馬鹿ばっか


 02

「っ、ふ、ざけんなよ……っ、人をこんなド田舎に連れてきておいて一人だけ帰るって、なんだよそれ」

 あまりにも勝手な言い分に堪らず言い返したとき、岩片の眉がぴくりと動いた。そして、口元にはいつもの腹立つ笑み。

「ハジメ、お前さぁ……まさか自分だけ置いていくな、とか言うつもりじゃないだろうな」
「当たり前だろ、お前が言うからこんなところまで来たんだろ。俺は、この学園に用なんか……っ」
「……それってさぁ、もしかして俺がいないからとか?」
「は?」

 ソファーの上、伸びてきた岩片の腕は俺の逃げ道を塞ぐのだ。あっという間に追い込まれるような体制の中、内心やばいと思ったがここで動揺を悟られてはこいつの思うがままだ。

「……勘違いすんじゃねえよ、俺は一般論で言ってるんだよ。誰も、お前に着いていくとは言ってねえ。ここに置き去りにするくらいならせめて実家まで送り届けろって言ってんだよ、人を転校までさせやがって」
「ふーん……?なるほどなぁ」
「っ、なんだよ……」
「……じゃあこうするか、お前も帰りたいんなら実家でも学園にでも好きなところまで車出してやるよ。手続きも、任せろ。その代わり、そのあとは俺は一切お前と関わらない」

 正直に言おう、俺は、このとき確かに落胆した。
 というよりも、失望に近いかもしれない。このゲーム、明らかに有利なのは俺だ。そんな中岩片がこのルールを持ち出したということは、岩片は少なからず俺とこの先関わらなくてもいいと思っているということだ。別に、俺だってこっちから願い下げだと思うのに、よりによってこんなクソみてーなくだらねえゲームの餌にされて腹立った。そんなものかよ、別に、別にいいけど。こんなやつに人間味だとか人としてのなんたらを期待していたということにも余計腹立ってくる。

「おいおい、なんでお前がそんな顔するんだよ、もっと喜ぶところだろ」

 ハジメ、と頬に伸びてきた手。拘束が緩んだ瞬間、その胸ぐらを掴んだ。岩片はさして驚くわけでもなく、「おおっと」とアホみたいな声を出しておどけた。そんな仕草が余計癪に障るのだ。

「……なにが、俺がいないと駄目だ。それはお前の方だろ」
「………………」
「上等だよ、お前に絶対言わせてやる。俺じゃなきゃ駄目だって、言わせてやる」

 腹立った。俺とこいつの今まで一緒にいた中、こいつは俺に情の一片すらも沸いてないのだ。決定的な部分が大きく欠けた男だと思っていたが、正直に言おう、俺は少しくらいは……一ミリ二ミリぬらいはこんな男でも友情のようなものを感じていた時期もあった。こいつがこういう風に接してくれるのは俺だけだと宣ってた時期もあった。ああ、馬鹿馬鹿しいな。そんなもの俺の思い込みだったわけだ。
 現に、目の前の岩片はこれまでにないほどの楽しげな笑いを浮かべていたのだ。

「そりゃあいい。……後悔するなよ、自分の言ったこと」
「そりゃこっちのセリフだ。約束守れよ」

 このときの俺の精神状態は冷静からかけ離れていた。頭に血が昇っては、沸騰したままお湯が溢れた状態だ。そんな俺を冷静にさせてくれたのは、外から聞こえてきた政岡の声だ。俺を探すうるせえ声が廊下の方から聞こえてきたのだ。

