尻軽男は愛されたい


 籠絡的誘惑

 昔から女が苦手だった。というか、姉が。

「清音、ちょっとこれ水入ってないんだけど!早く足しといて!」
「清ちゃーん、お姉ちゃんのポーチ知らない〜?リボンのついた黒いやつ〜」
「清音、お腹減ったんだけどなんか作って」

 口を開けば文句命令罵詈雑言。
 産まれた時から三人の姉に使いっぱしられ続けて18年、それは今も変わらない。
 俺の家は花屋で、その影響かはわからないが色とりどりの花やそれを飾るフリルやレース、花弁に負けないくらい鮮やかなリボンなどを見てきたお陰かいつしかそういうモノに心を惹かれるようになって。
 小学校に上がるとき、学校に持っていくための文房具やバッグなどを用意するため両親と訪れたデパート。
 キラキラの宝石やリボンのイラストが描かれたペンケースが欲しくてそれを両親に強請った時、暇潰しで付いてきていた姉たちに「それ女物だろうが」と冷笑された時、自分の趣味が一般的なものではないということを知る。
 後から知ったことだが普通の男児は怪獣や戦隊ものなど選ぶらしい。しかし、スポーティなものにも青い色にも強そうな武器にも全く魅力を感じることが出来なかった。

「ほら、ポーチってこれか?洗面台置きっぱなしだったぞ!あと飯なら棚のところにラーメン入ってんだろ」
「水!」
「わーったから少しくらい待て!」

 姉たちが揃う朝方はいつも以上に慌ただしい。
 なぜ俺がこんなことをしなければ、と思いながらも店頭に並ぶ花に水をやる。命令されるのは面白くないが、自分が世話をしてきた花が美しく開花する様は見ててうっとりする。
 広がる花の蜜独特の淡い薫りを嗅ぐと落ち着く。
 昔からだ、何かがある度にこっそり店に忍び込んでは花を眺めていた。元気な花達を見ているとこちらまで前向きになるのだ。

「あ、そーだ清ちゃん」

 不意に、出かけようとしていた次女に呼び止められる。慌てて花から離れた俺。

「なんか昨日、公太郎君が清ちゃん探しに来てたよー」

 公太郎が?
 そういえば、電話にもいくつか着信が届いていたがまさかうちにまで来ていたとは。つか昨日のうちに言えよ。おっせーよ。
 思いながらも、文句を言えばどんなものが飛んでくるかわからない。「おー」とだけ答え、次女を見送った。
 それにしても、公太郎が。幼馴染の生気のない面を思い出し、なんとなく胸の奥がざわついた。

 ここ最近、公太郎の様子がおかしい。
 いつも何を考えているのかわからないような野郎だが、それでも、俺が見てもわかるくらい不自然で。
 何を仕出かすかわからない。だから、俺もあいつに気を付けるようにしていたのだけれど。

「……」

 昨日の夜ことを思い出す。
 いつものように駅前通りの行きつけの雑貨屋をこっそり覗き、丁度切らしていた布を買うために手芸店へ寄った。その帰り道。

『あ、此花先輩はっけーん』

 粘着くような甘い声。赤髪の二年に呼び止められたのだ。

「……」

 そこまで思い出して、慌てて俺は思考を振り払った。
 忘れよう。もうあいつのことを忘れよう。でなければ俺にとって一生癒えない傷になり兼ねない。
 花と別れ、裏口を通って家を後にする。
 俺の家が花屋だと知っている人間は少ない。今まで何度か遊びに行きたいとよくつるむ連中にせがまれたが、いくら仲良くなっても教えるつもりはなかった。
 自分の嗜好が一般的にややズレてると知ったその日から俺は人前でそういうものを極端に避けるようになった。
 昨日の帰りだってそうだ、俺だって分からないようにわざわざ駅のトイレで制服を着替え、そこら辺にいそうなちょっとなよった男っぽくしたのに、なのに、あいつは。あいつは。
 ああ、またこれだ。もうあいつのことは思い出さない。うん。忘れた。
 そう一人唸りながら裏路地に出た矢先だった。

「あれ、此花先輩?」

 聞き覚えのある、舌足らずな軽い声。その声に、全身が強張った。
 恐る恐る振り返れば、なんということだろうか。そこにはあの赤髪の二年、木江大地がいた。

「いやー奇遇っすね、こんな時間から学校すか?」
「学校以外何があるんだよ、見たらわかるだろうが!」

 とは言ったものの、対する木江は制服を着ていない。
 既に登校の時間だというのに私服でぷらぷらしてる木江はまあそういうタイプだろうというのはわかっていたので然程驚きもしないが。

