尻軽男は愛されたい


 06

 途中通行人の視線が痛かったが特に気に止めるわけでもなく、俺は七緒の家があるマンションへとやってきた。
 目の前に聳え立つは俺が住んでるマンションとはまた違った雰囲気のデザイナーズマンション。
 七緒の家に来るのは初めてだが、このハイセンスなマンションは何度か見かけたことがある。

「へー、お前ここ住んでんの」
「うん。姉ちゃんと」
「二人暮らし?」
「前はね。最近は一人」
「一人?」

 他愛ない会話を交えながら、七緒の鍵を使ってマンションロビーへ入った俺たち。
「姉ちゃん、今彼氏と同棲してんの」そのままエレベーターの前まで歩いていく七緒は、物珍しそうにマンションの中を見渡す俺を見て頬を弛ませる。

「まじで?じゃあほぼ一人暮らしじゃん。羨ましー」
「そうでもないよ。一人だと家事とかが面倒になるからやる気でないし」
「飯とかは?」
「たまに姉ちゃんが作りに来てくれる。あとは、ヒナちゃんが色々面倒見てくれるから」
「ヒナちゃん?……って、ああ、日生か」

 こ洒落た内装のエレベーターに乗り込んだ俺と七緒。
 七緒が慣れた手付きで目的の階を設定すれば、エレベーター機内は静かに動き出した。
「ヒナちゃんの料理美味しいんだよ」と思い出したように笑う七緒は本当に楽しそうで、なんとなく日生に妬いてしまう。

「いいなー。俺も一人暮らししたい」
「なんで?」
「なんとなく。一人って楽しそうじゃん」
「大ちゃんが一人暮らしは無理じゃない?」

 エレベーター機内。
 さらりと失礼なことを口にする七緒に、俺はムッとする。
「怒んないでよ」拗ねる俺に、七緒は笑いながら俺の顔を見た。

「だって、大ちゃん寂しがり屋じゃん。それに、面倒臭がりだし」
「お前もだろ」

 目的の階についたようだ。
 小さく音を立てて開くドアを横目に、七緒は「そうだよ」と頷いてみせる。

「大ちゃんは俺と似ているからわかるんだよね」

 七緒は強く俺の手を握ったまま、開くドアから俺を連れ出した。
 俺、七緒ほど泣き虫じゃないけどなぁ……。思いながら、俺は七緒の横顔に目を向ける。
 相変わらず、いちいち言うことが重たい。

「着いたよ」

 エレベーターを降りて様々な種類のカラフルな扉が立ち並ぶ通路を渡った先、七緒の家はあった。
 青い扉の前で立ち止まった七緒は、言いながら後ろをついてくる俺に目を向ける。
 確かに、その扉には國見と書かれたネームプレートがかかっていた。

「お邪魔しまーす」

 開錠した扉から玄関へと入った俺は、言いながら履いていた靴を脱ぐ。
「どうぞどうぞ」俺の後に続いて玄関に入った七緒は、ヘラヘラと笑いながら扉を閉めた。
 背後からガチャリと錠の落ちる音が聞こえる。どうやら七緒が鍵をかけたようだ。

「へぇー、広いなあ」
「姉ちゃんのもの、殆ど持っていったからねー」

 玄関から上がり、言いながら辺りを見回す俺に七緒はそうなんでもないような調子で続ける。
 本当に、なにもなかった。静かな玄関に薄暗い廊下。あとは玄関に七緒のものらしき靴が何足か転がってるくらいだ。

「お前の部屋どこ?」
「奥いったところの扉」
「見ていーい?」
「もちろん」

 壁のスイッチを押し、部屋の照明を点けた俺は言われた通り足を進める。
 結構広いなー俺んちより広いかも。一人しか使ってないってのになんという贅沢だろうか。
 俺は七緒に言われた扉の前までやってくる。躊躇うわけでもなく扉のドアノブを掴んだ俺は、そのままそれを捻った。静かな音を立て、いとも簡単に扉は開いた。

「あ、なんか意外と普通」

 目の前に広がる部屋を見渡した俺は、言いながらその中に足を踏み入れる。
「どんなの想像したの」続いて部屋の中に入ってくる七緒は、そう心外そうな顔をした。

「なんか、カラフルでごちゃごちゃした感じかなと」
「どんなんだよ」
「だって七緒いつもチャラチャラしてるじゃん」

「チャラチャラ……?」俺のせつめいが悪いのか、いまいちピンとこない七緒は不思議そうな顔をする。
「ん」俺は七緒の身に付けているアクセサリーを指差した。
 すると、俺の発言を理解したのか「ああ」と納得したような顔をする。

