尻軽男は愛されたい


 日生×大地

 腹減った。
 休日、自宅にて。
 家族全員出掛け、一人留守番を任された俺は空の冷蔵庫の中を覗きながらぼんやりしていた。作り置きすら見当たらない。野菜室になんかあったが、料理スキルなどない俺に食材を調理することはできない。あと面倒くさい。
 こうなったらあいつを使うか。冷蔵庫の扉を閉め、棚の中を覗けば置いていたはずのインスタントラーメンもなくなっていた。人の買ったものを無断で食うなんて十和の野郎しかいない。
 糞、帰ってきたら覚えとけよ。悲痛な音が鳴る腹部を押さえながら俺は小さく舌打ちをする。
 コンビニまで買いにいくか。そう思ったが、今現在俺の財布には十円玉二枚と一円が三枚しか入っていないことを思い出す。
 誰かに集ろうかとも思ったが、残念ながら周りには俺に飯を恵んでくれるようなお人好しはいない。
 料理出来そうなやつ適当に呼んでなんか作らせるか。
 そう思考を切り替えるが、同様俺の周りに料理が出来るやつなんていない。……いや、いたな。一人。
 後輩と義弟共通の友人である地味な一年を思い出した俺は、一人ほくそ笑んだ。


 十和の部屋から見つけた一年の連絡網を片手に、俺は手に持った携帯電話にとある生徒の電話番号を入力する。
 日生弥一。後輩の七緒曰く料理が上手く、そしてかなりの世話好きだという。やつは俺のことをあまりよく思っていないようだったがこの際関係ない。
 日生の自宅の番号を携帯に入力した俺は、普通に電話をかけることにした。1コール、2コールしてすぐ受話器はとられる。

『もしもし、日生です』

 受話器から聞こえてきたのは、俺が知っている日生弥一とは別の人間の声だった。幼い男の子の声に、すぐに日生の弟だと直感する。

「もしもし、木江っていうんだけど弥一君いる?」
『お兄ちゃん、今、お洗濯してるからいません』
「そっかー。じゃあ木江が風邪引いて死にそうだから家まで来いって言っておいて」

 俺の名前を出したら日生は来ないだろう。それを察した俺は、敢えて名字だけを名乗ることにした。
 死にそうだからと言ったのが悪かったのか、受話器越しに『お兄ちゃん、お兄ちゃん!死にそうだって!』と慌てた日生弟の声が聞こえてくる。
 バタバタという煩い足音とともに日生弟の声が遠ざかった。
 どうやら日生を呼びにいっているようだ。俺にもこんくらいの可愛い弟がいたらいいのに。思いながら、俺は電源ボタンを押し通話を切った。


 日生宅に電話かけてから暫く。
 飲み物で空腹を満たしていると、部屋にインターホンが響いた。恐らく日生だろう。
 リビングのソファーにて。ソファーから腰をあげた俺は、そのままリビングのインターホンに近付いた。
 インターホンに取り付けられた画面には、日生らしき男が写っている。無言でマンション一階の正面玄関のオートロックを解除した。
 まさか本当に来るとは。お人好しにも程があるだろと感心する反面、十和を心配してやってきたんだと思うとなんとなくムカついた。
 自宅玄関へと向かった俺は扉の鍵を外し、その場で日生を待ち伏せする。暫くもしない内に近付いてくる足音は、扉の前でピタリと止んだ。外側からドアノブを掴まれ、ガチャリと音を立てゆっくりと扉が開いた。
 僅かに開き、扉の隙間から日生と目が合う。瞬間、扉を閉められた。慌てて開き、逃げようとしていた日生の服の裾を掴む。

「なんで閉めんの」
「すみません、つい反射で」

 防衛本能か、ちくしょう。なんてやり取りを交わしつつ、取り敢えず日生を部屋にあげることにした。
 日生を自宅に上げた俺は、そのままリビングに通す。

「あの……十和は?」

 どうやら電話のことが気にかかっているようだ。恐る恐る尋ねてくる日生に、俺は「え?」と聞き返す。

「いや、あの……風邪って聞いたんですが」
「ああ、あれね。あれ嘘」
「あ、そうなんですか。…………嘘?」
「うん、嘘」

 そう素直に頷く俺に、日生の顔は益々渋いことになる。
「嘘……?」呆れたような顔をして確認してくる日生。俺は「うん」と大きく頷いた。

「……お邪魔しました」
「え?ちょっと待った、待って。帰んなよ」
「いえ、用がないのに居座るわけにもいけないので」
「俺が日生に用があったから呼び出したんだって」
「……先輩が俺に?」

