亡霊が思うには


 07

 藤也に連れてこられた先、大きな岩の傍に見覚えのある四人の姿を見つける。
 俺は、考えるよりも先に幸喜の影に向かって走り出していた。

「見つけたぞ……幸喜ッ!!」

 考えるよりも、身体が先に動いていた。
 薄ら笑いを浮かべこちらを見ていた幸喜。気付かれても構わず、俺はそのまま幸喜の胸倉を掴み、仲吉たちから引き剥がすように木陰へと押し倒す。
 幸喜の身体は、いとも容易く吹き飛んだ。まるで紙かなにかのように、重力も感じさせないまま幸喜は地面の上、仰向けに倒れる。

 逃げられてたまるか。そのまま、やつの上にマウントをとれば、身体の下、幸喜は逃げる様子もなく楽しげに笑う。

「準一、本当お前ってイノシシみたいだよな。真っ直ぐに突っ込むことしかできねーのかよ。俺じゃなかったら即死だぞ、即死」
「うるせぇ、よくもあんな真似……仲吉たちに何もしてねえだろうな!」
「するも何も、ただの人助けだってのに……本当お前って心配性っつか、過保護すぎじゃん?俺のことなんだと思ってんの?流石に俺、凹んじゃいそー」

「……人助け?」

 どうせ、いつもの適当だと思っていたが、後方、残された三人がその場から立ち去るのを身で感じる。
 そちらにちらりと目を向けた幸喜は「そう、人助け」と上機嫌に応え、そのままゆっくりと上半身を起こした。
 身構え、咄嗟に胸倉を掴もうとすれば、幸喜は「逃げないから」ってまた楽しげに笑う。

「ハンカチ落としたっつーから、昨日休んだって場所まで連れてきてやったんだよ。わかった?」
「……信じらんねー」
「なら結構、お前の大大大好きな仲吉にでも聞いてみろよ」
「……」
「それよりも、いつまでそこにいるつもりだよ。ま、俺は別にいいんだけどさ」

「眺めいいし」と、年不相応の意味深な笑みを浮かべる幸喜に、俺は視線を落とす。一瞬なんのことかと思ったが、「これ」と、俺の腰に手を回した。ツゥッと背筋を人差し指でなぞられ、慌ててやつから飛び退く。
 さっきまで焦りと緊張で煩かった心臓が、別の意味で煩くなる。全身の血液が触れられた箇所に集まる感触は、出血にも似ていた。

「っ、お前……」
「っく、ふふ、ははっ!準一って本当単純つーか、いい加減慣れろよ。お前学習能力ねえの?それとも、完治した都度処女膜まで再生してんのかな?」
「……ッ、……、……ばっかじゃねえの……」

 相手したくない。言葉すら出てこない。
 ニヤニヤと笑う幸喜の言葉に、頭が痛くなる。
 本当、嫌いだこいつ。
 前回、義人の件があって、少しは人間味あるやつだと思ったが全部俺の勘違いだったようだ。
 一緒にいたくない。顔も見たくないが、こいつを野放しにしてるとまた仲吉たちに何を仕出かすか分からない。
 躊躇いがやつにまで伝わってしまったようだ。いきなり、立ち上がった幸喜は俺の顔に手を伸ばす。

「……試してみようか?」

 そっと、顎先を掴まれ、顔を近付けられる。
 嫌な予感に血の気が引き、「触るな」と、やつから顔を逸したときだった。
 いきなり、目の前の幸喜の頭が吹っ飛んだ。
 というよりも、飛んできた何かが幸喜の頭を横殴りし、そのまま幸喜の身体はそのまま地面へと投げ出される。瞬く間に幸喜の頭から流れる血の海が出来る周囲。
 一瞬の出来事に脳の処理が追い付かず、呆然としてるときだった。音もなく現れた藤也は、そのまま幸喜を引き摺り上げる。

「っ、おい……」
「いってぇな、お前手加減くらいしろよ」
「……どうせ、死なないだろ」
「死なねえけど、そういう問題じゃねーんだよ。お前には人の心ってものがないのかよ?この馬鹿力」

 俺からしてみればお前が言うなと言いたいところだが、一応、藤也は助けてくれたようだ。というか、聞かれていたのか、今の会話。
 そう思うと酷く居た堪れないが、幸喜と二人きりでいるよりかはましだ。そう思うことが末期なのかもしれない。

「藤也、仲吉たちは……」
「戻って行ってた。……多分、そのまま変えるんじゃないの」
「……そうか」

 その言葉を聞いて、ほっとする。幸喜が普通ではないと気付いたのか、どちらにせよこれで良かった。
 あわよくば、このまま真っ直ぐ家に帰ってほしいくらいだが、仲吉のことだ、難しいだろう。
 ……それにしても。