「ふーん、じゃ、そこが先輩の家なんだ?」

 どうやら俺は墓穴を掘ってしまったようだ。
 にたりと笑い、裏口の扉を指差す木江に血の気が引いていくのがわかった。

「違う、ここは……連れの家だ」
「へぇ〜〜〜」

 全くもって俺の言葉を信じていない木江。
 にたにたと笑うやつに全身から冷や汗が溢れ出す。
 正直自分でも無理があるとわかっていた。だって、表通りの並びに出れば看板に『フラワーショップkonohana』の文字がばーんと出てるのだ。そして恐らくこいつはそれを知っている。

「そっ、そんなこと……なんでてめえがここにいるんだよ!まさか、つけてたんじゃねえだろうな!」
「まさかー。俺、そこまで暇じゃねえっすよ」
「なら、どうしてこんなところにいるんだよ」

 しかも、こんな時間に。
 この辺りは夜にはシャッターが降りるような店ばかりで、こいつにとって特に遊び場になるような場所はないはずだ。
 詰め寄る俺に、怖気付くどころか木江は愉しそうに笑うばかりで。

「先輩、そんなに俺のこと気になるんすか?」

 挙句の果てにこれだ。挑発的なその目に、勢い良く神経を逆撫でされる。

「誰が、てめえなんか……ッ」

 完全に舐められてる。それが分かるからこそ、余計ムカついて。
 反応すればするほどやつのツボにハマると分かっていたが、それでも年下相手にこれほどの態度を働かされたら頭にくる。

「俺は、先輩のこと気になりますよ」

 瞬間、気が付いた時には鼻先がぶつかるくらいの至近距離に木江が詰め寄ってきていて。
 人気のない裏路地。不必要なまでに接近してくる木江に、一瞬、ほんの一瞬だけ反応が遅れてしまう。

「昨日、別れたあとも先輩のことばっかり考えてました」

 俺だけに聞こえるように囁くようなその声に、唇に吹き掛かる生暖かい吐息に、総毛がよだつ。
 木江大地の名前は幾度も聞いたことがあった。
 中学の時からとにかく女遊びが派手で、高校に上がってからは男相手に遊ぶことも多い。
 しかもその相手は面で選んでるようでかなりの節操なし。
『お前も気を付けたほうがいいんじゃねえの?』とダチに冗談半分で忠告されたことがあったが、まさか、本当に付きまとわられるハメになるとは思ってもいなかった。

「先輩も俺のこと考えてくれてたんじゃないんですか?」

 首筋にそっと伸びてきた手に、項をなぞられ、ぞくぞくと悪寒にも似たなにかが背筋を駆け抜けて行く。
 決して、木江は大柄でもなければ筋骨隆々というわけではない。俺が本気で突き飛ばせば、こいつは簡単に吹っ飛ぶだろう。
 だけど、それでも、こいつの目に至近距離で見据えられたら、何故だろうか。蛇に睨まれたなにかのように体が動かなくなる。
 木江大地が悪名高いのには訳があった。ただの女好きでもホモ野郎でもなく、そのやり口だ。その気がない相手をじわじわ、時には実力行使追い込む。逃げ道は全て塞ぎ、自分を拒めないような状況を作り上げるのだ。
 噂なだけに尾ひれや背びれ付いてるだろうが、それでも、なんとなく分かる気がする。
 甘い言葉に、雰囲気に飲まれそうになるのだろう。しかし、それは普通のやつが相手だった場合だ。
 俺は、違う。

「んなわけねえーだろ、自惚れんな」

 木江の手を振り払い、俺はやつを引き剥がした。
 吐き捨てた言葉に悔しがる素振りを見せるわけでもなく、木江は「つまんないな」と笑う。

「あ、そうだ先輩。せっかくですしどっかで朝飯食いません?俺、腹減ってんすけど」

 そして、どういう話の流れだ。俺が快く誘いに乗ると思ってるのか、平然とした顔で誘ってくる木江の度胸というか無謀さにはつくづく呆れさせられる。

「なんで俺が……行くわけねえだろ、馬鹿じゃねえの」
「そっかぁ、残念だなぁ。せっかく、葵衣ちゃんもくんのに」
「なんだって?」

「葵衣ちゃんのこと、先輩気に入ってるんすよね」

「せっかくだから一緒にって思ったんだけど、そっか。でもまあ、仕方ないっよね、先輩が嫌がるんなら……」残念そうに肩を下げる木江の口から出たその名前に、胸が高まる。
 岸本葵衣。二年で、木江とよく一緒にいる男子生徒だ。そして、俺の……俺のお気に入りのドールにそっくりというか等身大にしたような理想的な造形をした中性的な少年で。
 自分では着ることは論外、着せるやつもいないと諦めていた俺コレクションのロリータドレスを唯一着こなせるであろう葵衣ちゃんに俺は日々眼の保養としてきていたのだが、あろうことかめちゃくちゃ嫌われてるのだ。
 そりゃ男に付き纏われるなんて冗談じゃないと思うだろうが、それでも、話すだけでも、せめて近くで見るくらいは許してもらえないだろうかと願っていた俺としては木江の誘いはこれ程にないくらい魅力的で。
 うっかり乗せられそうになったが、相手が悪賢い木江大地だということを思い出しハッとする。

