馬鹿ばっか


 01

 部屋を移る。そう言った岩片に連れてこられたのは岩片の部屋だった。
 最初入るのに躊躇ったが、体よく二人きりになれて誰にも邪魔されない場所となると限られてる。身構えながらも俺は「入れよ」と促されるがまま部屋に上がった。
 片付ける人間のいない部屋は荒れ放題だ。

「空いてるとこ、好きに座れよ」

 好きにって言われても寛いで座れる場所を探す方が難しい。
 俺はソファーの上にかかったままの上着を適当に避け、ソファーへと腰を下ろした。つか、まじで掃除してねえんだろうな。同じ部屋のときから俺しか掃除してなかったことには気付いていたが、限度というものがある。

「それで?話ってなんだよ」

 ベッドへとソファーがわりに腰を下ろした岩片はふんぞり返るようにその足を組むのだ。相変わらず偉そうだ。ここはやつの部屋なのだからどう振る舞おうがやつの勝手だが、相変わらずの岩片についむっとしそうになる。
 怒りを堪え、俺はやつに目を向けた。

「そっちこそ、俺に用があったんだろ?」
「……………………」

 なんで黙るんだよ。
 そう、口を開こうとしたときだった。

「用なんてねえよ」
「は?」
「お前の顔見に来ただけだよ」
「……………………」

 呆れて言葉も出なかった。
 どういう風の吹き回しか?いや違う、俺を試しているのだ。俺の反応を見て笑うつもりなのだ。
 完全に馬鹿にされてる。怒りのあまり顔面に熱が集まるのがわかった。それでも、ぐっと堪える。ここで怒りに身を任せては前回の二の舞だ。

「……なら、もう十分堪能したろ」
「まだだ。ハジメ。お前の要件を聞いてなかっただろう?」

「まさかお前まで俺の顔が見たかったなんて言うつもりじゃないだろうな」と真面目な顔して素っ頓狂なことを言い出す岩片に耐えられなかった。

「っ、……そんなこと考えるやつ、お前くらいだよ」
「どうだかな。……それで、なんだ?」
「それは……」

 なんだか、上手く躱された気がする。もやもやとしながらも俺は言葉を探した。
 この部屋に来る前、こいつがやってくるまでずっと考えていた。
 政岡のことも、これからどうするかということも。
 ……それから、自分の気持ちのことも。
 何が最善なのか、どれが一番波風を立てずに済むのか……正直うんざりしていた。寝ても起きても生きた心地がしねえ、いい加減にしてほしい。
 働かない頭を無理矢理叩き起こして考えた結果思い当たったのは一つの選択だった。
 政岡を取れば岩片が黙っていない、岩片を取れば逆も然りだ。だから、俺は。

「――……もう、やめにしないか」

 岩片に直談判すること。これは、政岡がいる内は叶わなかっただろう。下手すれば余計火に油を注ぐ羽目になる。本当だったら顔も見たくないやつだが、このまま逃げ続けたところで余計事態が悪化するのはわかっていた。
 だから、全て話すことにしたのだ。

「俺は、政岡に協力してもらってこのゲームを上がる」
「へえ?なんでそんなことわざわざ俺に言うんだ?黙って上がりゃいいんじゃないか?」
「……お前のことだ、どうせ俺に心が籠もってないだとかケチつけてくるのは分かってたからな。だから、腹割って話しに来たんだよ」

 確かに、コイツにされたことを忘れたわけではない。今でも思い出しては憤死しそうになる。けれどこのまま避けたところで追々障壁になるのもわかっていた。
 心の奥底でどこか期待していたのかもしれない。まだ、話が通じるかもしれない。そんな、甘い期待。

「『もう僕は耐えられません、これ以上されたら心まで女の子になっちゃいます』ってか?」

 なんて、少しでも期待していた俺が馬鹿だとすぐに知らされることになる。馬鹿にしたような言葉、笑いに胸の奥が詰まりそうになった。これは、怒りというよりも落胆、同時に自分自身への嫌悪と恥。
 分かりきっていたことだ、こいつはこんなやつだと。それでも、少しでも人らしい感情が残っていると期待していた俺が馬鹿だったのだ。

「どうとでも言えよ、俺は絶対お前だけは好きにならねえよ。こんなこと、時間の無駄だからこうして言いに来てやったんだよ」
「なあハジメ、お前って本当難儀な性格だよな。自分でも、その甘さがわかってねえんだろ?余計質が悪いな」
「……っは、なんだよそれ。負け惜しみのつもりか?脅されようが馬鹿にされようがお前なんかに振り回されんのはもう懲り懲りだっつってんだよ」

「俺が上がれば、負け犬はお前だ。それが嫌なんだろ?政岡に負けんのが」売り言葉に買い言葉、こいつを少しでも信じようとした自分が何よりも恥ずかしい。それ以上に悔しかった。
 岩片の地雷などわかっている。それを今自分からぶち抜いたこともわかっていた。
 けれど、岩片の反応はあくまでも変わらない。
 それどころか。
 急に立ち上がった岩片が距離を詰めてくる。やべ、と思ったときには遅かった。目の前には岩片がいて、ソファーから立ち上がろうとする俺の腹の上に膝を置き乗り上がってくるのだ。その重みにより立ち上がることを封じられる。

「……ハジメ、お前は本当甘いよな。甘すぎんだよなぁ……?なんだ、飴ちゃんか?」
「っ、離せよ、またお得意のセックスで解決するつもりか?この下半身野郎が……ッ!」

 分厚いレンズの下、影かかったやつの目と視線ががち合った瞬間全身に嫌な予感が駆け走る。
 嫌な記憶が蘇り、退けよ、と上の岩片を払い除けようとしたとき。腕ごと掴まれ、捻り上げられる。

