尻軽男は愛されたい


 愛斗×不安になる大地

 夢を見た。愛斗がいなくなる夢だ。
 周りは愛斗が最初からいなかったかのようにいつも通り毎日を過ごしていて、俺一人だけが愛斗のことを憶えている。そんな夢だった。

「…………」

 目を覚ませば、今は見慣れた天井が視界に入る。寝汗でシャツが素肌に張り付き酷く気持ち悪い。のそりと上半身を起こした俺は、隣でスースー寝息を立てるそいつに目を向ける。枕を抱いて体を丸めるように眠る愛斗。
 夢だと分かっているはずなのに、そこに愛斗がいることにほっとする自分がいた。
 休日、古賀家の愛斗自室。いつものように泊まりに来ていた俺は、心地好さそうに眠る愛斗の顔を覗き込む。
 現在早朝。明るくなってきた窓の外からはぴちゅんぴちゅんと鳥の鳴き声が聴こえてきた。それを聞き流しながら、俺は愛斗の寝顔を眺める。
 どんな夢を見ているのだろうか。寝顔までしかめっ面の愛斗は、時折眉間をピクピクさせている。
 面白い、なんて思いながらそのまま愛斗の寝顔に顔を近付けちゅーでもしてやろうかと思ったとき、パチリと愛斗の目が開いた。こいつ五感鋭すぎるだろ。

「……なにやってんだ、お前」
「おはようのちゅー」
「…………」

 真顔で答えれば、目を細めた愛斗は絶句する。そして、ようやく目を覚ましたらしい愛斗は「離れろ、重いんだよ」と上に乗る俺を退かそうとしてきた。

「いーじゃんせっかくの休みだし、イチャイチャしようぜイチャイチャ」
「一人でやってろ」
「えー俺愛斗と一緒がいいのにー」

 相変わらずノリが悪い愛斗に唇を尖らせた俺は言いながら、起こし掛けた愛斗の上半身に抱き着いた。暖かい。

「おい」
「うーん、愛斗枕最高」

 言いながら愛斗の背中に腕を回した俺は、そのまま胸元に頬を擦り寄せた。
 皮膚越しにどくんどくんと愛斗の心臓の音が伝わってきて、結構心地がいい。頭上から「なにが枕だよ」と溜め息混じりの愛斗の声が落ちてくる。

「べったりくっつくなよ、暑苦しいだろ」
「暖かくて気持ちいいよ」

 触れた場所から愛斗の体温が流れ込んできて、愛斗が喋る度に体の中に声が浸透してなんだか不思議な感じだった。
 でも、なんでだろうか。こうしてくっついていると、酷く安心する。
 諦めたように浅い溜め息をつく愛斗は、文句を言いながらも無理に離そうとしてこなかった。そういうところが好きなんだよなあなんて一人うっとりしつつ、俺はぎゅうっと愛斗を抱き締める。

「……愛斗さあ、もし俺がいなくなったらどうする?」
「は?」
「いつの間にかにいなくなっちゃうみたいな」

「連絡もなしに、いつの間に」そう続ければ、俺を見下ろす愛斗がまたこいつ変なもん食べたなとでも言いたそうな顔をした。
 寝起きだからとはいえ夢と現実を混同させるなんて我ながらメルヘンなこと言っていると思う。
 自分でも、可笑しなことを言っていると思う。でもまあ、気になったのは本当だし。
 愛斗が俺が見た夢と似たような夢を見たとして、俺みたいに慌てるのかを聞きたくなって。なんとなく、好奇心に身を任せてみる。

「…………」

 沈黙。答えに迷っているのか、呆れているのか、それとも面倒なのか、愛斗は口を閉じたまま俺を見下ろす。

「愛斗」
「……」

 黙り込む愛斗に「無視かよ」と呟こうとしたとき、伸びてきた手にわしわしと頭を撫でられる。
 寧ろ、押さえ付けられてると言った方が適切なのかもしれない。髪を乱すように掻き回され、ビックリした俺は目を丸くして愛斗を見上げた。

「……愛斗、なんでよしよし?」
「どうせまた変なもん見たんだろ」

「影響されすぎなんだよ、お前」そう呆れたように吐き捨てる愛斗は言いながら俺から手を離す。
 なんとなく名残惜かった。どうやら愛斗は俺がテレビやなんかを見て怖がってると思ったようだ。
 まるで泣いてる子供を慰めるような態度を取る愛斗に、自分の顔にじわじわ熱が集まるのを感じる。

「ごめんね、影響されやすくて」

 愛斗に子供扱いされたのが少し悔しくて、俺は赤くなる顔を隠すように愛斗にくっついた。
 そう独り言のように呟けば、愛斗の肩が小さく揺れる。愛斗が笑ったんだと気付くのに然程時間はかからなかった。

「ベタベタくっついてるやつが黙って俺から離れられんのかよ」

 そうどこか嘲笑や自虐を孕んだような愛斗の声。自然と抱き締める腕に力が込もってしまう。
 どんだけ自信満々なんだよこいつと呆れる反面、現在進行形で自分が愛斗にしていることに気が付いた俺は『ああ、なるほど』と納得した。
 確かにないな。そう断言出来るからこそ、自分があの夢を恐れていたことに気付く。
 愛斗がいなくなるのも、俺がいなくなるのも有り得ない。だから、恐かった。有り得ないからこそ、理解出来ない不安に襲われた。

「……ほら答えただろ、さっさと退け」
「……ん、わかった。けど、もうちょっとだけこうさせて」

 隙間がなくなるくらいぎゅうぎゅうと愛斗の体に抱き着く俺に、呆れたような顔をした愛斗は眉を寄せる。
 そして、面倒臭そうに舌打ちをする愛斗は「あと十分な」と呟いた。
 十分も待っててくれる愛斗に内心驚く反面、嬉しくなる俺は頬を弛めながら「わかった」と頷いた。

 好きなやつがいなくなる。そのとき、どうすればいいのかなんて考えること自体愚問なのだろう。
 好きなやつがいなくならないような環境を作ればいいだけだ。
 ……なんでこんな簡単なことに気付かなかったのだろうか。
 強く強く、体の接触した部分が混ざり合うくらい強く愛斗の体抱き締める。このまま、くっついて二度と離れなくなればいいのに。なんて、長い長い十分間を使って愛斗を抱き締めたまま俺は神かなんかその辺のなにかに向かって祈っていたが十分が過ぎると一体化し始めていたような気がする体と体は呆気なく離れた。
 それでも、寂しくはなかった。
 多分、それはきっと体の代わりに見えないどこかがくっついたからだろう。そんな気がした。
 気がしただけだけど、俺はそれだけで十分だった。

「愛斗」
「んだよ」
「あともうちょい良い?」
「調子に乗んな」

 おしまい

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