「……てめえ、何か企んでんじゃないだろうな」
「何かって?」
「何かだ!葵衣ちゃんをダシに使って俺を罠にハメようだなんて通用しねーんだからな!」
「まっさかぁ。先輩をハメるくらいならあんな女男使わなくても楽勝ですし」
「どういう意味だよ」
「そのままですよ。まあ、先輩が嫌なら無理にとは誘いませんよ。飯ぐらい、二人でも食えますしね」

 木江の笑はどうも癪に障る。ぶん殴りたい衝動に駆られるが、心の中、自分の良心が必死に宥めてきて。

「……っ」
「それで、どうするんですか?ご一緒してくれるんならこのまま行きますけど」

 葵衣ちゃんと食事。葵衣ちゃんがパフェやケーキを美味しそうに頬張って俺に笑い掛けてくる映像が脳内で繰り返し映し出される。
 もし、これを機に仲良くなることができれば、いつかは、いつかはドレスを着てくれるかもしれたい。

「……いッ」
「い?」
「……行かないでも、ないぞ」

 なるべく木江に聞こえないよう、小さく呟けば僅かに木江の目の色が変わった。

「え?なんて言ったんですか?聞こえませんけど」

 そして、底意地の悪い笑みを浮かべ、すっとぼけたように「もっとハッキリお願いします」と促してきて。
 こいつに頭を下げるような真似、したくなかった。それでも、念願の夢を諦めることが出来なくて。

「だから、行くっつってんだろ!何回も言わせんじゃねえよクソガキ!」

 恥ずかしさを堪え、拳を握り締めた俺は宣言する。
 響くほど大きくなってしまった俺の声にすこし驚いたような顔をした木江だったが、すぐに猫のように目を細め、笑った。

「りょーかい」

 というわけで、苦渋の決断の末木江大地と朝っぱらから飯を食いに行くハメになったわけだが……。


「いらっしゃいませー」

 明るい店内。
 ファーストフード店へやってきた俺達は2階、テーブル席に腰を掛ける。
 それにしても、なんということだろうか。こいつとはもう二度と飯を食いに行かないと思っていたのに。
 注文したコーラを手に取り、俺は向かい側に腰を掛けた木江をじとりと見る。