「ごちゃごちゃしてた方がよかった?」
「別に、いいんじゃねーの」
「本当?」
「嘘ついてどうすんの」
「わーい、大ちゃんに褒められちゃった」

 褒めたつもりはないのだが、せっかく七緒が嬉しそうなので放っておくことにした。
 部屋の灯りを点け、なにか面白そうなものはないかと俺はベッドに近付く。

「やだちょっと、大ちゃん気早い」
「なに考えてんの七緒君」

 どうやらベッドに近付く俺によからぬ勘違いをしたようだ。
 床に屈み込みベッドの下を覗き込む俺に、七緒は「なにやってんの?」と不思議そうな顔をする。

「エロ本ないかなって」
「残念でしたーそこにはありませーん」
「まじで」
「俺動画派だもん」

 なにもないベッドの下から顔を上げる俺に、七緒は得意気な笑みを浮かべた。
 まあ、威張ることじゃないな。思いながら、俺は「つまんねー」と舌打ちをする。

「それに、今は大ちゃんがいるし」

 どうしてこいつはいちいち話をこっちに持っていくのだろうか。
 なにか期待するような目でこちらを見てくる七緒は、少し照れたように笑う。

「生のがいいって?」
「違うよ、大ちゃんだからいいの」
「そっか。お前俺のこと好きだもんなー」
「うん。大好き」

 なんてお決まりの会話を交わしながら、俺は上半身を起こしそのまま立ち上がった。
 変な体勢をとったせいか節々が痛む。

「なんかねーの?ほら、ゲームとか」
「ああ、ゲームならテレビの方にあるよー。する?」
「する」

 妙に甘ったるい雰囲気に堪えられなくなった俺は、そう強引に話題を変えることにした。
「じゃあ、こっち」自分の自室の扉から廊下へ出た七緒は、そう言って俺を先導する。
 七緒に案内をさせ、そのまま部屋を出た俺はリビングへと向かった。

 七緒宅、リビング。
 妙に小綺麗なそこは思ったよりも広かった。
 七緒が掃除しているのかと驚いたが、先程の七緒の話を思い出す限り恐らく日生が掃除しているのだろう。
 箒と塵取りを手にし、エプロンを着た日生がこの部屋を掃除しているのが安易に想像できる。

「つーか、テレビでけー」

 七緒の後を追ってリビングの中へ入った俺は、どんとリビングに置いてある大画面の液晶テレビに目を丸くした。
 うちんちにあるやつよりでかいかも。興奮しながら、俺はそのままテレビに近付いた。

「すげー、なにこれ。ぜってー首つる」
「近すぎだよ、大ちゃん」

 テレビの前にしゃがみ込んでテンションを上げる俺に、七緒は可笑しそうに笑った。

「ゲームやるんだろ。はい、好きなの選んでいいよ」

 テレビの側にあった棚の中から大量のゲームが入った大きなケースを取り出した七緒は、言いながらそれを俺の側に置く。
 その量に目を丸くした俺は、思わず七緒とケースを交互に見た。
 こいつ、あれか。意外とヲタクなやつなのだろうか。
 あまりの量に驚き通り越してドン引きつつ、俺はケースの中へ手を伸ばし適当なゲームを手に取る。

「あれ、これって」

 ゲームのパッケージには、どこか見覚えがあった。
 万年金欠の俺が欲しいと思っていた最近出たばかりのゲームだ。
 まさかこんなところで手にすることができるなんて思ってなくて、俺は素で驚いた。

「ここ最近、大ちゃんがずっと欲しい欲しいって言ってたから」

「買っちゃった」と七緒は無邪気に笑う。
 お前、全然興味なさそうだったくせにお前。
 なんでもないように口にする七緒に、俺は口をぽかんと開けたまま七緒を見上げる。
「ん?」じっと七緒を見る俺に、七緒は少しだけ恥ずかしそうな顔をしながら小首傾げた。