「ありがとな、藤也……幸喜の居場所教えてくれて」
「居場所っていうか、たまたま途中で見つけたようなものだけど」

 そう、ぶっきらぼうに応える藤也。
「そうなのか?」と藤也を振り返った次の瞬間、藤也の背後、ぬらりと現れた黒い影は高く振り上げたそれを藤也の頭目掛けて振り落とす。それは痛んだ角材のようだ。歪な音を立て、角材は折れる。殴られた藤也はというと、顔色一つ変えずにゆっくりと背後の幸喜を睨み付けた。

「相変わらず石頭だな」
「……お前は、殴ることしか能にないんだな」

 俺でも分かる、藤也がキレてる。
 折れた角材の破片を持って、幸喜の顔面に叩き込む藤也。そしてそれを躱す幸喜。見てるほうが顔を背けたくなるレベルの殴り合いだが、もしかしたら本人たちにとってはただのチャンバラごっこなのだろうか。
 いつものことなのでそろそろ慣れなければと思う反面、慣れたくないという気持ちもある。

「おい、危ないぞ……」

 と、仲裁に入ろうものなら例のごとく流れ弾が飛んでくる。ひゅんと音を立て、顔の横を飛んでいく岩。
 ……本当、この兄弟は。
 俺は、止めるのを辞めてそのままその場を立ち去った。

 藤也には幸喜がいないときにお礼を言おう。
 ……しかし、普段落ち着いてるのかただぼんやりしてるのかよく分からない藤也だが、中身は年相応ではあるということなのか。……分からん。

 それにしても、殴られても逆に角材の方が折れるとは、藤也の精神の構造はどうなってるのだろうか。まだ、幸喜は頭が飛ぶし首も外れるだけに、明らかに人間離れした藤也のメンタル諸々には一周回って羨ましくもあった。
 ……殴られても痛くもなんともないと思ってるのだろうか。義人の防衛本能の具現化である藤也だからこそなのか。
 ……俺も見習いたいところだが、そこまで人間を辞めたくない気持ちもあるから不思議なものだ。
 幸喜に触れられた箇所を拭いながら、俺は仲吉たちの車が停められてるであろう方角に目を向ける。遠くから蝉の声に混じって車のエンジン音が聞こえた。
 ……一応は帰るようだ。
 無意識の内に身体の緊張が解けたようだ。ほっと一息つき、俺は、館へと戻ろうとしたときだ。

 木々の奥、見覚えのある派手な金髪頭と赤シャツの後ろ姿を見つけた。
 南波だ。どこに行ってるのだろうか。
 森よりもビルやコンクリートの町並みにいた方がまだ馴染んでるのではないかといった姿の南波は、緑の中では酷く異物感がある。
 俺は、例の写真に写ったもう一人の南波のことを思い出す。
 もしかしたら、と俺は南波の後をつけることにする。決まったわけではないが、指輪のこともある。
 ……色々言い訳するが、単純に南波が気になったのだ。
 俺は、なるべく南波を驚かせないようにその後をそっと隠れながら追いかける。

 どこまで行くのだろうか。
 灰色に濁り始める空の下、また雨が降るのだろうかと空を睨みながらもその背中を追い掛けた。

 南波がやってきたのは、以前奈都とやってきた空き地――否、墓場だった。

 ここには南波たちの死体が埋められてると聞いたが、どうして南波がこんなところに。
 なんだかストーカーみたいで気が引けるが、実際やってることは同じだ。
 ただの散歩のようには感じない。

 自分の足場を眺める南波。見たこと無い横顔だった。
 ……もとより、あまり南波の顔をちゃんと見たことなかった。いつも血まみれになってるか、死にかけているかだ。
 無表情、というよりも、何かを考えてるような……そんな表情だった。
 思い詰めてる様子はないが、なんだか……見てはいけないものを見てしまったような、そんな罪悪感に苛まれる。
 やっぱり、戻るか。……コソコソするのは性に合わない。

 俺は、その場を離れようとした、その時だった。
 足元、小さな枝を踏んでしまい、ぽきりと音が鳴る。
 しまった、と思ったときには遅かった。こちらを振り返った南波は、ぎょっと青褪める。

「っ、じゅ、準一……さん……ッ!!!」

「……ど、どうもっす……」

 やってしまった。
 ここで逃げるわけにもいかない、俺は、なるべく南波を怖がらせないように笑顔を浮かべながら、軽く挨拶した。恐らくとんでもなく引き攣ってるに違いないが、仕方ない。
 さっと近くの木陰に隠れた南波。俺は、こうなったらしかたないと、咄嗟に「南波さん!」とその背中に声を掛けた。
 同時に、「ひぃっ!!」っと情けない声を上げ、木陰の向こう、南波は縮み上がる。

「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!準一さんの邪魔して申し訳ございませんでした!!」
「あ、あの、別に邪魔とかされてないんで……っすみません、でかい声出して」

