尻軽男は愛されたい


 01

 木江大地、華の十七歳。
 趣味もないし好きなこともないし嫌いなものもないし特技もない。
 頭も悪くて金もないから取り敢えず女の子とイチャイチャして時間を潰してきた。
 いつ頃からだろうか。イチャイチャする相手が女の子だけじゃなくなってしまったのは。
 そんなしょうもないことをぼんやりと考えながら、俺は目の前の男に目を向ける。
 名前は、國見七緒。確か一つ下の学年で、事実上俺の後輩にあたる。
 女みたいに伸ばした長い髪と悪趣味なアクセサリーがよく似合うちゃらんぽらんだ。

「そういや、大ちゃんってまだ古賀さんと別れてないの?」

 言いながら、七緒は俺の制服に手を伸ばす。
 古賀さん、って誰だっけ。聞きなれない名字に少し俺は思考を停止させる。

「……あー、愛斗のこと?」

 俺の制服を脱がせようとする七緒の手元に目を向けながら、俺は『古賀』という名字の知り合いの名前を口にした。
「うん」俺の言葉に小さく七緒は、露出させた肌に唇を寄せる。七緒の長い髪が触れ、かなりくすぐったい。

「いっつも喧嘩してんじゃん。早く別れた方がいいんじゃない?」

「んで、俺と付き合うの」はだけさせた胸元に舌を這わせる七緒に、俺は背筋を震わせる。
 なんか、前にも七緒とこんな会話したことがあった気がする。

「それも悪くねーな」

 冗談混じりに喉を鳴らして笑う俺に、七緒は少し不満そうな顔をした。
「俺は本気で言ってるのに」むくれる七緒に、俺は「そうかそうか」と笑いながら七緒の頭を撫でる。本気で言ってるのがわかっているから、軽く流してるんだよ。
 変に独占欲が強い七緒の性格は自分なりに把握しているつもりだ。

「そこ、……もっと舐めろよ」

 俺は話を逸らすように、七緒の髪を無理矢理掴み自分の胸元に寄せる。

「乳首好きなの?初めて知った」

 言いながら口を開いた七緒はそのまま俺の乳首を口に含めた。
 思ったより七緒の口内は熱く、唾液で濡れた舌でそこを舐め上げれた俺は壁に背中を押し付ける。

「俺も、初めて言った」

 七緒は、セックスが好きだと言った。互いに裸になってぴったりとくっついたときの体温が気持ち良くて、大好き。そう照れたように笑う七緒は、言いながら俺に抱き着いてくる。

 場所は学校の男子便所。
 個室の中にこもって色々やらかしていた俺は、ベタベタとくっついてくる七緒を一瞥する。
 いちいち重いんだよな、こいつ。そういうところが可愛いと思うときもあるが、今はなんとなく鬱陶しく感じた。

「服着たいんだけど」
「そのままでいいんじゃないかな」
「俺が風邪引いたらどうすんだよ」
「お医者さんごっこする」

「俺、ナースで」と譫言のように呟く七緒に俺は「お前がかよ」と思わず突っ込んでしまう。

「なーなーおーってばー」

 俺はぐいぐいと七緒の髪を引っ張り、半ば無理矢理引き剥がした。
「痛いよう」慌てて頭部を両手で押さえる七緒。少し強くやりすぎたようだ。

「あ、悪い。禿げた?」
「ちょっと禿げたかも……」

 泣きそうになる七緒を後ろ向かせ、俺は七緒の後頭部に目を向けた。
 大丈夫、鬱陶しい長髪は無事健在している。

「どうして大ちゃんは俺を虐めるのさ」

 大袈裟に泣き真似をしてみせる七緒に、俺は「お前だって俺を虐めるだろ」と笑った。
 七緒を虐めた覚えはないが、可愛いので乗ってやることにする。

「じゃあお互い様だね」

 どうやら俺の答えが気に入ったらしく、七緒はヘラヘラとだらしなく笑い出した。
「そーかもね」俺は適当に流しながら、着崩れした制服を整える。

「もう行っちゃうの?」
「お前だってこれから予備校あるんだろ」

 もっとも、七緒は予備校に遊びに行っているようなものだけれど。

「あの幼馴染み、今頃お前のこと探し回ってるんじゃねえの?」

 よく七緒と一緒にいるのを見かける男子生徒を思い出しながら、俺はそう続ける。俺の言葉に、七緒は「あっ」と思い出したような声を上げた。もしかしなくても、予備校と幼馴染みのこともろとも忘れていたらしい。
 七緒の場合、マイペースっていう問題じゃないな。内心俺は例の幼馴染みに同情しながら、そのまま七緒を置いて個室を出ていこうとする。

「わ……っ」

 噂と言えば、なんとやら。個室の扉を開いた俺の視界には、いつも七緒と一緒にいるあの幼馴染みが立っていた。
 まともに手入れされていない黒い髪に、年相応の幼い顔。周りよりも少し高いくらいの身長は、結構ツボだったりする。

