尻軽男は愛されたい


 日生と七緒の中学時代

 日生弥一、十四歳。
 趣味も特技も多分ない。好きなものはリラックスできる時間、あと子供。最近の悩みごとはと言えば、幼馴染みが学校に来ないことだろう。

「七緒、いつまで寝てるんだよ。起きなって。遅刻するよ」
「やだー行きたくなーいー先生怖いもーん」
「七緒が服装違反するからだろ。早く起きないとまた勉強分かんなくなるだろ」
「いいよー別にー」
「よくないよ。ほら、皆七緒が来ないの心配してたよ」
「嘘だー俺なんていてもいなくてもどっちでもいいんだよー」

 また始まった。
 國見宅マンションにて。七緒のお姉さんに上げてもらった俺は、ベッドの上で丸まる布団を揺さぶる。
 こう卑屈になるときの七緒は精神的に脆く、尚且つやさぐれてしかも聞き分けがない。また誰かになんか言われたのだろうかと思いながら、構わず俺は「先生寂しがってたよ」と答える。

「先生?……誰?」
「数学の若い先生」
「本当?」
「本当だよ。『七緒君最近来ないよねー元気にしてる?』って」
「……そうかあ、えへへへ」

 ぴょこんと布団から頭を出した七緒は、そう嬉しそうに笑いながらようやく殻から出てきてくれた。
 数学の女教師と七緒が出来てるという噂を何度か耳にしたが、まさかまじだとは思わなかった。あまりにも嬉しそうにするもんだから、こっちもなにも言えなくなる。なかなかの美人だったので羨ましいというかなんだこの差は、敗北感は。

「じゃあ、ほら早く支度しなよ。ご飯、お姉さんが作ってたから早く食べなきゃ冷めるよ」
「わかったー。着替えるから外で待ってて!」
「はいはい」

 先程までのテンションの低さとは打って変わってニコニコしながらベッドから降りる七緒。
「覗かないでよね」とか言い出す七緒に誰が覗くかと内心呆れつつ、俺は七緒の部屋を出る。
 一足先にリビングへ向かえば、七緒の姉がソファーで寛いでいた。

「ごめんねー弥一君、毎朝毎朝」
「いえ、俺が好きでやっているんで」
「頼りになるねー。早く彼女作りなよ」

 そうニコニコ笑いながら声をかけてくる七緒の姉に、俺は苦笑する。
 なんでこうも七緒の周りにばかり綺麗な女の人が集まるんだと妬みつつ、『寧ろお姉さんが彼女になってください!』なんて言えるはずもなく俺はただ笑った。

「あれ、姉ちゃんまだいたの」

 相変わらず制服を着崩した七緒は、アクビ混じりにリビングへとやってきた。

「うん、もう行く。ナナちゃんも早く学校行きなよ」

 そう答える七緒の姉は、ソファーから立ち上がりそのまま七緒と入れ違うようにリビングを後にする。
「わかってるよー」そう投げ遣りに答える七緒は、リビングの食卓に近付いた。
 そのまま玄関の方へ向かう七緒の姉に名残惜しく感じながらも、一先ず俺は七緒の面倒を優先させることにする。七緒がやっぱ行かないと言い出さない内に朝食を済ませ、今日の授業分の荷物を持たせた俺は七緒とともに家を出た。

 無事遅刻せずに学校に着けば、早速職員室へ向かう七緒と別れ俺はトボトボと教室へ向かう。
 七緒を起こすために数学教師が心配しているなんて適当な嘘をついたが、七緒にバレないかちょっと心配だ。七緒と数学教師が傍目から見て解るくらい仲良いのできっと相手も心配してくれているに違いないが、そのことだけが気になった。

 
「日生はよー」
「おはよう」

 教室へ入るなり、浮かない顔した十和が俺を出迎えてくれる。
 ここ最近機嫌がすこぶる悪かったが、今日は落ち込み具合が格段酷い。

「……またなんかあった?」

 そう恐る恐る尋ねれば、十和は元気のない顔で「家出たい」と呟いた。
 十和からその言葉を聞くのは初めてではない。ここ最近十和の母親が再婚したらしく、新しい父親の連れ子にいじめられてるようだ。
 十和が愚痴る度に「十和に興味があるんじゃないかな」と宥めていたが、ここ最近また悪化したらしい。一目でわかった。

