そして彼はニトクリスを横たわらせると、顔をミズノへと向けた。

「来い」

短い命令がミズノの耳に届く。彼女は崖の近くから小走りでカマソッソの元へと近寄った。岩場に腰掛けたカマソッソの膝上に座る。そして彼は躊躇なく、彼女の首元に噛み付いた。じゅるじゅると、血を啜る生々しい音が響く。最早痛みに慣れてしまったのか、僅かに肩を跳ねさせたミズノは眉間に皺を寄せ、その行為を受け入れる。その頬は、僅かに上気している。そしてその音によってか、それとも時間の経過か、ニトクリスは目を覚ました。そして、目の前で繰り広げられている光景に絶句した。

「あ、貴方!一体何をして!」

「何だと?食事以外になかろう。此奴の血はそこらの者達よりも上手く、甘美だからな」

「貴方も何故抵抗しないのですか!?」

「……私は、カマソッソ様の臣下です。抵抗する意味などありません」

上がる息の中、はっきりとした口調でそう述べるミズノにニトクリスは言葉を失う。何より、カマソッソに臣下がいるなど、この時初めて知ったのだ。カマソッソの吸血が終わり、くたりと体を寄せるミズノをカマソッソは抱きとめる。唯の臣下と言いながら、まるで矛盾している動作にニトクリスは唖然とした。そして食事が終わったカマソッソはニトクリスに問い掛ける。二人が問答を交えている間、ミズノはそれをじっと聞いていた。確かに、カマソッソが勢いで生きているという点は、ミズノも同意だった。

「すべてを忘れてしまえば、過去など“何も”なかった事になる。何の苦しみも憂いもない、自らの影すらない、“今”が永遠に続くのだ」

そこまで言ったカマソッソに、ニトクリスはやはり……と思いながら、ずっと疑問だったことを口にした。

「彼女を傍に置いているのも、それが理由ですか?」

「…………」

ニトクリスの言葉に、カマソッソは口を閉ざす。それは一瞬の間だった。

「勘違いするな。此奴は使えると思って傍に置いているだけだ。それ以上の意味などない」

断言し、そして異霊にだけはなるなとカマソッソは言う。それにニトクリスは不敵な笑みを見せ、もうすぐ私の仲間が助けに来ると言う。再び始まる問答の中、ミズノはカマソッソの腕の中で複数の足音が聞こえてくるのが分かった。そして、視線をそちらに向ければ、少し驚いた表情をしたカルデアがいた。現れたカルデアに、カマソッソは一瞬絶句するも、直ぐにふっと、どうしようもないといった笑みを浮かべた。

「それなり、ではなかったか。まったく――諦めが悪いな。ヒト型の、人類というヤツは」

「……カマソッソ様と、同じですね」

「戯け。オレを奴らと同じにするな」

そして腕からミズノを解放した彼は、「離れていろ」と短く言葉を告げる。それにこくりと頷いた彼女は、カマソッソ達から離れるように後方に下がった。再び挑みに来たカルデアに心を震わせるカマソッソが言の葉を紡ぐ。その中にはカルデアの感謝も含まれていた。きっと、久々に高揚しているのだろう。そうミズノは感じ取った。

「勇者の血を祭壇に!人理の徒を墓穴に!汝、同胞たる人類史りんじんを殺す時だ!」

そして再び開戦された戦いは、カルデアが何とか切り抜けているものの、依然としてカマソッソが有利だった。今回も、カマソッソの勝ちで終わるのか。そう思われた時、ニトクリスが、動いた。彼女はこの勝負に勝つ為に、異霊化をしようとしていた。それをやめろと、お前の誇りを捨てるなと、叫び止めるカマソッソの言葉を無視して、彼女は自らの心臓を捧げた。そこに現れたのは、冷酷な雰囲気を纏う、ニトクリスとは似て非なる存在だった。そして、彼女は言った。

「この冥界において、あらゆる忘却を禁じる」

それはつまり、カマソッソが六百万年の間封印し続けてきた過去が暴かれることで。同時に、ミズノがかけた術が解除されることで。

「忘却を、禁じる……?忘れることを、許さぬ、だと……?」

ぐうおああああああ!!!と叫び声を上げるカマソッソの脳内には、今まで忘却してきたカーン王国での日々や、あの日、ORTと戦った日のことが濁流のように襲ってくる。その中で、彼は深い青髪の女のことを思い出した。

「ミズノ……?」

異形化したカマソッソが、後ろを振り返る。そこには、不安げな表情でこちらを見つめる最愛の女がいた。しかし、今はそれどころではない。彼は振り切るように、目の前のカルデアへと鋭い眼光を注いだ。

激しくぶつかり合う斬撃音と、地面が抉れる音に打撃音が響き渡る。どれくらい、経ったのだろうか。ただただ、見守ることしか出来ない非力な自分を呪いながら、ミズノはカマソッソを見つめた。

「戦士達よ、市民達よ……命を捧げる程の王だったのか。家族を捧げる程の国だったのか」

何億もの人々から託されたのは、沢山の、温かな想いだった。希望だった。それが今、杭を切ったように溢れ出す。

「であれば……であるのならばあああ!!!」

彼の慟哭と、決意が入り交じった雄叫びが響く。それを聞いたミズノの頬には、生暖かい物が流れていた。それは頬を伝い、顎を伝って、ぽたぽたと地面に染みを作る。かつて見た王の姿が、そこには在った。



カルデアの痛撃な一撃が入り、カマソッソは異形化を解く。その姿は満身創痍であり、体は半壊していた。荒く呼吸を荒らげる中、今まで宙に浮いていたニトクリスが元の姿に戻った。そして異霊化のせいで意識を失っているのか、彼女は真っ逆さまへとその身を落とす。その姿が、カマソッソとミズノにはあの日、身を投げたカーンの人々の姿と記憶が重なった。