「あーゴメンね。七緒ならすぐ出てくると思うから」

 俺はそう目を細め、七緒の幼馴染みに笑いかけた。

「そう……ですか」

 いきなり俺が出てきたのに驚いたのだろうか。
 男子生徒はおもむろに俺から視線を逸らせば、そう掠れた声で呟いた。七緒のように遊び慣れた相手とするのもいいけど、こういういかにも童貞丸出しなやつも悪くない。
 泣かせてみたい。本人を前に不純な妄想を巡らせていると、不意に扉が開き制服を着た七緒が顔を出す。

「あ、ヒナちゃん。待っててくれたの?」

 ヒナちゃん、と呼ばれた男子生徒は自分のよく知った人物の登場にほっと胸を撫で下ろした。
 そんなに俺と二人きりは嫌なのか、となんだか面白くなかったがまあ初対面相手なんだからしょうがないのだろう。

「大ちゃんの言った通りだ。すごいねー」
「すごいね、じゃなくて……っなにやってたんだよ。探してたのに」

 能天気な七緒に、ヒナちゃん、もとい日生弥一は怒ったように七緒の腕を引っ張った。
「ほら、行くよ」声を潜めてそう七緒に言い聞かせる日生。

「あ、ちょっと」

 もう帰るのか。まだメアド聞いてないのに。
 咄嗟に声をかけてみるが、日生はまるで俺から逃げるように七緒を引き摺りながらそのまま便所を後にする。最後まで日生は俺と目を合わせてくれなかった。

「なんであの人と一緒にいるんだよ。危ないって絶対」
「えー大ちゃんは優しいよ」

 バタバタと廊下を歩く足音とともに遠ざかっていく二人の声が耳に入ってくる。
 危ないって、なんだそりゃ。俺は危険物か。
 半ば呆れたような顔をしながら、俺はそのまま男子便所をから廊下に顔を出す。
 七緒たちが立ち去った後の廊下は酷く静かだった。

 日生は俺が側で聞き耳を立てていないと思っていたのだろうか。それとも、わざとか。
 どちらにせよ、面白い。大人しそうな顔をして警戒心を丸出しにした相手ほど、可愛がりたくなるものだ。
 今度七緒に会ったとき、日生の連絡先聞こう。それで、無言電話掛けまくってやる。
 そんなくだらないことを思いながら、俺は静かな廊下を歩いて昇降口に向かった。

 昇降口前。
 ペタペタと履き潰した上履きを鳴らしながら歩いていると、見知った生徒を見つけた。

「愛斗」

 古賀愛斗。
 肩口まで伸ばした染め直したような真っ黒な髪がやけに目立つ愛想と無縁な男だ。中学の頃からの知り合いで、俺の恋人で、俺の初めての相手だったりする。
 愛斗は、お世辞にもいいとは言い難い目付きで俺を一瞥した。

「……まだ帰ってなかったのか」
「ん、まあねー。そっちは?部活終わったの?」

 ジャージ姿の愛斗は、俺の言葉に「ああ」と頷く。相変わらず、愛想が悪い。まあ、そこがいいんだけど。
 なんてノロケたようなことを思いながら、俺は愛斗に近付いた。

「……お前、またヤってきただろ」

 一瞬顔をしかめた愛斗は、いいながら俺の方に目を向ける。バレるの早い。
「あれ、なんでわかったの?」俺は少し驚いたような顔をして笑みを浮かべた。
 対する愛斗は、呆れたような諦めたような顔をする。

「香水くせーんだよ、お前」

 舌打ち混じりにそう吐き捨てる愛斗は、靴箱から靴を取り出す。
 言われてから、俺は自分の袖に鼻を近付けた。あ、本当だ。すげー臭い。そんなことを思いながら、俺はさっきまで一緒にいた七緒のことを思い出した。

「どうせあいつだろ?お前につきまとっているあの馬鹿そうな一年」

 そんなことまでわかるのか。

「へえ、すごいねー愛斗。犬みたい」
「うるせーな、馬鹿にしてんのか」

 イラついたように眉間に皺を寄せる愛斗は、段差を降りその上に靴を転がした。
 可愛いのに、犬。
 言い返してやりたかったが、拗ねた愛斗は面倒なので敢えて俺はなにも言わないことにした。
 靴に履き替える愛斗を横目に、俺は靴箱の扉を開き、上履きと靴を持ちかえる。

「そうだ、今からどっか行こうよ。昼間なんも食ってなくてさー」

 ヘラヘラと笑いながら俺は愛斗の背中に話し掛けた。嘘じゃない。
 あくまで気軽に愛斗を誘う俺に、肝心の愛斗は「無理。この後予定入ってる」とか言い出した。しかも、こっちを見向きもせずに。