「あの……実はちょっと南波さんに用があって」頑張って声音を柔らげる。何故俺は自分よりも年上の、大の男に対して子供に接するみたいに中腰になってるのか。考えるだけ虚しいので思考放棄する。

 俺は、ポケットの中に入ってる指輪に触れた。
 指輪のことは聞かないにしろ、何かしら南波にもあの写真のことが関係してることには違いない。
 少し、話を聞けないだろうか。

「よ、よ、よ用って、……じゅっ、準一さんが俺に……?」
「あの、6月23日ってなんの日か知ってますか?」

 単刀直入に尋ねる。
 木陰でブルブルと震えていた南波の身体が、ぴたりと動きを止める。そして、俯いていた南波の目がこちらを向いた。

「6月……23日?」
「あの、心当たりがなかったら別にいいんすけど……」
「……」
「あの、南波さん?」
「……23日……ッ……ぐ、ぅ……!」

 いきなり、呻き声を上げる南波。頭を抑え、苦しみ始める南波に慌てて駆け寄る。

「南波さん!大丈夫ですか、南波さん!」
「ッ、く、ぅ……痛ェ……ッ」
「南波さん……っ!」

 俺が変なこと聞いたせいなのか、頭を両手で抑え、俯く南波の顔が赤くなる。けれど、流血するわけでもなく、その代わり血管が浮かび上がる額からは脂汗が滲み、流れた。
 咄嗟に背中を擦るが、南波はいつものように俺に反応しない。ただ、赤く充血した瞳は地面を見詰めたまま、白くなるまで食いしばった唇からは悲痛な声が漏れる。
 どうすればいいんだ、と一人混乱していたときだ。
 いきなり、南波はがばりと顔を上げた。そして、こちらを振り返る。

「な、んば、さん……?」

 こんなに至近距離で俺を見たらまずいんじゃ、と思ったが、南波の反応は俺が想像していたものと違った。
 目を見開き、そのまま硬直した南波は、俺の方を向いているもののその瞳に俺は映し出されていない。

「……6月、23日……思い出した……」
「………………え?」

 ぽつりと呟き、いきなり立ち上がった南波は俺に構わず、そのままどこかへと駆け出した。

「っ、な、南波さん……!」

 大丈夫なんですか、と聞く暇もなかった。
 まだ昼間にも関わらず、夜のように真っ黒な空で覆われた空の下。ぽつりと小粒の雨が落ちてくる。
 俺は、なんだか良くない予感がして、慌てて南波が消えていった木々の間をかき分け、その後ろ姿を追い掛けた。

 一人にしてはいけないような気がして、追いかけてみたはいいが南波の姿を見失ってしまう。
 どこへ行ったのだろうか。
 隠れていないか、草の影や木の後ろも確認するが見当たらない。
 心配だが、こうなってしまってはこの山の中を探し回るのも手が折れる。俺は、一度屋敷へと戻ることにした。
 それにしても、6月23日、何があったのだろうか。記憶を思い出す引き金になってしまったことには違いない。奈都が懸念していたことだ。
 俺は余計なことをしてしまったのではないか、不安になったが、少なからず、あのカメラに写った訳分からない写真が南波に関連してることに違いないだろう。
 分かっただけでもいい。……そう、プラスに考えることしか、今は出来なかった。
 ぽつりぽつりと落ちてくる雨粒は次第に量を増していく。丁度館に駆け込んだとき、外の雨は一層強くなった。

「おかえりなさい、準一さん」
「奈都……ただいま」
「危なかったですね、花鶏さんが言うにはこれから嵐が来るそうですよ。雨脚が強くなる前に戻られて、安心しました」
「……嵐……」

 南波さんは、もう戻ってきてるのだろうか。

「……あの、奈都、南波さんって戻ってきてるか?」
「いえ、僕はずっとここにいましたけど、見かけてませんね。もしかしたら部屋に篭ってるんじゃないんですか?」
「……そうか、ありがとう」

 俺は奈都に別れを告げ、そのまま南波の部屋へと向かう。
 窓の外はすっかり淀み、滝のような雨が降り注いでいた。
 ここ最近、天気が悪いな。天気があまり関係ない体になったとはいえ、やはり雨は気分も晴れない。
 南波の部屋の前、そっと扉をノックする。が、物音一つ聞こえてこない。
 ……いないのだろうか。
 少しだけ迷ったあと、俺はそっとドアノブを捻った。
 以前のように扉の向こう側から謎の力が加わるわけでもなく、すんなりと扉は開いた。

 南波の部屋は、藤也たちの部屋とはまた別の意味で散らかっていた。部屋のど真ん中に置かれた、革のソファー。その周辺には経済新聞や週刊誌、どれも数年前の日付のものが乱雑に積み重ねられていた。その傍に置かれたサイドボードには、数独やクロスワードパズルの本もたくさん置かれてる。
 暇潰しに使っていたのか、ボロボロになっていた。