「ハ――――クァアアアアア!」

最後の力を振り絞るようにカマソッソが雄叫びを上げ、翼をはためかす。

「カマソッソ!?」

藤丸の困惑した声が響く。

「先輩!先程まであちらにいた女性もいません!」

そしてマシュの焦った声が、その場に落とされた。



「……ああ、しかし。思い出せる、とは、いい事だ」

落ちる中、カマソッソが言葉を続ける。

「それに、ミズノのことも思い出せた」

彼は、蘇った記憶に感嘆の言葉を送り、感謝を紡ぎ、そして、地面へとその身が砕けた。

「…………」

ニトクリスは、崩れゆくカマソッソの体を見つめる。と、そこに、一つの足音が響いた。見れば、そこにはカマソッソの臣下が息を上げて立っていた。彼女はニトクリスの横を通り過ぎ、崩れ消えゆくカマソッソの傍にしゃがむ。そして、その頬に手を添えると、まるで祝福を送るように、額に口付けをした。

「……カマソッソ様。永い間、ありがとうございました」

本人に聞こえているのかいないのか、その言葉を最後に、カマソッソの体は塵も残さず消え去った。それと同時に、ミズノの体に無数の光の粒が溢れ始める。

「……もしかして、貴方は」

「……ニトクリス様。カマソッソ様を救ってくださって、ありがとうございました。私は、傍にいるばかりで何も出来ませんでしたから」

そう目を伏せて言うミズノの消えゆく手を、ニトクリスは優しく手に取った。

「そんなことありません。それこそ永い間、ずっと傍で支え続けるなど、並大抵のことではありません。きっとカマソッソも、そんな貴方に救われていたのだと思いますよ」

「……ふふ、ありがとうございます。そうだと、嬉しいです」

泣きそうな顔でそう笑った彼女は、それを最期に、光の粒となって消え去った。カマソッソとミズノのいた痕跡は、何も残っていない。ニトクリスはその場所を、切ない目で見つめていた。



戦死したミクトランの人間は、その魂を次の戦いに向けて休めるためにミクトランパに送られると言われている。カルデアの戦闘後、目を覚ましたカマソッソは煙の世界に立っていた。自分の変わらない体を見て、周りを見て、一人ここがあの世かと納得する。特に行く宛てなどなかったが、彼は足を動かした。なぜだか、そちらに向かわなければならない気がしたからだ。そして、暫く歩いた彼の視線の先に、少年の頃からずっと見てきた、深い青髪を持った人物が立っていた。その姿に、喉が一瞬、震える。それでも、その名を呼びたいと、口にして駆け寄った。

「ミズノ!」

呼ばれた女が、振り返る。その顔はずっと、ずっと、永い間見てきた物と変わらない物で。衝動のまま、彼は彼女を抱き締めた。そして怖々と、カマソッソの背中に回る腕に、より一層、彼は腕の力を込めた。

「カマソッソ様……」

肩口に埋めていた顔を上げ、カマソッソとミズノの視線が絡み合う。カマソッソは込上がってくる感情を、そのまま言葉にした。

「永年、変わらず傍にいてくれて、感謝する。そして時に、酷い仕打ちを多くしてきた。本当にすまなかった」

「私こそ、傍にいるだけで何も出来ず申し訳ありませんでした。それと、謝らないでください。ずっと傍に置いてくださって、嬉しかったんです」

目の端に涙を浮かべ、ミズノは気持ちを、感謝を吐露する。そして二人は見つめ合うと、緩く微笑み会い、おでこをこつんと合わせた。それはまるでお互いを許し、感謝する合図だった。

「――っと、イチャつくのはいいがね、やるなら他所でやってくれないか?」

突然聞こえた声に、二人はそちらに目を向ける。そこには金糸の流れるような長髪に黒のジャケットを羽織ったテスカトリポカが溜め息を吐いて立っていた。その視線には呆れが存分に含まれている。突然現れた第三者にミズノが狼狽える中、カマソッソはは?何故?と言わんばかりの表情を浮かべていた。ちゃっかり、ミズノの腰に手を添えてである。二人の熱さに、こりゃ何を言ってもダメだなと早々に諦めたテスカトリポカははあ、と再び溜め息を吐いた。

「まあいい。とりあえず座れよ。他の奴らもお待ちかねだぜ?」

ニヤリ、と笑い、くいっと親指で後ろを指した彼の方向には、沢山の人達がいた。それは皆、見覚えのある人物で、そこにいたのはあの時、カマソッソへと身を投じたカーン王国の人々だった。予期せぬ人物達に、二人は目を見開く。どうやら、カマソッソがミクトランパに送られると同時に、彼を構成していた臣民達も送られたらしい。カマソッソ達に気付いた民達が急にがやがやと騒ぎ始めた。

「あ!王も来たんですね!」

「しかも二人揃って見せつけてくれちゃって」

「挙式はいつ上げるんですか?」

二人を囃し立てる民達の声が流石に応えたのか、カマソッソは照れたようにそっぽを向き、ミズノははにかみ、照れたように笑った。そしてカマソッソはミズノの体から手を離すと彼女の手を恭しく取る。

「エスコートをさせて貰っても良いか?」

彼にしては似合わない言葉に、ふはっとミズノは笑った。

「ええ、喜んで」

そしてミズノはカマソッソにエスコートされるように、久しぶりに会う民達の元へと向かった。

――忘れなければ、そこにいた者達は永遠に続くのだ。もう二度と、お前を忘れぬ。

そうカマソッソは誓いを立てるように、心に言葉を刻んだ。


【補足情報】
23/11/20
prev next
back
- ナノ -