「……は?誰と?」

 まさか断られるとは思っていなかった俺は、目を丸くして愛斗に近付いた。
 こっちを見ようとしない愛斗に、俺は愛斗の肩を掴み無理矢理こちらを向かせようとする。

「学校で触るなっていってんだろ」

 そう言って、愛斗は俺の手を振り払った。まるで、集ってきた虫でも払うような仕草で。

「俺が誰と用があろうが、お前には関係ないだろ」

 とうとう愛斗は俺の方を見ず、踵を踏み慣らせばそのまま校門へと繋がる扉に足を向かわせた。
 なんだその言い方。恋人に対してなんでそんな冷たいことを言うんだ。無愛想なやつだとは思っていたが、ここまで嫌悪感を露にさせた愛斗は初めてだ。

「愛斗のばーかっ」

 なんだか悔しくなって、俺は出入り口の扉を開く愛斗の背中に向かって叫ぶ。
 愛斗は一瞬ぎょっとした顔でこちらを振り向いたが、なにも言わずにそのまま外へ出た。

「そうそう、古賀は大馬鹿だからなー。もっと言ってやれよ」

 不意に、背後からおどけたような明るい声が聞こえてくる。聞き慣れたら声に、俺は振り向いた。
 そこには、愛斗同様ジャージ姿の男子生徒が靴を片手に立っている。
 信楽相馬。古賀の親友で、俺の友人の一人。
 短く切った茶髪をワックスで弄ったような頭と大きめの目が女子に「可愛い」と評判の所謂体育会系の男だ。

「悪いな、木江。古賀のことちょっと借りるから怒るなよ」

 相馬は言いながら申し訳なさそうに苦笑を浮かべた。
 どうやら、愛斗の言っていた用というのは相馬とのことらしい。

「あーお前ならいいや。浮気の心配がねーもん」
「ひっでぇな。それって俺に魅力がないってことかよ」

 含み笑いを浮かべながら意地の悪いことを言う俺に、相馬は可笑しそうに笑った。
「お前と色気は無縁だもんな」にやにやと口許を緩める俺に、相馬は「やめろよ、傷つくだろ」と笑いながら言う。
 実際、相馬は恋だとか女だとか言うより、飯だとか部活だとか言っているのが似合っていた。ちなみに褒めているつもりだ。

「ま、そういうことだから。古賀と喧嘩すんなよ」

 段差を降り、靴に履き替える相馬はこちらを振り返ればそう言って爽やかに笑う。
 俺の返事を待たずに、相馬はそれだけを言えば愛斗の後を追うように出入り口を後にした。
 もうおせーよ。あまりにも間が悪い相馬の背中を見送りながら、思わず俺は苦笑を漏らした。

 相馬と別れた俺は、これ以上学校にいても仕方ないと判断し出入り口の扉を開きそのまま外へ出る。
 雲の淀んだ黒と夕日の赤が混ざったなんとも言えないような空が視界に入った。
 なんだかんだ、一人は寂しかったり。俺としては愛斗と帰る気満々だったので、妙な物悲しさに足取りが重くなる。
 部活動の生徒たちが行き来する中、一人俺はフラフラと校門に向かって歩いていった。
 あー暇だな。適当に誰か引っ掛けようかな。
 制服のポケットから携帯電話を取り出し、電話帳を開いてみる。
 数だけはあるが、大半は交換しただけで一、二回しか連絡を取っていない相手ばかりだ。うわー寂しい。どうしよ。携帯電話を片手に立ち往生していると、校門の下に集まっている女子の集団が目に入った。

「ちょっとー、葵衣ちゃんはうちらとカラオケ行くんだってー」
「なによ。あたしらのが先に葵衣ちゃんとショッピング行くって誘ったんだから!」

 全員でひとつの集団だと思っていたが、どうやら二つのグループの女子生徒同士が揉めているだけのようだ。
 その輪の中には、よく顔見知った小柄な少女……の皮を被った少年がニコニコと笑いながら立っている。
 岸本葵衣、通称葵衣ちゃん。正真正銘の男だ。

「もー、二人とも仲良くしようよぉ。せっかく可愛いのに、ほら、ぷんぷんしてるのは似合わないよ?」

 岸本葵衣は言いながらグループのリーダーらしき二人の女子生徒に笑いかける。
 男にしては高く、女にしては低い中性的な猫なで声にうっかり騙される人間は少なくはないはずだ。金と黒のツートンという近寄りがたい頭をした岸本だが、周りはそんなこと気に止めてもいないらしい。

「なによう、今日という今日は騙されないんだからね。葵衣ちゃんだってうちらとカラオケ行くの楽しみって言ったのに」

 笑ってその場をやり過ごそうとしていた岸本だったが、カラオケ派のリーダーの女子がじわじわと涙目になっているのを見て本気で困惑し出す。

「わかったよう。じゃあお買い物は明日にしよ?今日は皆でカラオケってことで……」
「ちょっと!なんでそうなるのよ!あたしらだって、あたしらだって……葵衣ちゃんと……」

 冷や汗を滲ませながら両者にそう提案をする岸本に、ショッピング派のリーダーは感極まってぼろぼろと泣き出した。
 泣き出す女子たちを見ておろおろと慌てる岸本は、その様子を遠巻きに眺めていた俺を見つける。

「そうだ、じゃあ僕はカラオケ行くからお買い物は大地に連れてってもらいなよ!」

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