「なんすか?」
「葵衣ちゃんは本当に来るんだろうな」
「まだ信じてなかったんですか」

 呆れたような顔をする木江は「信じてないのに俺に付いてきてくれたんです?」と笑った。

「念のために聞いてるんだよ。騙してたんなら……わかってんだろうな」

 睨み付け、向かい側、木江の座るソファーを軽く蹴れば木江は動揺するどころか更に目が輝いていて。
 ――なんで喜んでんだよ、こいつ。

「でも、怒った先輩、見てみたいんすけどねえ俺」
「気色悪いんだよ。俺はお前の顔も見たくない」
「なら、こっち来ますか?」

 そう言って、自分の隣を指す木江につい「は?」と素っ頓狂な声が出てしまう。

「な……なんでそうなんだよ」
「俺の顔、見たくないんすよね」

 確かに言った。言ったけど、それはなんかおかしくないか。
 一人ちょっと考えていると、それを否定と受け取ったようだ。木江は嬉しそうに笑う。

「あれ?先輩、やっぱり俺の顔見てたいんですか?」

 嬉しいなぁ、と完全に小馬鹿にしたように笑う木江に腹の奥からムカムカとしたものが込み上げてきて。

「んなわけねえーだろ!」

 とにかくあいつを喜ばせたくなくて、勢いよく立ち上がった俺はそのままやつの座るソファーまで行き、

「おい、もっと向こう行け」
「なんだ、違うんすか。残念だなー」

 言いながらも、詰める木江。
 その空いたスペースにどかりと腰を降ろせば、なんだろうか。向かい側、腹立つ木江の顔はなく無人のソファーがぽつんとあるだけだが。

「はい、先輩」

 忘れ物、と目の前にコーラの入ったグラスを置かれる。
 すぐ側から聞こえてきたそのやけに絡みつくような声に顔を上げれば、すぐ側に木江の顔があって。

「触んじゃねえ」

 そう、やつの手からグラスを奪った俺はカラカラになっていた喉を潤すため、それをぐっと喉に流し込んだ。器官で弾ける炭酸が酷く痛い。

「おい」
「はい?」
「葵衣ちゃんはまだか」

 隣、ストロベリーシェイクを飲んでいた木江は「はい?」と俺を見上げる。

「はいぃ?じゃねえよ、葵衣ちゃん!葵衣ちゃんはまだかって聞いてんだよ!」
「さぁ〜?そのうち来るんじゃないっすか?」
「はあっ?!」

 あまりにもいい加減な木江の言葉に今度は俺がキレる番だった。

「お前、ふざけてんのか?約束とちげーだろ!」

 ここに座って大人しくしてることが馬鹿馬鹿しくなって、つい反射で立ち上がった矢先のことだった。
 ほんの一瞬、視界が歪み、足元が、崩れ落ちるような感覚に陥る。

「……ッ」

 目眩。ソファーの背もたれを掴んだお陰でその場で転ぶなんてださいことにならずには済んだが、木江はそれを見逃さなくて。

「先輩、あんまいきなり立たない方が良いですよ」

 流し目でこちらを見る木江は、手にしていた携帯をテーブルに置く。
 真新しいそれは、見覚えがあった。

「顔色、悪いみたいですし」

 ほら、と促すように伸びてきた木江の手に手首を掴まれた。
 その指先の冷たさに驚き、それと同時に、こいつと俺の体温差について疑わずにはいられなくて。
 嫌な汗が、背筋に滲む。対する木江は先程と変わらない、涼しい顔をして。恐らく異変が起きているとするなら、俺の方だろう。

「触るなッ」

 頭は痛くない。吐き気もない。ただ、気が立っていて。咄嗟に木江の手を振り払う。
 乾いた音とともに、テーブル席という狭い空間の中、逃げ場のない木江は避けることもせず俺の手に打ち付けられて。

「……やっぱり、先輩って力強いっすね」

 赤くなった自分の掌を撫で、木江は呟く。その頬は赤く上気していて。

「痕になったらどう責任とってくれるんですか?」

 とろけたように細められたその目に、やつの白い肌に浮かび上がる赤みに、つい先程までは比較的通常通りだったはずの心臓が反応する。
 ドクドクドクドクと全身を流れる血流の音が耳の傍で聞こえる。
 焼けるように熱い体に、咄嗟に体を冷やそうかとコーラのグラスに手を伸ばし掛け、ハッとする。
 弾ける炭酸の奥底、僅かに白い粉末のようなものが沈殿してあるのが見え、俺は隣の木江を見た。
 目があって、やつは嫌な笑みを浮かべた。

「美味しいですか?そのコーラ」
「……っお前……」

 恐らく、こいつは何かを盛った。
 証拠もなければ根拠もない、それでも本能で俺は確信していた。
 それほど、突然起きた自分の身の異変は極端なもので。
 立ち上がろうとするが、今度は頭の中がぐらついて思うように動けなくて。
 結果的、再度ソファーに腰を下ろすハメになる俺に木江は愉しそうに擦り寄ってくる。

「どうです、それ。知り合いからもらったんですよ、すげー効くって」
「効くって、なにが……」
「ふわふわして、馬鹿みたいに勃起するって。……普通のじゃ足んなくなるくらいハマるらしいっすよ」

 耳の傍、囁きかけるような木江の声が脳味噌に直接響いて、また、不整脈が始まる。
 腿、乗せられた木江の手を振り払おうとするが、頭と体が思うように噛み合わなくて。そのまま硬直する俺に、木江は笑いながらその手をゆっくりと滑らせてくる。

「……なに、企んでんだよ……お前……ッ」

 喉が乾き、心臓が痛いくらい脈打つ。
 絞り出すように呻けば、木江は不思議そうに小首を傾げる。

「なにって、前から俺、言ってませんでしたっけ」

「俺、此花先輩すげータイプなんすよ」だから、もっと仲良くなりたくて。
 そう、甘いその声とは裏腹にやつの指先は何よりも欲望に忠実のようだ。
 いつの間にか、勃起していた俺の下半身にそっと手を寄せる木江に、血の気が引く。

「おい、やめろ、ふざけてんのかッ!」

 なけなしの理性を振り絞り、人の股ぐらに入り込もうとする木江を引き剥がそうとするが、衣類越し、張り詰めたそこを指でなぞられる度にその感覚に頭が真っ白になって、動きが止まる。