「なんかあったら、いつでも俺んち泊まりに来ていいから」

 深く聞かない方が良さそうだなと判断した俺は、それだけを言うことにした。

「でも、日生んち兄弟いっぱいいるんじゃ……」
「十和さえよかったら別に俺は構わないよ」
「日生、お前みたいないい友達もってて良かった……!」

 そんな単純な。あまりにも嬉しそうにする十和に、どこまで酷い嫌がらせに遭っているのか心配になってくる。勢いで抱きつかれ、自分に向けられるクラスメートの女子の視線が殺意を孕んでいることに気付き、十和には離れてもらうことにした。

 

 昼が過ぎ、十和たちと昼食を取る。
 飲み物を持ってくるのを忘れてしまった俺は、売店まで買いに行くことにした。

 校舎内、売店前。
 商品棚の前、ジャージ姿の男子生徒と黒髪の男子生徒のやけに目立つ二人組がなにか揉めていた。上級生だろうか。惣菜コーナーの前、二つの惣菜を手にうんうんと唸るジャージに黒髪の男子生徒はイラついているようだった。

「まだかよ。さっさと決めろって」
「んーちょっと待って、どっちも旨そうなんだよなあ」
「両方買えばいいだろ」
「金足んねーし」
「じゃあ我慢しろよ。大体早弁するやつが悪いんだろ」
「だって朝少なかったんだもん……!」
「だもんって言うな」
「ぷう」
「やめろ」
「相変わらずノリ悪いなー古賀。そんなんじゃモテねーぞ」
「モテないやつに言われてもな」
「うっわ出たもう、ほらそんな適当なこと言って俺をいじめる」
「クラスの女子がお前のこと暑苦しいって言ってたぞ」
「知ってるよ!」
「知ってたのか」
「……」
「ごめんな」
「……これ買ってくれたら許す」
「じゃあ俺先に教室戻っとくから」

 俺はお茶を買って売店を出た。


 教室へ戻れば、またいつものように授業が始まる。七緒はまだ教室に帰ってこない。
 一応早く教室に戻ってくるようメールを入れておいたが、七緒のことだ。見たとしても普通に無視するだろう。そんなこんなで時間は経ち、いつもと変わらない学校生活が終わる。

 放課後。
 帰り支度を済ませた俺は、再度七緒に連絡を入れるがやはり返事はない。荷物をまとめ、俺は校内を歩き回りながら七緒を探すことにする。
 昇降口前。一先ず七緒の靴を確認するために靴箱の前までやって来たら、三年の靴箱の方からなにやら騒がしい声が聞こえてくる。何事かと思いながら声のする方へ目を向ければ、固まって女子たちが話していた。

「葵衣ちゃーん、こっちいないよー」
「電話にもかからないよお」
「メールも返事来ないしい」
「ええ、またあ?さっきまでいたのに。まったく、大地のやつどこで道草くってんのかなあ」

 携帯を手にした女子たちに囲まれる一際派手な女子……と思えばよく見たら男子の制服を着ているその人は、どうやら大地とかいう人を探しているようだ。
 同じく人探しをしている俺はなんとなく女顔に同情してしまう。

「ねえ、もううちらだけで行こうよー。大地は後から合流すればいいじゃん」
「うーん、そうだね。このままいてもせっかくの時間が勿体ないし、先に行っとこうか」
「やったあ、あたし葵衣ちゃんと行きたい店あったんだー!可愛いんだよお」
「もしかして駅前の?あそこなら昨日私が葵衣ちゃんと行ったばっかだから他のところにしようよー」
「はあ?なんであんたの意見聞かなきゃなんないのよ。っていうかなんで葵衣ちゃんと行ってんだよ」
「まあまあまあ、二人とも落ち着きなってー……」

 初めて女子が掴み合いしてるの見た。
 揉め出す二人の女子にわたわたとする女顔。羨ましい。俺も女子に挟まって取り合いされたい。なんて思いながらその場にいても惨めになるだけと悟った俺は場所を変えることにした。
 因みに七緒はまだ校舎に残っているようだった。
 
