天国か地獄


 26

 目的地の病院に着く。学園最寄りのその病院にあいつはいるという。目的は見舞いではない、あいつの見舞いに来ているであろう連中だ。
 八木はこの際期待していない。――灘ともう一度話す必要があるだろう。

「芳川君、行かないんですか?」

 あいつの病室は十勝から聞いた。このフロアで間違いない。

「お前らで様子を見てきてくれ。灘がいれば呼び出して連れてこい」
「ええっ、会長行かないんですか?!」
「具合が悪い」
「え」
「少し座っている」
「会長……」
「大丈夫っすか?!俺、なんか飲みもん買ってきますよ、ホットココアでいいっすかね?」
「馬鹿櫻田、せめてアイスにしろって!」
「いでっ!ああ?!誰が馬鹿だこの……ッ!」

 そう言いかけ、場所を思い出したらしい。十勝に掴みかかろうとしていた櫻田ははっとし、そして慌てて口を抑えてはそのたま萎んでいく。

「それじゃあ十勝君、お願いします」
「え、志木村先輩来ないんですか?」
「彼からしてみれば僕は敵みたいなものでしょう。……それに、今は安静しないといけないみたいですし、それならば気が知れた君が適任かと」

 そうっすかね、となんとなく納得していない十勝だったが自分しかいないとなると「じゃあ行ってくるっす」と小走りで栫井平佑の病室へと向かった。――どこまでも扱いやすい男だ。フットワークの軽さは一番だろう。
 櫻田に飲み物を用意させている間、ラウンジのソファーに腰を下ろして休憩しようとしていたときだ。隣に誰かが座る気配がした。

「……それで?下手な仮病の演技をしてまで会いたくないわけですか?」

 離れて腰を掛ける志木村はこちらを見ようとしないまま尋ねてくる。そこにはいつものような問い詰めるものではない。

「会いたくないのはあっちも同じだ」
「栫井平佑に自殺教唆をしたと」
「……」

 八木、あいつが漏らしたのだろう。面と面向かって尋ねられる煩わしさはあったが、それまでだった。
 この男は俺の粗を探していたようなやつだ、その粗が一つ増えたところで痛くも痒くもない。
 ――病院は嫌いだ。こうやってソファーに腰を掛けて誰かを待ってるような時間は特にだ。

「どうとでも言え。お前の逞しい妄想に付き合ってる暇はない」
「否定くらいはすべきと思いますがね」
「だったらなんだ?証拠もなしに警察にでも突き付けるつもりか?」
「別に、そんな面倒なことはしませんよ。……それに、もう意味はないですからね」
「……」

 この男に信念はない。誰かの腰巾着になることで水を得た魚になるようなやつだ。……昔からそうだ、信念を持った人間を支えることを生き甲斐としているこいつにとってその対象であった志摩裕斗がいなくなってしまえばリモコンを失ったラジコンも同然だ。

「会長、ココア買ってきました!……っておい!!お前会長の隣は俺の特等席なんだよ!退け!」
「はいはい、言われなくても君のために一人分スペース空けてるでしょう。……まったく、君の周りは賑やかですね」
「……」

 間に割入ってきた櫻田はそのまま無理矢理座り、そして「はい会長!」と缶を手渡してくる。
 今この体には重く思えたが、受け取るだけ受け取っておく。……ひんやりとした感触がここが夢の中ではないと分からせてくるのだ。
 紛らわすようにプルタブを開ける。そのまま一口喉奥へと流し込もうとしたとき。

「……っと、会長!いたいた!」

 ――どうやら十勝が戻ってきたようだ。周りには誰の姿もない、一人だ。
 どうやら拒否されたか見つからなかったようだ。元より期待はしていなかったので然程怒りもなかった。

「一人か」
「ええ、なんか栫井のやつ検診中らしくて……和真の姿もないし病室にも入れなかったんで戻ってきました」
「……」

 灘がいないのか。……ならば、今どこで何をしているのか。連絡を取ろうにもあいつの電話は電波を受信することすらできないらしい。報連相を欠かさないやつだからこそ違和感があった。
 けど、あいつのことだ。どんなトラブルでも対処することは可能だろう。然程気にすることはなかった。