「っ、は……ッ!」
「辛いでしょ、先輩。だって俺間違えて通常の三倍入れちゃったんですもん、辛いんじゃないっすか?」
「なん……っだと……?」
「や、だって先輩堅物だしでけーし普通の量じゃ効果ねえかなって思ってたんすけど……」

 そう言って、人のウエストを緩め、下着を降ろした木江は勢い良く飛び出すそれに目を丸くし、そしてすぐにうっとりと目を細める。

「丁度……良さそうですね」

 馬鹿みたいにだらだら溢れる先走りで濡れた性器は反り返り、鼻先に当たりそうなくらい顔の傍にあるそれに木江は躊躇なくキスをしてきて。
 木江の言葉通り、先ほどから酷い高熱に侵された脳味噌は大分麻痺しているようで、目の前の映像が実際に自分の身に起きているものという実感そのものを感じることが出来なかった。
 だからだろう、木江にキスされた時も、柔らかいその唇の感触だけがやけに生々しくて。
 というかそもそもここはどこで自分が何をしているかということを考えることすら酷く、億劫だった。

「は……っ、ぅ、む……」

 テーブル席の舌。木江の薄い唇から覗く赤い舌が、反り返ったその裏筋に這わされる。
 流れる先走りを音を立て、舌で拭う木江。
 太い血管を重点的になぞられれば、これ以上は無理だろうと思っていたそこに更に血液が集まるのが分かった。

「ッ、おい、木江……っ」
「ん、やっぱりすげえでかいっすね……先輩の……っ」
「ッ、ハ……ッ!」

 ちゅ、と音を立て尖端にまたキスをしたと思えば、今度はそのまま汁を溢れ出すそこを頬張る。
 あまりにも大胆通り越して頭のネジが数本ぶっ飛んだような行動を取る木江の行動にこちらまで頭がおかしくなりそうで。

「ぅ、く……ぅ……ッ」

 噂通り、慣れているのだろう。正直、めちゃくちゃ気持ちいい。
 声を押し殺すのが精一杯で、それでも木江の暖かい咥内で締め付けられればそれだけでイキそうになって。
 コイツ自身が盛った妙な薬のせいだと思い込みたいが、それでも、場所が場所だからだろう。遠くから店員の声が聞こえる度に飛びかけていた意識はなんとか理性を取り戻すが、それでも相当自分が歯止めが利かない状態に近づいているというのはよくわかった。

「……っは、我慢してる先輩、すげえかっこい……」

「もっと、苦しんでるところ見せてください」唾液で濡れた唇で、裏筋に吸い付く木江はそのまま反り返ったそれに指を絡めてきて。
 それが輪を作るように根本に回された時。

「ッ、んぅ……ッ!」

 ギュッと根本をキツく締められ、一瞬、息が詰まる。
 限界近いところを邪魔され、行き場を失くした熱が全身を駆け巡り、汗が止まらない。
 テーブル下の木江を睨めば、にやっと木江は目を細めた。

「イキたいですか?先輩」

 それに唾液を塗り込むよう、もう片方の手で性器を撫でる木江。
 その摩擦に、絡みつくような粘着音に、心臓がおかしくなりそうだった。
 イキたい。そう言葉を口にすればいい。わかっていたが、それをしてしまえばなんとか取り留めていたなにかが崩壊してしまいそうで。

「イキたいなら、俺とキスして下さい」

「今、ここで、先輩のチンポしゃぶった俺と」キスを、と強請る木江は言いながらテーブル下から這い出てくる。
 ソファーの上、俺の性器を掴んだまま膝の上に乗り上がってくる木江。
 そのまま濡れた唇を寄せて来る木江と、鼻先がぶつかってしまいそうなくらい接近した。
 息が、木江の息が吹き掛かる。ストロベリー味の熱い吐息が。

「……キスして下さい、先輩」

 いくら隅席だからって人が来ないはずわけがない。
 それに、どこにカメラがあるのかもわからない。
 分かってる。分かってるし、そんな馬鹿な真似するくらいなら舌を噛み切った方がましだ。そう、頭では嫌ってほど理解していたのに。

「っ、んんぅ……」

 なんで俺がこいつにキスしているのだろうか。
 混乱する脳内。ただ、木江の唇がやけに甘ったるいということだけが俺の頭にこびり付いて離れない。
 突き出された舌が擦れる度に脳髄が熱で蕩けそうになる。
 このまま何も考えられなくなった方が恐らく自分のためなのだろう。