「どうやらあの犬が戻ってきたらしいな。騒ぎ出す前にさっさと部屋に戻った方がいいんじゃねえの」
「言われなくてもそのつもりだ、邪魔したな」

 つか、退けよ。とその胸を押し返したとき、そのまま手首を取られる。

「……ハジメ」

 また来いよ、とそのまま手の甲にキスされそうになり、振り払った。

「じゃあな」

 そのままソファーから降り、俺は岩片の部屋を出た。
 最悪だ、まだ、心臓が煩い。指の感触も残ったままで、俺は制服の裾でごしごし拭って取れないか試みるが無理だった。

「…………はぁ」

 クソでかい溜め息も吐きたくなる。
 なんで、こんなことになったのか。一人になってからようやく頭の熱が落ち着いていくようだった。
 けれど、ああいうしかなかった。我慢できなかった。俺だけがなんでこんな理不尽なことされなきゃらないのか、それなら、と言い出した自分の言葉だが今となれば訳がわからない。

 岩片に『お前じゃなきゃ駄目だ』と認めさせる?……ぜってー無理だ。
 できんのか、そんなこと。相手は俺よりも偏屈で面倒な男だぞ。思い返せば思い返すほど頭がズキズキと痛んでいた。

 悪い癖だ。……売り言葉に買い言葉。
 馬鹿にされると後に引けなくなる。負けず嫌いな性格は損しかならないとわかっていたはずなのに。
 あいつの言葉を認めたくなかった。
 俺は、あいつに止めてほしいわけじゃない。断じて違う。そんな、いじらしい乙女みたいなことあいつなんかにするわけないだろ普通に考えて。
 ……クソ、またムカムカしてきた。
 一旦冷静になるついでに乾いた喉を潤そうかとラウンジの自販機でドリンクを買ったとき。

「尾張!」

 ドタバタと近づいてきた足音に振り返れば、そこには政岡がいた。安堵したような顔。よほど俺が部屋にいないことが心配だったようだ。

「尾張、どこに行ってたんだよ」
「喉乾いたからジュース買いに行ってたんだよ」
「それなら……いいけど、すげー心配するから一言くらい言ってくれ」
「……悪かったな、心配かけた」

 こいつの場合、心配し過ぎな気もするが確かに前回が前回だ。ついでにもう一本ジュースを買う。政岡が好きだと言っていた強炭酸のコーラだ、それを「ごめんな」とお詫び代わりに渡せば政岡は「お……さんきゅ」と嬉しそうな顔をして、すぐにむっと顔を顰めるのだ。どうしたのかと思えば、そっと頬に伸びてくる手にぎょっとする。けれど、その手は俺には触れなかった。けど、政岡の目は確かに俺の口元に向けられた。 

「尾張、お前……怪我したのか?」

 あ、と思ったときには遅かった。
 ――岩片の血が俺の唇に残っていたらしい。やべ、と思いながら俺は手の甲で口元を雑に拭う。

「乾燥してたんだろ。別に、大したことない」
「尾張……っ」
「それより政岡、電話の件は大丈夫だったのか?」

 部屋にいたとき、政岡の携帯にかかってきた電話のことを思い出す。話の内容からして能義関連だとわかったが、そのまま政岡は部屋を出ていったきりだったのだ。
 政岡は露骨に会話を逸らされ戸惑ったような顔をしていたが「ああ」と頷いた。

「いや、大丈夫じゃないんだが……後輩が能義の野郎を見かけたらしいがまた逃げられたらしい。あいつ、逃げ足だけは早いからな」
「…………ふーん、そうか」
「尾張?」
「いや、なんでもねえ。それより、五十嵐の部屋の修繕はまだ掛かりそうなのか?」
「ああ、多分今日業者が来るから夜には間に合うと思うが……」
「そうか、良かったな。……早めに五十嵐にも伝えておけよ。お前も、今夜からはゆっくり部屋で寝れるようになるな」

 とは言え、今朝だってこいつはまともに俺のベッドを使わなかったわけだけど。俺に気遣ったわけではないだろうが……。
 けれど、一人用のベッドに男二人ぎゅうぎゅう詰めになって眠るよりかは絶対自分の部屋のベッドを広々と使う方がいいに決まってる。そう思って声をかけたつもりだったが、政岡の表情は変わらない。それどころか、神妙な面持ちでこちらをじっと見てくるのだ。