「それにしてもこんなところまで来て収穫はなしですか。……せめて栫井君に見舞いの品だけでも渡しておきますかね」
「あーそれいいっすね、そういや売店一階にありましたよね。俺もなんか買ってこよっと」

 言いながら立ち上がる志木村は十勝と共に売店へ向かうようだ。
 ――呑気な連中だ。ズキズキと痛み出す脳の奥、ココアを押し流し甘味で痛みを緩和させる。

「アイツらほんと呑気だな……って会長、顔色悪いっすよ、まじ大丈夫なんすか?」
「ああ。少し外の空気を吸ってくる」
「あ、会長俺も……」
「一人にさせてくれ」

 そう言い残せ、ラウンジを後にした。櫻田が後を追いかけて来る気配はない。長く白い病室内廊下に足音が響く。ちらほらとナースや入院患者と数名すれ違いながらもやってきたのは予め聞いていたあいつの病室の前だった。面会謝絶の文字が踊るそのプレートを外し、俺は扉を開いた。
 窓から射し込む白い日差しに堪らず目を細める。
 ベッドの上、布団を被っていたそいつは俺の姿を見るなり慌てて起き上がる。

「っ、か、いちょう」
「……死に損ないが。お前には何をやらせても駄目だな」

 平佑、と名前を呼べば、ただでさえ生白い顔からは血の気が引いていった。色が抜け落ちたような唇を噛み締め、やつは頭を垂れさせる。

「――……ッ、ご、めんなさい」
「お前の謝罪は聞き飽きた。それより今すぐ灘に連絡しろ」

 俺の言葉の意味が理解できたらしい。こちらを見ようともしないその目が右へ左へと泳いだ。その額には汗が滲んでる。

「……っ、会長……」
「聞こえなかったか?……それとも、その腕は動かすこともできんのか」

 続ければ、あいつは沈黙の末、ギプスで巻かれた左腕、とは逆の右手で携帯を取り出すのだ。
 片手で操作し、灘の連絡先を選ぶ。そのまま俺に携帯を差し出そうとしてくる平佑をいなした。

「お前が連絡しろ。今すぐここへ来るようにな」

 俺のことは伏せておけ。そう続ければ、こちらが何を考えてるくらい理解したようだ。はい、と消え入りそうなほどの小さな声で呟いた平佑はそのまま連絡を取る。どうやら繋がったようだ。

「急用だ。頼みたいことがある、今すぐ部屋まで来い。すぐだ、いいな」

 それだけを言って一方的に通話を終える平佑。
 通話を終え、どれだけ時間が経ったのだろうか。沈黙が続く。廊下の外では櫻田たちが俺を探しているのだろうか、携帯端末が震えるのを感じたがそれも無視した。
 そして、その沈黙は破られる。静まり返った病室内、開かれる扉から現れたそいつは病室に居る俺を見ても顔色一つ変えなかった。

「お久しぶりです、会長」
「ああ、そうだな」

 灘和真は現れた。俺が連絡したときは声すら聞けなかったのにだ。こいつ――栫井平佑が連絡すればすぐに電話に出たのだ。
 そしてこうしてすぐに駆け付けた。それが何を意味するかなどは考えなくとも分かる。
 だからこそ、平佑も顔を上げようともしない。
 裏切られたとショックを受けることはなかった。予感はあった、俺からの連絡は秒で出ていた灘とこうして連絡付かなくなった時点で。
 こういう風になるのか、という興味はあったがそれまでだ。

「灘、お前にはいくつか聞きたいことがある」
「それは命令でしょうか」
「命令してほしいのか?」
「……」

 何も言わない。否定とも肯定とも取れないが、明らかなのは一つ。自分に向けられるそれに明らかに敵意のようなものを感じた。或いは警戒心か、どちらでもいい。こんな風にこいつの感情を感じるのは初めてだった。