「つーか、え?七緒ってゲームやる人だったっけ」

 七緒から顔を逸らした俺は、言いながらケースの中にある他のゲームを手に取った。
 たまたま手に取ったそれも、俺の欲しがっていたものだった。

「俺?んーん、ゲームとかあんまやんないなあ。俺、要領悪いから」

 持っていたゲームを床の上に置き、俺は更にケースの中へ手を伸ばし五本一気に取り出す。
 もしやまさかもしかして。思いながらゲームを床の上に広げた俺は、並ぶ見覚えのあるパッケージに背筋を震わせた。
 出てきたゲームはどれも、俺が気になっていたものばっかりだった。

「え?じゃあ、これって……」

 並ぶゲームから顔を逸らした俺は、側に立つ七緒を見上げる。

「全部やったことないよ?」

 あっけらかんとした調子でそう笑う七緒に、俺は腹の底から変な感覚が込み上げてくるのを感じた。
 自分の欲しがっていたものを手にした興奮か、それともここまでかというくらい俺を甘やかそうとする七緒に対して恐怖か。現時点で、俺がそれを知る由はなかった。

「……買ったのにやんねーって、どんだけだよお前」

 俺から見て、七緒の金銭感覚が狂っているようにしか思えなかった。
 呆れたように呟く俺に、七緒は不思議そうな顔をする。

「そーお?大ちゃんのために買ったんだから別にいいじゃん」
「じゃあ俺にちょうだいよ」
「それはだめ」

 俺のために買ったのに俺にはあげない。
 その言葉に、益々俺は七緒がなにを企んでいるのかわからなくなる。
「なんで」まさか断られるとは思ってもいなかった俺は、「ケチ」と唇を尖らせた。

「やりたいなら、俺の家で好きなだけやったらいいじゃん。大ちゃんが欲しいもの、いくらでも買ってあげるし」

 太っ腹な七緒の言葉に、妙な違和感を感じた俺は「へー、金あんだ」と七緒に笑いかける。
「まあ、それなりにね」俺の遠慮ない問い掛けに気を悪くするわけでもなく、七緒はそう肯定した。

「……まさか、お前変なことしてんじゃねーよな」

 やけに自信たっぷりに答える七緒を訝しく思った俺は、それを顔に出さないように気を付けながらそうストレートに尋ねた。
 まさかそんなことを聞かれるとは思わなかったのだろう。
 キョトンとした七緒だったが、やがて困ったような笑みを浮かべた。

「大ちゃん、俺のこと心配してくれてるんだ」

 その逆。疑ってんだよ。
 なんて言って面倒なことになるのは避けたかった俺は、「どうだろうな」と笑い流すことにした。
 露骨にはぐらかしてくる七緒に、わざわざしつこく尋ねる趣味もない。
 引っ掛かりはしたが、追求するのも面倒だった俺は考えるのをやめた。

「それにしても、本当よく調べたな」
「でしょ?頑張ったんだよ。大ちゃん嬉しい?」
「……まあ、嬉しいっちゃあ嬉しいけどさぁ」

 ここまでされると、正直引いてしまう。
 床に並べた未開封のゲームを手に取った俺は、どういう反応をすればいいのかわからず語尾を濁した。

「……もしかして、嫌だった?」

 歯切れの悪い俺に、七緒の表情が不安そうなものになる。
 七緒は恐る恐る顔を覗き込んできた。
「……いや、嬉しい。まじで嬉しい」また泣きそうになる七緒に焦った俺は、言いながら七緒の頭を撫でてやる。
 まあ後輩に貢がせられるのは不本意だったが、欲しかったものがこんなに簡単に手に入るなんて中々気持ちがいい。

「……本当?」

 なんでそこで疑うのかがわからなかったが、七緒は不安そうな顔をして俺の顔を覗き込んでくる。
「本当本当」ゲームのパッケージを眺めながら、俺は適当に七緒の頭を撫でながらあしらった。
 それでも七緒は安心できなかったようだ。

「嘘じゃない?」
「嘘じゃない嘘じゃない」

 なんて会話を何回か繰り返した後、ようやく安心したらしい七緒は「よかった」と頬を綻ばせた。

「大ちゃんが喜んでくれたら、俺もすごい嬉しい」
「そーかそーか、偉いなあ七緒は。ところで、ゲーム機は?」

 なんとなく長くなりそうだったので俺は強引に話題を転換させる。
「ゲーム機?」いきなり話題を変えられ少し七緒は戸惑っていたような顔をしていたが、やがて「ああ」と思い出したような顔をした。