「せん、ぱ……ッんん……っ」

 髪に指を絡め、離れ掛けたやつの頭部を自分に押し付ける。
 肩を掴む木江の指から微かに震えが伝わってきたが、どうでもいい。こいつが悪いのになんで俺がこいつのことを気遣わなければならないんだ。そう思うと怒りにも似た何かが腹の底から込み上げてくる。
 息苦しそうに藻掻くやつの唇を塞ぎ、窄まった小さな舌を引きずり出すように絡め取った。
 根本から先端を擦り合わせた瞬間、膝の上、跨るやつの腰がびくりと震える。

「んっ、ぅ、ふ……っうぅ……ッ!」

 異様に体が熱い今、木江の体温が丁度ひんやりして少しだけ、まあ、少しだけだが気持ちが良かった。
 引き気味の腰を捕まえ、更に深く唇を重ね合わせれば自然とやつの喉の奥まで舌が向かう。
 瞬間、先程まで呆けていた木江の顔が強張った。

「んッ、ぅ、ゔぅッ」

 こいつの緊張がこっちにまで伝わってきて、しがみついて止めようとしてくる木江。
 先程まで偉そうに笑っていたやつが焦っているのが気持ちよくて、わざと喉の奥、その粘膜を舌先でねぶった瞬間やつの指から力が抜ける。

「ん……ふ……ッ」

 ずぽずぽと濡れた音を立て、喉奥へと舌を挿入する度に擦れる木江の舌が痙攣し、木江は犬みたいにヨダレを溢れさせる。
 紅潮した頬、熱の篭った濡れた目、だらしなく突き出された舌。
 至近距離で混ざり合う吐息。篭った咥内で響く濡れた音のせいか、周りの目なんて気にならなくなっていた。

「ふ、ぅ、んん……っ」

 いつの間にか、木江の手が肩に回されていた。
 強請るように上半身を擦り合わせてくる木江。密着した下半身同士、勃起した性器に腰を押し付けてくるやつに俺は舌を引き抜いた。

「ぁ……?」

 もの寂しそうな目でこちらを見上げる木江は、少しだけ可愛いと思ってしまったのは恐らく優越感の助けもあったからか。

「今度は、お前の番だろ?」

 馬鹿みたいに熱い勃起した自分のものを木江の下半身、その膨らみに擦り付ければ木江は猫のように目を細め、それでいて先程よりも弱々しい笑みを浮かべた。

「っ、ぁ、センパ、ッ」

 店内クーラー効いてるはずなのに、全身から滲む変な汗が止まらない。
 言わずもがな、膝の上に跨ってくるこいつのせいだろう。
 緩めたウエストから、背筋を撫でるようにそのまま下着の中へと手を滑り込ませればピクリと木江の肩が震えた。

「ふ、ぅ……っ」

 ぴとりと上半身くっつけてくるやつの腰を掴み、そのままケツを鷲掴めばまた木江の耳が赤くなる。
 首筋に顔を埋めてくるやつの吐息が、火傷しそうなくらい熱い。恐らく、それは俺も人のことは言えないのだろうが今はこの乗っかってくる肉の塊しか頭に入らなくて。

「……おい、何ボケてんだよ」
「っ、ぅ、え」
「約束通り、イカせてくれんだろうなぁ?」

「これで」と、ぎゅうっとケツを掴んだ指の一本をその最奥、ケツの穴をなぞった瞬間ようやく俺の言葉の意味を理解したようだ。きゅっと下腹部に力が入る。

「っ、先輩、こういうの、嫌じゃなかったんですか……っ?」

 顔面引き攣らせた木江だが、口元は確かに笑っていて。
 自分の身体の下、俺のものを握っていた木江が固唾を飲む。その喉仏が小さく震えた。

「うるせぇ、てめえが変なもん飲ませたせいだろうが」

「気分悪くて仕方ねえよ」本来ならばこうして男を膝に乗せなければならないというこの状況すら吐き気がして仕方ないのに、今はそれを嫌悪する暇すらない。
 水を飲んでも飲んでも渇かない喉の渇きに似ている。
 それを今直ぐ満たすことが出来るやつがこいつしかいないのも、全てこいつのせいだ。そう思うとなんだか無性に苛ついてきた。

「ぅ、ん……ッ」
「自分で挿れろよ、慣れてんだろ?」

 だけど、あの木江が膝の上でぷるぷる震えてるってのは少し、気分がいい。いつも人を小馬鹿にしたような言動ばっかな分、余計。そう、人が気分良くしていた矢先だった。 

「……嫌です」
「……ぁあ?」
「なんか、先輩、可愛くない……っ」

 息を吐き出すように、そう馬鹿みたいなことを言い出す木江。
 可愛いだって?……俺が?
 一番言われたくなかった言葉を、躊躇いもなく口にする木江に頭のどこかがぶちりと音を立て切れるのがわかった。