「これは命令ではない。したところで、お前は聞くつもりはないだろうからな」
「……」
「壱畝遥香の居場所を知っているか」

 灘和真は視線を逸らさず「存じません」とだけ静かに続けた。迷いのない、平坦な声。俺にとってはそれでも十分だった。
 使い物にならない駒を一から調教するつもりも時間もない。そうか、とだけ答え俺は病室を出ていった。灘は何も言わない。平佑も最後まで顔を上げることはなかった。
 不思議と足取りは軽い。窓の外は分厚い雨雲で覆われていたままだ。
 携帯端末を取り出し、十勝と櫻田から数件の着信が入っているのを確認する。そして折返し連絡を入れ、病院前で落ち合う旨を伝えた。
 ――俺の知っている灘は分からないことは全て調べようとしていた。俺の返答以上の答えを用意してくれる優秀な駒だった。無駄な私情を挟まず、ストイックに期待に応えてくれる。そういうところが気に入っていたのだが。
 情だの、馬鹿馬鹿しい。……やはり、正常な判断を妨げるものでしかない。
 自分自身があいつに対して怒りすらも芽生えなかったのは、困惑することもなかったのは何故か。考えるだけで嫌気が差した。
 不可解な行動を取り、守るべきものすらも見誤った自分を重ねてしまったからだ。

「……馬鹿が」

 あの場で栫井平佑を材料に灘を無理矢理脅すことも出来たはずだ。平佑ならば簡単に俺の言うことを聞く。わかっていたが、それをしなかった己自身もまた気付かぬ内にあいつに対して余計な情を持っていたなんて思いたくなかった。
 どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。余計な思考など振払えばいい。そうすればわざわざこんなことをせずとも平穏は保たてるのだ。

「…………」

 立ち止まり、談笑する患者たちの側。大きな窓の外を眺める。胸の奥、他人に土足で踏み荒らされる感覚は収まるどころか増すばかりだった。

 ◆ ◆ ◆

 腑抜けるな。微温湯に浸かるな。目的を見誤るな。生温い情に甘えるな。
 お前のしたいことはなんだ。頭の中で何度も繰り返す。その問いに対しての答えは決まりきっていた。復讐。俺を馬鹿にしたあいつらを全員見返してやる。こんな俺でも人一人としての幸せを得られるのだと知らしめてやる。コケにした連中全員を踏み台にして掴み取ってやる。――それだけを考えてきた。奪われたものを取り戻すために必要なもの――俺に足りないものは家族だった。拠り所も保護者もいない。親が居ないからそんな人間になったのだと馬鹿にされ、否定される度に何も言い返せないことがただ歯痒かった。
 だから、俺を引き取ってくれた芳川にしがみついた。

 ――お前が矢追ヵ丘学園のトップとして卒業できたらちゃんと更生したと認めよう。卒業した後の進学、就職も援助しよう。
 ――勘違いするなよ、私達が君にここまでするのは君のためじゃない。君のご両親がこのままでは哀れだからだ。
 ――少しでもその気持ちがあるなら、卒業までの金銭は工面してやる。しかし、卒業しても君自身が何も変わらなかった場合は養子縁組を切らせてもらう。

 その約束のために二年間過ごしてきて、あと少しの辛抱だった。
 お前のしたいことはなんだと聞かれても、今の俺にはそれに対する答えを見つけることができなかった。
 ずっと、生徒会長になることだけを、全校生徒の前で模範生でいることだけを考えて全部全部耐えてきた。それなのに、俺は自分でそれを台無しにしたのだ。
 ――齋藤佑樹、あいつのせいで全てが台無しになったのだ。