「確かあっちに……ちょっと待ってて」

 立ち上がり、俺の手から離れた七緒はそのままバタバタとリビングから出ていく。
 どうやら別々に仕舞っていたようだ。
 暫くもしないうちに「持ってきたよ」とはしゃぎながらリビングへ戻ってきた七緒が持っていたゲーム機は、見事に未開封のまま箱に詰められていた。
 七緒に持ってきたゲーム機をテレビに繋げるよう命令すること数十分。
 もたもたと慣れない手つきで接続を終えた七緒は、「大ちゃん、できたよー」と達成感たっぷりの笑みを浮かべ俺に声をかける。
 ソファーに腰を下ろし冷蔵庫から持ってきたフルーツジュースを飲んでいた俺は、飲み掛けのグラスをテーブルの上に置いた。

「流石、七緒は賢いなあ。俺、わけわかんなくてすぐやめちゃったのに」
「本当?惚れ直した?」
「うんうん。七緒すっげーかっこいい。まじ好きになりそー」

 ソファーから腰を浮かせた俺は、ゲーム機が置かれた床の上に座り込んだ。
 まあ、本当なら十分くらいありゃすぐに終わるんだけどな。
 思いながら、俺はテーブルの上に避難させておいたゲームのパッケージを手に取った。

「うっそ、まじで?うわー嬉しい。頑張ってよかった!」

 嬉しそうにはしゃぐ七緒を他所に、俺は手に取ったゲームのパッケージを開け中からをソフトを取り出す。

「ねえねえ大ちゃん大ちゃん、じゃあ古賀さんと俺どっちが好き?」

 ゲーム機の中にソフトを入れる俺に、七緒は言いながら甘えるように擦り寄ってきた。
 あーちょっと持ち上げすぎたか。
 腰回りに腕を回しすりすりと背中に頬をくっつけ鼻にかかった声で聞いてくる七緒に、俺はゲーム機の電源を入れながらぼんやりとそんなことを思う。

「ねえねえ大ちゃん、大ちゃんってばーねえって」

 ぎゅうぎゅうと抱き着いてくる七緒を一瞥した俺は、コントローラーを手に持ったまま「七緒」と静かに名前を呼ぶ。
「えへへへ、なあに?」べったりとくっついてくる七緒は、相変わらず上機嫌のまま俺を上目に見た。

「おすわり」

 ◆ ◆ ◆

 そう七緒に命令してから暫く経つ。
 コントローラーを手にした俺は大画面テレビの前で胡座を掻き、新作のゲームを楽しんでいた。
 リビングに響くのは大音量のテレビ音に忙しいコントローラーの音。

「……大ちゃん、構って……俺寂しすぎて死んじゃいそう……」
「いまいいところ」
「やだよ構ってよ大ちゃん、こっち向いてよしよしってしてよーっ」

 七緒の相手をするのが段々面倒になってきた俺は、床の上に寝そべって俺に甘えてくる七緒を適当にあしらいながらゲームに集中する。
 お前が複数人数用のゲームを買ってないから悪い。
 俺は、七緒を無視してカチャカチャと音を立てコントローラーを弄くり回す。
 駄々っ子のように足をバタバタさせていた七緒だったが、どうやら疲れたようだ。
 ぱたりと動かなくなった七緒を一瞥し、再び俺はテレビ画面に目を向ける。首が痛い。
 急に大人しくなった七緒を訝しげに思いながらも、俺はゲームを続行する。
 そのときだった。ゴロゴロと俺の元まで転がってきた七緒はむくりと起き上がり、そのままもそもそと俺の背後に移動する。

「七緒、そこにいられると気ぃ散るんだけど」

 背後から俺を抱きすくめるようにしゃがみ込む七緒に、俺はそうテレビに目を向けたまま言った。
 しかし、無反応。

「……七緒?」

 流石にからかいすぎて臍を曲げてしまったのだろうか。
 そう思いながらも、俺はコントローラーを握る。
 背後からいられるのはあまり落ち着かなかったが、無視できないほどでもない。
 くっついてくる七緒を無視してゲームを続けていると、不意に背後から伸びてきた七緒の手が俺の服をたくし上げる。

「お前……っ」

 いきなりけしかけてくる七緒に驚いた俺は、思わずコントローラーを持つ手を止めてしまう。

「……大ちゃんはゲームしてればいーじゃん。俺も勝手にするから」

 そう拗ねたように言う七緒は、言いながら俺の腹筋を指でなぞる。
 ぞわりと背筋が震え、俺はコントローラーを握り締めた。
 どんだけ構ってほしいんだよ、こいつ。

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