「尾張、そのことなんだけどな……」
「ん?」
「――お前、俺の部屋に来ないか?」

 一瞬、周囲の音が消えた。じんわりと、ボトルを握る手のひらに手汗が滲む。俺は、思わず目の前の政岡を見上げた。目が合えば、あいつは慌てて目を逸らすのだ。そして。

「いや、疚しい気持ちはねえよ!断じて!……けど、扉は壊れてるし、もしまた一人んときに能義のやつが来たら……っ、俺の部屋なら一緒にいてやれるし、ほら、何かあったときもま、守れるだろ……?」

 政岡の部屋に行く。確かに、能義がきたときこの男がいるのといないのとでは安心感が違うのはある。

「……そうかもな」

 そう呟けば、一人青くなったり赤くなったりと忙しなく百面相をしていた政岡は「尾張」と嬉しそうに顔を上げた。

「……けど、俺は大丈夫だ。このままこの部屋に残るよ」

 関係は解消、全ては今まで通り――といくにはあまりにも時間が浅い。表面上前と同じように接してはいるが、爪痕もまだなくなったわけではない。臨時の一晩だけとは訳が違う。線引きを間違えれば、また前回の二の舞だ。それだけはしてはいけない。
 そんな俺の言いたいことを感じたのだろうか、目の前の政岡がみるみる内に意気消沈していくのがわかった。

「そうか、わかった。けど、何かあったらすぐに呼んでくれよ」
「ああ、了解」

 …………。
 ……。

 それから、政岡と飯食って、別れて。
 これからどうするかなんて考えている内にどうやら俺は寝落ちしていたようだ。
 ソファーの上でうとうとして、それから……。
 そうだ、政岡はもういないのか。思いながら、変なところで寝たせいでばきばきになった背中を伸ばしながら起き上がろうと目を開いたとき。

「やあ、おはよう子鹿ちゃん。随分と遅いお目覚めだね。王子様のキスは必要だったかい?」

 ――俺はまだ夢を見てるのかもしれない。
 それも、あまりよくない夢を。
 人の寝顔を覗き込んでいた金髪碧眼の王子様に一瞬思考停止する。恐る恐る頬を抓る。……痛い。

「な、なんでアンタ人の部屋に勝手に……!!」
「ああ、本当だよ。ドアノブが壊れてるようだから簡単に入れたよ。不用心はあまり感心できないなあ」
「……そ、そうじゃなくて……」

 駄目だ、寝起きの頭も相まってこの男の発言に頭が痛くなってきた。

「ふ、不法侵入……だろ……」
「何を言ってるんだい?寧ろ僕たちは君の寝込みを襲う不貞なやつらがいないかを守るためにやってきたんだよ」
「…………………………………………はい?」

 ……ってか、待て、今この男恐ろしいことに『僕たち』と言わなかったか?まさか……と、部屋の中を見渡したとき。

「寒椿!尾張元の様子はどうだ!!」

 玄関口の扉が開いたかと思えば飛び込んできたクソでかい声に鼓膜がビリビリと震える。……出たよ、見たくない顔だ。

「鴻志、声が大きいぞ。バンビーナが震えてるじゃないか、ああ可哀想に。びっくりしただろう?もう大丈夫だよ」

「ほら、僕の胸においで」とどさくさに紛れてハグしようとしてくる寒椿を避けながら、俺は慌てて起き上がる。何が起こってるかまるでわからないが、絶対ろくでもないことには違いないだろう。

「あ、あんたら……なんだよ、こんな朝っぱらから……」
「それが守ってもらってる人間の言う言葉か?寧ろこんな朝っぱらから僕のことを守って下さりありがとうございますだろうが!」
「ぐ……っうるせえ……」
「コラコラ鴻志、朝から美しくないな。……すまないね、バンビーナ。僕たちは君の護衛にやってきたんだよ」
「護衛……?なんで……」
「まさか貴様、自分のことだと言うのに何も知らんのか?」
「え」
「仕方ないだろう、どうやらバンビーナはすやすや夢の中だったようだき」
「え」