「……なぁに言ってんだテメェ」
「っ、ひ、ぅ」
「調子乗ってんじゃねえぞ。人を舐めるのも大概にしろよ……ッ」

 まずい、まずい、まずい。
 止めとけ、と必死に自分に自制を利かせようとするが止まらない。
 思いっきり腰を掴めば、僅かに歪んだやつの表情にぞくりと総毛立つ。

「……気が変わった。お望み通りに突っ込んでやるよ」

 邪魔くさい下着をずらして剥き出しになったケツの穴に指をねじ込めば、小さく木江が息を飲んだ。
 肩を掴んでくるやつの手が俺を押し返そうとするけどこのボックス席、離れられるほどの広さはない。

「せっかく譲ってやったのに、本当馬鹿だよなァ、お前……っ」
「っ、ちょっと、タンマ、先輩ッ」
「うるせえ、騒ぐなよ」

 指で大きく押し広げたそこに自分のものを押し当てる。
 触れただけで流れ込んでくる木江の体温が酷く不快だが、珍しく表情を崩す木江が悪くない。寧ろ、気分がいい。
 逃げようと浮かすやつの腰を両手で掴み、思いっきり落とす。瞬間、

「ぅ、んんッ!」

 ビクリ、と大きく胸を仰け反らせる木江。
 全身の筋肉が緊張し、ケツの中まで硬く締め付けてくるやつについこちらまで硬直しそうになる。

「っ、あぁ……クソッ……」

 これは、思ってたよりも、やばい……かもしれない。
 硬くなった中を解すように腰を動かせば、絡み付いてくる肉が熱くて触れた箇所から蕩けそうになっていく。

「っ、ぁ、は、ぁッ」

 目の前、細い首筋が視界にちらつく度に目が逸らせなくて。
 照明の明かりに照らされうっすらと光る汗の滲む肌に、ごくりと喉が鳴る。真っ更なその肌に傷を付けてやりたい。なんて血迷った思考が脳裏を過った瞬間、体は動いていた。

「っ、ふ、っぁ」

 逃げられないようやつの後頭部を掴み、そのまま首筋に顔を埋める。
 無防備になった張りのあるそこに唇を寄せれば、「先輩?」と木江は不思議そうに俺を見てきて。
 それを無視して、俺は思いっきり木江の首筋に歯を立てた。
 張った首筋、歯先が食い込む感触とともに抱き締めていた木江の体がビクリと痙攣する。
 瞬間、

「ッ、ぁ、ひ……ッ!!」

 凝縮する筋肉に全体を強く締め付けられ、頭の中で何かが弾けたような気がした。
 やばい、と汗が滲む。それでも、目の前の木江のアホ面のお陰でなんとか飛ばずには済んだ。
 けれど、

「っ、ふ、ん、ぁ、っせんぱ、ぁ」
「……ッ」
「せんぱ、い……っ」

 肩に腕を回し、擦り寄ってくる木江に心臓が反応する。
 その姿がもっと、と強請るように見えてしまうのは恐らく、俺の見間違いではないはずだろう。
 現に、ゴリゴリ押し付けてくる勃起した性器を掴めば、木江は小さく声を漏らす。耳障りの悪い、呆けたような甘い声。

「なぁんでさぁ……さっきよりも勃起してんだよ、お前」
「んっ、ぅ、そこ、だめ……っ」
「ダメなのはテメェだろ」

 ビクビク震えるそれを思いっきし掴めば、密着した木江大地の体が痙攣する。
 いままで言い様にされていたこの立場が逆転すると、ここまで気持ちよくなるというのか。
 濡れた目でこちらを見上げてくる木江に、自分がこの状況を楽しみ始めていることに気付き絶望したが、それでも、引き下がるという選択肢はその時の俺の頭の中にはなかったようだ。

「……尻軽のホモ野郎ってだけでも最低なのによぉ」
「……ぅ、あ……っ、ぁ……」
「首噛まれて涎垂らすドMとか、まじ、救いようねえな」

『先輩に言われたくないです』とかまたあの嫌な笑顔付きで生意気なこと言ってくるのだろうと思ったのだが、俯いた木江は言い返すどころか動くこともしなくて。
「おい」と、固まったやつの体を揺すれば、一瞬、目を見開いた木江と視線がぶつかる。
 やつは、首筋だけではなく耳の先まで赤くなっていて。握り締めた指先に、止めどなく溢れてくる先走りが絡みついてくる。
 自分の中のなけなしの良心が木っ端微塵にぶっ壊されるのが分かった。