「まさか変なことじゃないですよね」と訝しげな視線を向けてくる日生に、俺はむっと顔をしかめた。
 こいつは二十四時間ずっと俺が変なことを考えていると思っているのか。
 そんな発想をする方がむっつり臭いだろ。否定できないけど。
 早とちる日生に「ちげーよ」と言い返せば、日生は「じゃあなんですか」と強気に言い返してきた。

「お腹減った」
「はい?」
「なんか作れよ」

「野菜抜きで」そう続ければ、日生は少し拍子抜けしたような顔をする。なにちょっと残念そうな顔してんだよ可愛いな。

「なんかって、俺がですか?」
「十和が食ったせいでなんもねーの、食べれるもん。日生君なんか作って」
「いいんですか、勝手に」
「なんだよ勝手にって、俺もこの家の住人なんだけど」

 戸惑う日生に、どういう意味だと唇を尖らせれば「す……すみません、失言でした」と素直に謝罪してきた。

「許してやるから早く作れよ、腹減ってやべーの。死にそう」

 日生とぐだぐだ言い合いしている内に空腹が悪化したようだ。ぎゅるぎゅると悲痛な唸りを上げる腹部を押さえながら、俺はぐいぐいと日生を台所へと押す。
「わかりました、わかりましたから」押さないでください、そう日生は渋々自ら台所へと向かった。

「すぐなにか作るので大人しく待っててくださいよ」

 そう言い諭す日生は、なんだかんだ生き生きしているように見えた。日生の言葉に頷いた俺はソファーに座り、言われた通り大人しく待つことにする。


「日生君日生君」
「なんですか?」
「エプロン貸そうか」
「……気持ちだけ貰っておきますね」

 じゅうじゅうとなにかが焼ける音とともに香ばしい匂いがリビングまで流れてくる。
 あまりにも台所作業が様になっている日生を茶化してみれば、日生もそれに気づいたようだ。口ではそういうものの、日生の背中からは忙しいから邪魔すんなというオーラが滲み出ていた。これ以上ちょっかいかけたらフライパンで撲られそうなので、俺は大人しくテレビを眺めることにする。


 日生が調理を始めて暫く。

「先輩、できましたよ」

 テーブルの上に皿を並べながら、そう日生は俺に声をかけてきた。いい匂い。
「わーい」言いながら俺はテレビの前から食卓に移動する。食卓に置かれた皿を覗き込んだ俺は、そのまま硬直した。

「野菜ばっか……」

 皿に乗った野菜炒めに顔を引きつらせる俺に、日生は「文句言わないでください」と軽くあしらいながら椅子を引く。
「ほら、席に座って食べてください」そう促してくる日生に、俺は渋々椅子に腰を下ろした。

「……お肉は?」
「切らしてましたので有り合わせで作らせていただきました」
「……」
「食べないんですか?」
「……野菜嫌い」
「好き嫌いしてたら体壊しますよ」

「お腹、減ってたんですよね」そう続ける日生は、俺の向かい側の席に腰を下ろす。
 日生に言われて、俺は自分の空腹を思い出した。
「食べたくないなら無理して食べなくてもいいですよ」とわざと突っ慳貪な態度を取って挑発してくる日生に、俺はむむむと押し黙る。

「……いただきます」
「はい、どうぞ」

 箸を手に取る俺に、日生はそう小さく笑った。
 なんだこのしてやられた感は。野菜炒めを摘まみ、俺はそれを口に入れた。……普通に美味しい。

「んまい」
「そうですか」

「よかったです」もぐもぐと口を動かす俺に、日生は安心したようにほっと息をつく。そんな日生を眺めつつ、俺は箸を進めた。
 完食するのには然程時間はかからなかった。

「ごちそうさま」

 言いながら俺は、平らげた皿の上に箸を置く。

「もうお腹の方は落ち着きましたか?」

 空の食器を手に取った日生は、それをシンクへと運ぶ。そう尋ねてくる日生に、俺が「結構」と短く答えれば日生は「そうですか」と頷いた。
 水を出し、食器を洗い出す日生は再び作業に集中し出す。
 そんなもの、放っておきゃあいいのに。無駄に律儀な日生に退屈を感じつつ、俺はピンと閃いた。

「ひーなーせーくーん、構ってー」

 言いながら俺はぺたぺたと日生の背後に近付き、そのままその背中に抱き着く。同時に、日生の全身が強張るのがわかった。

「な……にするんですか、危ないじゃないですかっ」
「いや、ご飯のお礼に一発抜いてやろうかと」

 ヘラヘラと笑いながら続ければ、日生に「やめてください」と強い口調で止められる。
「えー」相変わらずノリが悪い日生に構わず下腹部に手を持っていけば、ビックリしたように日生の肩が震えた。