 自分を見失う。あいつの存在のせいで頭の中も、計画も、全てをかき乱される。……あんなやつのせいでだ、齋藤佑樹のこと以外全てどうでもよくなってしまうのだ。
 良くない傾向だと自認する域はとっくに過ぎている。どれだけ阿賀松伊織にコケにされようが耐えられたのに、あいつのことになるとそれを容易に引き剥がされるのだ。……何故自分がここまでしなければならないのか、あいつ一人の安否のために。馬鹿馬鹿しい、くだらない。それこそ時間の無駄だとわかっていたが、俺の元には既に何も残っていない。
 芳川に捨てられるだろう。養子縁組も切られ、また姓を変えることになるかもしれない。それも仕方ないことだと諦めている自分がいる。どうでもいいと思っている自分がいる。

 馬鹿なのは自分だと分かっていた。自分のことなのに理解すらできないのも。
 こんな場所にいるからだろう、余計気が弱っているのかもしれない。
 独特の薬品の匂いから逃げるように病院の出入り口へと向かった。
 目的もなくなった自分に、腑抜けとなった己に生きる価値などあるのか。

 病院の前で十勝たちと落ち合う。他の奴らに散々責められたが、「トイレを探していた」と適当に誤魔化した。
 収穫はゼロ。つまらない感情で全て手放した。どちらにせよ俺たちが集まっても尻尾一つ掴めなかった状況だ、乗り気ではない灘一人を働かせたところで齋藤佑樹に関する情報が手に入るとは思えない。

 学園まで戻り、その後色々調べ回ったが目新しい収穫はなかった。
 やがて夜も近付き、お開きとなった。他の連中がそれぞれ戻っていく中、志木村だけがその場に残っていた。

「これからどうするつもりですか」

 全ては振り出しへと戻った。ろくな情報も手掛かりもなにもない。

「これからそれを考える」

 志木村は何も言わずにその場を後にした。あいつからしてみれば志摩裕斗の安否がわかりさえすればいいのだろう。
 阿賀松伊織のような財力も後ろ盾もなにもない、組織力すら今は無きに等しい。
 ……何もない。これほどまでに無力感に苛まれたのは何度目だろうか。
 事件性があれば警察を動かすこともできるだろう。けれど肝心の阿賀松もいない。
 ――文字通りの行き詰まりだ。

「…………」

 まともに思考も働かない。身体が糖分を求めているのがわかった。
 あいつが戻ってくるまで、あいつの顔を見るまでこの感情から抜け出すことすらもできないのか。だとしたら……本当に厄介だ。

 自室へと戻る間考えていた。
 阿賀松伊織を探す方が早いとわかっていたが、問題は本人が雲隠れしていることだ。
 それならば、と取り巻き連中の姿を探すも最も黒に近いであろう縁方人は音信不通。御手洗安久と仁科奎吾、あの二人も尋ねたが御手洗に限っては現在夏季休暇中で帰省している。仁科は何も知らないと言った。
 気になることがなかったというと嘘になる。

『最近、俺達と居ること自体なかったからな。……俺も呼び出されなかったし、代わりに……誰だっけな、二年が振り回されているようだったな。……ほら、転校生の』

 今年の二年の転校生は二名だけだ。
 齋藤佑樹と壱畝遥香。消去法で考えれば壱畝のことだろう。壱畝の足取りも探ろうとしたが、志木村が阿賀松の部屋にいたのを見たという言葉を聞いてああ、と思った。恐らくやつも何かしらに巻き込まれてるのだろう。現に、夏季休暇に入って壱畝遥香の姿を見た者はいない。――仁科を除いて。そして、そんな仁科も二人と会っていないというのだ。

 少なくともこの夏で阿賀松伊織、齋藤佑樹、志摩裕斗、縁方人、壱畝遥香が姿を消しているのだ。……阿賀松伊織は別荘をいくつか所持していると聞いている。
 その住所を調べ、片っ端から当たる。この炎天下の中張り込むことになるのだ。
 なんのために、と繰り返し頭の中で疑問がよぎる。そんなことをしてなんになるのか。何度もそんな問いが浮かぶ度、俺はその思考を振り払った。
 なんだっていい、俺自身が納得できるならどうだって。結局は自己満足なのだとわかっていた。

 ep.4【日は沈む】END

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