「……何、勝手に休んでんだよ」
「っ、」
「自分だけ楽しんでんじゃねえよ」
「っぁ、く、ぅッ」

 スナップ利かせてケツを叩けば、びくんと飛び跳ねる木江の肩。瞬間、中を思いっきり締め付けてくる木江に思わず息が漏れる。
 まあ、普通に、男なんて冗談じゃねえと今でも思う。けれど。

「最後まで責任持てよ」

 これが薬のせいなのかそれとも俺も大概の節操なしということなのか、分からないが、その時の俺の選択が誤っていたことは確かだった。

 ◆ ◆ ◆

 例えばだ、全く昨日からの記憶がなくて、目が覚めたら裸で、目の前には嫌いな奴(しかもこれも裸)がいたとしたら誰だって現実から目を背けたくなるはずだ。

「…………」
「おはようございます、センパイ」
「………………」
「え、なんで寝たフリしてるんですか?」

 そうだ、これはなにかの夢だ、悪い夢なんだ。
 そう二度寝をしようと寝返りを打とうとすれば擦り寄ってきたやつに耳に息を吹き掛けられる。
 瞬間、全身に鳥肌。間違いなく現実のそれだった。

「やめろ馬鹿ッ!」
「だってーつれないじゃないですか、昨日はあーんなに熱く愛し合ったって言うのに」

「これ、暫く人前で脱げないっすよ、まじ」そう笑う奴、もとい木江大地は笑いながら自分の体を指す。
 指の痕から始まり噛み跡で痛々しいことになってるやつの体に断片的な記憶が蘇る。
 反応が面白くて、色んな箇所に口を寄せては歯を立てた記憶が。

「う……」

 言い逃れしようもできないくらい、俺だ。俺のせいだ。
 だけどだ、元はと言えばこいつが妙な薬を盛ってきたのが原因なわけだろう。

「そもそも、それはお前が勝手に変な薬を盛ったせいで……ってか、なんでここにいるんだよ!」

 そうだ、そこなんだ。
 ここは俺の部屋で、こいつと会ったのはまだ街で彷徨いていた時だったはずだ。
 まさか着いてきたのか?!と指させば、木江大地は不服そうな顔をして俺を見た。
 そして、

「最後まで責任取れよ」
「……え?」
「タダで帰すと思ってんのかよ」
「…………」

 あっ、思い出した。全部思い出した。
 帰ろうとしていた木江を捕まえ、半ば強引に部屋に連れ込んだのを思い出す。
 墓穴を掘ってしまった。全身から嫌な汗が滲み、血の気が引く。
 そんな俺を見て、木江は可笑しそうに笑った。

「っはは!そのリアクション、まじでウケるんすけど!」
「……その、確かに、噛んだりとかしたのは悪かったけどな……」
「イイっすよ別に、こんなことで脅したりしないんで」
「え」 
「ま、いい暇潰しにもなりましたし」

 暇潰しという単語に僅かに引っ掛かったが、それよりもだ、見逃してくれるという木江には驚いた。
 隙あらば弱味を握ろうとするやつだと思っていただけに、いやもう既に握られてるも同然なんだけど、少し、拍子抜けというか。安心すべきことなのだろうが。

「先輩の可愛い寝顔も見れたんで帰ります、俺。戸締まり気をつけといて下さいね、俺のファンが先輩んち来るかもしれねーし」
「ふぁん?……馬鹿じゃねーの?さっさと帰れよ!」
「あれ?……なんか一気に冷たくないですか?」

「まあイイっすけど」と木江は服を拾う。
 驚くことにホントに帰るつもりのようで、上機嫌に口笛なんぞ吹きながら着替えた木江は「そんじゃ鍵お願いします」とだけ言って玄関へ向かう。
 仕方ないのでその見送りに向かう俺に木江は意外そうにして、また笑った。

「ホントのホントに、誰にも言わねえんだろうな」
「言いませんよ、その代わり、今度は薬抜きで」
「冗っ談じゃねえ!」
「なら、今度からは他人から貰った飲み物に気をつけることですね」
「うるせぇ、さっさと帰れ!」

 しっしっと追い払えば木江はクスクスと笑う。
 ホント、捻くれているかと思ったら変に素直なところがあるし調子が狂う。

「はいはい、分かりましたっと」

 そして、そうやつが笑った時だった。
 伸びてきた手に胸倉を掴まれたかと思った矢先、口元に唇を寄せられる。
 ぎょっとした時にはもう既に遅く、押し付けられる柔らかい感触に昨夜の諸々が蘇り、硬直した。

「ッ!!」
「それじゃ、また今度」

 してやったりと笑い、さっさとその場から立ち去る木江に、全身が硬直した。離れるその背中。
 それに手を伸ばし、力づくで部屋へ押し戻そうとしそうになった自分に。

 おしまい

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