 校舎内、特別教室前廊下。
 七緒を探しながらうろうろすること数十分。部活動へ向かう生徒たちと擦れ違いながら、俺はどっかに隠れていないか七緒を探した。
 廊下を歩いているときだ。不意に前を通りかかった扉から小さな物音が聞こえてくる。
 もしかして七緒かもしれない。思いながらも俺は念のためこっそり教室の扉を開けた。

「あっ、やッも、無理っ、無理だって、んんッ……せんせぇ……ッ」
「なにが無理なんだ、木江ぇ。お前が再々テストで赤点取ったからッこうして先生がわざわざ教えてやってるんだろっ」
「知らない知らない知らないっ、だってぇ、俺っ、テストあるなんて聞いてなかったもんッ」
「事前に説明しといただろうが!人の話はちゃんと聞いてろとあれほど」

 俺は扉を閉めた。

 
「七緒ー、どこにいるんだよー七緒ー」

 そう大きな声で言ってみるが、帰ってこない返事になんだか俺はちょっと恥ずかしくなってくる。
 廊下を歩き回ってくたくたになった俺は、放送室から呼び出して貰おうかなんて企んでいたときだった。
 保健室前に小さな人だかりが出来ていた。

「飛び降りようとしたんだって」
「やばいよねー」
「結局どうなったの?」
「落ちたの?」

 保健室にできていた野次馬の口から聞こえてきた物騒な会話に反応した俺は、「すみませんちょっと通ります」と口にしながら野次馬を掻き分け保健室の扉の前に立った。
 飛び降りという言葉に心辺りがあっただけに、全身が緊張する鼓動が速まる。
 嫌な予感を覚えながらそのまま扉をスライドさせたときだった。

「痛い痛い痛い!無理無理死んじゃうって!!」

 涙が混じったような聞きなれた煩い声。
 教師複数に囲まれ羽交い締めにされていた七緒は、制服の袖を巻くって露出させた腕を養護教諭に掴まれていた。
「大袈裟すぎだろ」そう呆れたような顔をする養護教諭は、擦りむいて流血する七緒の肘を消毒する。

「……七緒?」

 自傷癖がある幼馴染みが元気に騒いでいるのを見てほっと安堵した。
 が、先ほど保健室外の野次馬たちの会話を思い出し、こんな形で七緒を見つけ出すことができたことを素直に喜べなかった。

「あれ、ヒナちゃん?」

 保健室の扉の前で呆然と立ち竦む俺を見て、七緒は驚いたような顔をした。


 七緒曰く、女教師と出来ていたのはまじらしくここ最近喧嘩したのが原因で登校拒否になっていたようだ。
 そんな七緒に俺が今朝適当な嘘をついたのが原因で、女教師と揉めたらしく結果傷心した七緒が職員室の窓から飛び降りようとして大勢の教師たちに押さえられ即捕まったのだがそれが原因で怪我をしてしまったようだ。
 教師たちには女教師とのことは言ってないらしい。もう少し詳しく聞いたのだが、正直羨ましすぎてなんかもう思い出す度にこっちが飛び降りたくなるので割合する。

「ごめんね、嘘ついて」
「ううん、なんで謝るの?ヒナちゃんは俺のこと心配してくれたんでしょ?」
「そうだけど……」
「いいよ、別に。ちゃんとまた話し合うから」

「それより今日のご飯はなににするの?俺、ハンバーグがいいなあ」言いながら、七緒はヘラヘラと笑った。
 夕陽に染まった帰り道。
 どうやら七緒は本当に気にしていないようだ。隣を歩く七緒を一瞥した俺は、「わかったよ」とだけ小さく笑った。
 久しぶりに七緒と帰る道はいつもよりも静かだったが、それでもなんとなくリラックスすることができて。俺は七緒に促され、一緒にハンバーグの材料を買いに行くことにした。

 数か月後、七緒と付き合っていた女教師は自主退職した。
 噂では私生活のストレスでノイローゼになっていたと聞いたが、無関係な俺がその真偽を知っているはずがない。七緒に女教師とのその後のことを聞くのも悪かったし、結局俺たちは何事もなかったかのような平穏な毎日を過ごすことになる。
 そして数年後、俺たちは中学を卒業し高校生になった。

「ヒナちゃん、俺、好きな人が出来た」

 ……ああ、また一波乱来そうだ。

 おしまい

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