 ……なんだ、なんだろう、無性に嫌な予感がする。
 俺が眠っている間に何があったというのか。
 聞きたいような、聞きたくないような感情の中、寒椿はにこりと微笑んだのだ。

「まあ、こういう場合は口で説明するよりも実際に見た方が早いだろうね」

 ――おいで、案内するよ。
 そう、誘われるがままに寒椿たちに連れられて部屋を出た俺はすぐにその言葉の意味を理解した。

 学生寮内至るところに貼られたポスター、そこに書かれた内容に目を疑った。
『第462回生徒会主催抱きたい男&抱かれたい男選手権』
 読めば読むほど頭が痛くなる見出しだが、それよりもだ。見出しの下、やや目立たないように書かれたその一文に俺は青褪めた。

『それぞれ一位になった方は生徒会権限により希望する相手と性行為する権利を得られます』

「………………………………」
「クソ、まだこんなところにポスターが残ってやがったか!……あの性欲の猿どもが、また懲りずに馬鹿みたいな催し物を開きおって……っ!!」

 横から伸びてきた野辺の手により引き剥がされたポスターはそのまま丸められゴミ箱に放り投げられる。
 待て落ち着け、まだこれは決まったわけではないのだ。深呼吸……、深呼吸だ。

「今朝僕たちが学園にきたときは学園の中までこのポスターが貼りまくられてて本当大変だったんだよねえ、風紀委員総出で剥がしたけれどもう大分生徒たちの中では出回ってるみたいだし」
「こ、これって……」
「そのままの馬鹿による馬鹿のための馬鹿企画だ。気にすることはない、と言いたいところだが……今回は連中の狙いははっきりとしているからな」

 と、野辺と寒椿、二人の視線が俺に向けられる。
 正直、このふざけた企画内容見た瞬間それは感じていた。大義名分なんてたいそれたことを言うつもりはないが、このポスターの目的は逃げ道を封じることだ。ルールに縛り付けて。けど、今更こんなまどろっこしい真似をする必要があるのかとも思った。……そもそも、政岡がこれを良しとしたのか?能義や神楽ならともかくだ。
 しかも、このタイミングでこれが出るって言うこと自体なにやら作為的なものしか感じない。

「……俺、ちょっと確認してくる」
「確認って、どこに」
「ま……生徒会に」
「駄目だよ、尾張君」

 肩をやんわりと掴まれ、止められた。初めてこの男にまともに名前を呼ばれた気がする。寒椿は微笑んだまま俺を見ていた。

「君が直接行ったらそれこそ意味がない。……こういう手荒な仕事は鴻志の仕事だよ、君は安全なところに身を隠していた方がいい」
「……っ、でも……」
「癪だがこれに関しては俺も寒椿と同意見だ。貴様がのこのこ股を開きながら出て変に盛り付いた猿どもに襲われて仕事が増えては困るからな」
「だ……ッ、ま……ッ」

 もう少し他に言い方があるだろう。怒りと屈辱に顔が熱くなる。けれど、悔しいがこの二人の言い分も分かるのだ。

「ともかく、貴様は大人しくしていろ。いいな」
「わ、わかったよ……大人しくしてりゃいいんだよ」
「そうそう、流石バンビーナは聡明でいい子だ」

 ……またバンビーナ呼びに戻ってるし。
 なんだかどっと疲れた気持ちになるが、とにかくここは風紀に任せた方がよさそうだ。
 ……それに、ただの悪質な悪戯な可能性もあるわけだ。生徒会副委員長のあの顔が浮かんでは振り払う。
 俺は寒椿に促されるがまま自室へと戻ることになった。

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