 ……俺は、南波のことを何も知らない。だからこそ余計、どれも意外のように感じた。
 ペンシルパズルよりも馬券握り締めていた方がしっくりくる粗暴なイメージがあったから、余計、俺でも難しいような単語が並ぶ硬派な経済雑誌を読んでる姿が想像できない。
 外の世界に興味があったのだろうか。
 一見して、俺はそんな風にも思えた。

 ともかく、南波の姿はなかった。
 主が不在の部屋を物色するのも不躾だ、俺は部屋を後にする。その時、通路の奥で影が動く気配がした。顔を上げれば、そこには。

「……花鶏さん」
「珍しいですね、貴方が南波の部屋から出てくるとは。……驚きました」

 含みのある言葉が引っかかったが、なにも後ろめたいことはない。俺は、「南波さんを探してただけです」とだけ応える。

「南波ですか?……まだ外にいるのではないですか。ここへは戻ってきていないですね」

 花鶏の反応も奈都と同じだった。
 ……やはり、まだ外のどこかにいるのだろう。響く雨音に、胸の奥のざわつきは一層大きくなるようだ。

「心配ですか、南波のことが。……やはり、夜を共にすると愛着が湧くもののようですね」
「……その言い方、なんか嫌なんですけど」
「失礼しました。……確かに貴方は南波に限らず誰にでもそのような態度を示しますしね」
「……」

 褒められてる気はしない。が、それ以上に俺は、このタイミングで現れた花鶏になんとなく意図を感じずにはいられなかった。
 あまり会いたくない人ではあるが、誰よりもこの場所を把握しているのは花鶏だろう。
 俺は思い切って、6月23日について心当たりがないか花鶏に尋ねてみる。が、反応は変わらなかった。

「6月23日ですか……ここに来てからというもののまともに月日を把握しきれていませんでしたからね、何があったのかと聞かれると、なんとも」
「そうですか」
「6月下旬となると梅雨も空けて夏も始まった頃……確か、南波を見つけたのもそんな日でしたね」
「……っ、ほ、本当ですか?」
「さて、どうでしょう。私も年のため記憶が定かではありませんが……」

 なんて、花鶏は口にするが、もしそれが本当だとしたら……南波の命日だということなのだろうか。だとすると、思い出させない方がよかったのか。
 不安になる俺とは対象的に、花鶏はどこか懐かしそうで。

「今思えば、南波の場合、少々他の方とは仕様が違いましたからね。……最初は、自分が誰だか思い出せず、それこそ人魂のような姿で森の中で散歩してたんですよ。……あれの方が、愛嬌があって可愛くもありましたが」
「……思い出せない……」

 記憶喪失、というのか。死んでるのに、と、考えて、さっき南波が何か記憶を取り戻していたことを思い出す。
 ……もしかしたら今まで南波は何か欠けた状態でいたということなのだろうか。
 花鶏に相談するか悩んだが、俺一人が抱えていてもいい問題ではない気がした。それに、奈都には止められたが、花鶏は一番の古株だ。何かと頼りになるのも、事実だ。

「……あの、花鶏さん」

 俺は、おずおずと例のカメラと指輪を取り出し、花鶏に相談することにした。
 花鶏は、茶化すわけでもなくただじっと話を聞いてくれた。
 手渡した指輪を指先でつまんでいた花鶏は、「……なるほど」と静かに呟く。

「何やら様子がおかしいと思えば……そんなことがあったんですね」
「……あまり土足で踏み入るような真似、しない方がいいって分かってるんですけど……気になって」
「そうでしょうね、貴方のようなじゃじゃ馬、そういませんし」
「じゃ……」
「ですが、興味深いですね。……元々、カメラにしか映らなかった南波のこともあります。深層へと隠していた何かが、貴方の暇潰しで探り当てられるような事になるとは、南波も思っていなかったのではないでしょう」
「……けど、そのせいで南波さんの様子おかしかったですし……まだ部屋に戻ってきてもないですし、気になって」
「心配しなくても、我々に帰る場所はこの屋敷以外ありません。……時期戻ってきますよ」
「……」
「それと、準一さん。……この指輪なんですが、一時借りていてもよろしいでしょうか」
「別に、いいですけど……」

 変なことに使わないでくださいね、とは言えなかった。何かを思案するような花鶏の目に、ふざけた色は見えなかったからだ。
 俺の視線に気付いた花鶏は、「ありがとうございます」と柔らかく微笑む。
 結局、手がかりは手に入らなかったが、花鶏も色々探ってくれるようだ。
 俺は、一度花鶏と別れ、自室へと向かうことにした。


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