「先輩、危ないので邪魔しないでください」
「なにが危ないわけ?早漏っちゃった?」
「ち、違いますよ!皿です、皿!」

 どうやら早漏と言ったのが悪かったようだ。
「変なこと言わないでください」と顔を強張らせる日生は耳を赤くしながら俺から顔を逸らす。
 日生が怒った。やはり思春期の男子に早漏はきつかったらしい。

「ごめんねー日生君、早漏っていって。泣かないで」
「また言ってますよ」

「……それに、泣いてませんし」すりすりと日生の背中にくっつきながら謝れば、いくらかテンションが下がった日生は恥ずかしそうに続ける。

「怒った?」
「別に怒りませんよ、それくらいで」
「本当?」
「本当ですから、あんまくっつかないでください」

「……話なら後でいくらでも聞くんで」そう続ける日生は、そう僅かに口ごもらせた。
 日生に宥められ、しょんぼりしながら俺は渋々日生から離れる。
 このまま無理矢理脱がせてもよかったが、それで食器が被害に遭ってしまえば確実に俺が文句言われる。

 そのままとぼとぼソファーに戻る俺に、日生はなにか言いたそうな顔をしてこちらを見ていたが数分も経てば皿洗いに集中していた。

 ◆ ◆ ◆

「先輩、終わりましたよ」

 ソファーの上に横になってテレビを見ていると、言いながら日生が近付いてくる。
「ん?ああ、お疲れー」テレビに視線を向けたまま、俺は適当に返事をした。

「……」
「……」
「……あの、しないんですか?」
「は?」

 いきなり尋ねてくる日生に、俺は疑問符を浮かべながら上半身を起こした。
 側に立つ日生に目を向ければ、日生は「え?」と驚いたように目を丸くする。

「するって、なにを?」
「いや、だってさっき……」
「……さっき?」

 とぼける俺に、日生はじわじわと顔を赤くさせた。
 テレビを見ていたせいで先ほどまでのやり取りをすっかり忘れていた俺は、恥じらう日生に「ああ」て思い出したように声をあげる。どうやら日生はお礼のことを言っているようだ。

「なんだ、結構日生君期待してたわけ?」
「ちが、あの、やっぱいいです。俺、帰ります」
「なんで。そのために話しかけたんじゃねーの?」

 今さら恥ずかしくなったのか、慌てて逃げようとする日生の服を掴む。
 この動揺っぷり。素直になりゃあいいものを、無理して否定するから苦しくなる。

「日生君たらやらしーなあ。わざわざ自分からねだるなんて」
「だって、先輩が……っ」
「俺のせい?日生君てば人のせいにしちゃうんだ」
「だって、先輩が、して欲しそうにしてたんじゃないですか」
「俺が?俺は日生君がしてほしそうだったから言っただけなんだけどなあ」

 顔を真っ赤にしてきて言い返してくる日生が可愛くて、つい俺は煽ってしまう。
 否定できなくなったのか、急に押し黙る日生。かと思えば、いきなり「帰ります」と言い出した。

「え」
「長居してすみませんでした」
「あ、嘘嘘、ちょっと待ってって」

 調子に乗って弄りすぎたせいですっかり日生が臍を曲げてしまったようだ。
 そのまま廊下へ繋がる扉から出ていこうとする日生に、慌てて俺はソファーから降りながら服を引っ張り日生を止める。

「冗談だってば。ちゃんとお礼するから」
「いいですって、別に」
「拗ねないでよ」
「拗ねてません」

 こいつ絶対拗ねてる。
 やけくそになって俺を振り払おうとする日生に、俺は慌てて引き留めようと服を引っ張った。

「日生君、服、服!伸びちゃうって」

 構わず俺から離れようとする日生の服が捲れ、何故か俺が無理矢理脱がしているような図が出来上がる。よっぽど恥ずかしかったのか、「ほっといてください!」と声を上げる日生。
 と、同時にリビングの扉が開いた。十和だ。
 いつの間にかに帰宅していたらしい十和は扉を開き、リビングで揉めている俺と日生を見て硬直する。なんつータイミングで帰ってきてんだ、こいつは。

「……お前、日生になにして……っ」

 見ようによっては俺が日生を剥いているようにも見えるこの状況。
 案の定十和はそう勘違いしたようだ。相変わらず都合のいい脳みそである。

 案の定邪魔に入ってきた十和と殴り合いになったが、結果慌てて仲裁に入った日生を間違って殴ってしまい事は収拾した。
 結局日生へのお礼は怪我の手当てということになり、この出来事のお陰で益々兄弟仲が悪化した。

 おしまい

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