「っ、おい……」

 退け、と開きかけた唇に柔らかい感触が触れたと思った瞬間には目の前の視界が黒く塗り潰されていた。唇の感触はすぐに離れた。けれど、鼻先数ミリの至近距離。
 呆然とする俺を真っ直ぐに見据えたまま岩片は笑うのだ。唇の端を軽く持ち上げるだけの、薄っぺらい笑顔。

「……それで解決できんならこの部屋に入った時点で犯してるっての、わかんねえのかよ」
「……っ、退けっ!」
「あいつなんかやめて、俺にしろ」

 ふ、とその顔から笑みが消えたときだった。
 そう、真正面から目を覗き込んだまま、やつはそんな言葉を口にした。
 一瞬、言葉を言葉と認識することもできなかった。唇に吹き掛かる吐息に、手首を掴むその手のひらの熱に、いつの日かの夜を思い出しては全身が石のように固くなる。
 なんで、そんなこと。加速する脈に、息をするのも忘れそうになったその瞬間。

「――……なーんて。そう、言ってもらいたくてここに来たんだろ」

 俺から顔を離した岩片はそう、アホみたいに開いたままになってた俺の唇に触れるのだ。そして、そこで気付いた。誂われていたのだと。
 瞬間、先程までとは比にならないほどの熱が溢れ出す。

「ん、なわけねえだろ……っ!」

 そう、掴まれた腕に力を入れて振り払おうとするが、岩片の指は蛇のように絡み付いて離れない。それどころか、まるで逃さないとでも言うのかのように更に俺の腕を締め上げるのだ。
 岩片の表情は変わらない。冷ややかな目でじっと俺を見下ろすのだ。

「じゃあ、お前はずっと俺の側にいたのに俺のことなんて一ミリも理解しちゃいないアホだったんだな。……俺がそんなこと言われて『はいそうですか、それじゃお幸せに』なんて言うと思ったのか?本気で?」
「っ、ああ、そうだよ、少しでもお前の善意を信じた俺が馬鹿だったな」
「ああ、大馬鹿だ。いくら鈍感だと言え限度があるだろ。ここまできたら寧ろわざとかと疑いたくなるな」

「本当は、俺に構ってほしかった。そう言われた方がまだしっくりくるほどだぞ」伸びてきた手に、顎から耳朶にかけての輪郭を撫であげられればそれだけで無数の虫が這うような感覚に襲われた。振り払いたいのに、腕が動かせない。精一杯の抵抗として、俺は思いっきり上の岩片を膝の頭で蹴ろうとして、やつは「おっと」と軽くそれを防いでみせた。……こういうところも、なにもかもが腹立つ。

「っ、お前、全然変わらないな……人の気も、知らないで」
「いいや、悪いがお前よりお前のことはよーく知ってるぞ、俺は。お前の性格も、何考えてるかも、全部だ」
「っ、ふざけるな、お前は……っ」
「零児じゃお前の相手できねえよ。お前の喜ばせ方も、何を求めてるかも全然わかってねえ」

 嘘だ。お前は俺の気持ちを理解できない。だから、こんなにイライラするのだ。反論しようと開いた口をまた塞がれる。顎の下を掴まれ、顔を上げさせられたまま口の中に入ってくる岩片の舌にぶるりと背筋が震えた。

「……っ、ふ、……ッ!」

 先程の触れるだけのキスとは違う、捕食のそれだった。口を閉じさせる暇すら与えずに喉の器官を押し開くように口いっぱい捩じ込まれる舌に血の気が引いた。久し振りの岩片の熱に、頭の奥、固く閉じていたそこを無理矢理こじ開けられるかのように一瞬で熱が溢れ返りそうになる。
 堪らず、思いっきり顎を閉じてその舌に歯を立てた。薄く濡れた粘膜を突き破るような嫌な感触と同時に甘い血が口の中に広がるのだ。

「ッ……ぐ、ん……む……ッ!」

 びくりと跳ね上がったやつの舌はそれを無視して俺の口の中、舌先に、溢れる血を擦り付けるように荒らしていく。唾液と血で溢れた口の中、あまりの濃厚な鉄の味に耐えられず嗚咽を漏らしたとき、舌が引き抜かれた。そして、赤く濁った糸が引く。気分は最悪だった。

「……気が変わった」
「っ、い、わかた……」
「ハジメ、俺と勝負しろよ」

 ……――は?
 赤く濡れた唇を指で拭い、やつは嫌な笑みを浮かべた。いつもの不遜で憎たらしい、あの謎の自信に満ち溢れた笑みだ。

「なに、言って」
「お前に俺じゃないと駄目だって言わせてやる」

「あいつでも、他の誰でもなく――俺じゃないと駄目だって」こいつは、なんでこんなことをいけしゃあしゃあと口にすることができるのか。俺にはまるで理解できない。不敵な笑みを浮かべ、そんなこっ恥ずかしい言葉を口にする岩片に怒りすらも通り過ぎていた。

「っ、なんだよ、それ……んなの、言うわけ無いだろ、馬鹿じゃないのか」
「そうだな、お前が勝てば俺は帰るよ」
「……は?」
「前の学園に。お前はここで幸せに暮らしてたらいい、そうだろ?お前だって俺の顔見たくねえだろうし」

 これで、今度こそ正真正銘の自由だ。ほら、喜べよ――。
 なんて、この男は笑うのだ。楽しそうに、人の気も知らないで、やっぱこの男は頭のネジが足りない。俺の気持ちも全く理解してない。
 それだけは、間違いないだろう。

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