Open sesame!51



「二人の血の繋がった子供って意味なら難しいと思う。あいつ男だから」
またもやぱちくりと目を瞬いて母二人は尾白を凝視する。一回目は驚愕が勝っている様子だったが、今回は尾白の真意を探る沈黙だった。
またもや酒は置かれ、再び水の出番となる。
「……あんたそうだったの?」
アルコールではない液体で湿らせた喉からは実の母にしては珍しく、いま目の前に無防備に差し出されたものについてどう触れていいものか迷う素振りがあった。
対して尾白はそんな親の気遣いなどどこ吹く風で、さあ、と首を傾け自分のなかに答えを探す。恋愛対象を性別で意識したことはなく、そもそも恋愛感情が何たるかさえろくに実感できずにいたのだ。目立つ容姿ゆえそれを好きだと、なかには日向と同じように中身も好きだと言ってくれる者もいたが、尾白はこれまで恋人を作ろうと思えたことはなかった。尾白と恋愛は常に身近にありながら決して交わることのない、薄皮一枚隔てた関係にあったのだ。それを溶かして触れあわせ馴染ませたのが日向で、日向が尾白と恋愛を結び付けた。
日向が女だった場合を考えてみても尾白の気持ちは変わらないから、あえて言うならバイになるのだろうか。かといって男か女かで区切らなくても日向なら結果は同じことになると思う。
「男だから好きなんじゃなくて、好きになりたいと思えたやつが男だったんだ」
納得と共に自分の考えをまとめて言うと、考え深げに目を細めた母の横でメイドが、リアルでその台詞を聞くことになるとはとこれまた珍しくよろめいた呟きを落とす。戦いているようにすら見える。その背中を母が擦り、メイドはそんな母の行動に感動の面持ちに早変わりする。育ての母は飲酒タイムが始まるや否やちゃっかり自分の椅子を母の真横に移動させ、自分も飲みつつ酌をしていた。
母は母で尾白の答えを飲み込むと、すっかり酔いの冷めた冷静な態度でいる。強い視線で尾白を見返した。それでいいのねと念を押す。
「――俺は、あいつがいい」
尾白の口からは母の問いに引っ張られるようにして答えが出ていた。それを聞いた母がゆるりと口の両端を持ち上げ、今度はその母にメイドが寄り添うように身を寄せる。
「あんたがいいならそれでいいわ。私が生みたくて生んだ子だもの。人様に迷惑かけなきゃそれでいい。好きにしな」
それから横にいるメイドに意見を促す。いつもながらの無表情、無感動でいるものの育ての母の言葉には不思議と温かで穏やかな色が宿っているように思えた。
「私も男というだけで反対するつもりはありません。そこは美人様と同じです。繰り返しになりますが、どうぞその方とより良い未来を築かれますよう」
そう言ったメイドの後に、どうせ私達が駄目って言っても聞かないくせに、と母がおかしそうに付け足す。これには尾白も反論しない。
そして母はまた酒を飲み始め、悪役のようないやらしさをちらつかせる。
「さてさて、今はよくてもこれからどうなることかしら。そこがあんたとあんたの好い人の腕の見せどころよね。これから先嫌でも色々あるんだから、精々見せつけてもらおうじゃない?」
ふんぞり返ってメイドに世話を焼かれながらそんなことを言う。尾白の生みの親である人生の先達は、今よりもっと若くて奔放でいたころ、己の人生設計に伴侶や子供の存在は不要だと考えていたそうだ。それには当時から公私共に肩を並べ、相棒ともいうべき彼女の信奉者が侍っていたからでもあったろう。そして何より彼女の生き方がそうしたことに不得手だったのだ。しかし尾白の父となる人を見つけた途端にその考えは一変する。この人の子ならばと稲妻に打たれたように直感したという。普通ならばそこでメロドラマが始まるのだろうが、尾白の母はそうした一般的な恋愛感覚とはかけ離れた人だった。そのとき用意できるだけの金をかき集めるとそれで彼の人を殴りつけ、その場の勢いでどうにかこうにか言いくるめ――このあたりの事情はさすがに息子には詳しく明かされなかった――、一晩の後に尾白を懐妊した。身辺調査を始め諸々の調査はしっかりやったと言うがそういう問題でもないと思う。
尾白も尾白でそうした出生の話を聞かされてもへえそうなのかくらいの感想しか出てこないので、この親にしてこの子ありである。
とにかくそうした相手とこの先の困難を乗り越えられるのかと、挑発とも激励ともつかぬ物言いで覚悟を問うてくる。
尾白は父に会ったこともなければ会おうと思ったこともない。言えば教えてくれるのだろうが、元々の性格と親としての責務は目の前の二人が十分に果たしてくれているのでその必要を感じなかった。これも母が尾白にその覚悟を見せてくれた、ということになるのだろうか。
とにかくそんなことを言うだけ言った母は意気揚々とグラスを傾ける。お代わりを要求するも、メイドからこれで最後だと通告されてその矛先を尾白に向けた。相手の子の写真はないのかと絡んでくる。尾白はメイドを見たが救援は望むべくもなさそうだった。この人の場合素の状態で母に酔っているとも言えるが、その信奉対象であるところの尾白の母はいつまで経っても梨の礫の息子になんだ一丁前に独占欲かと更に面倒くさくぶうたれ始める。
母の難癖はまたも尾白の図星に近い部分を言い当てていた。癪ではあったが仕方なく――本当に仕方なく、尾白は携帯に日向の画像を出して母に向ける。母はスッポンのような人で、一度噛みついたら満足するまで離れない。唯一の抑止力である育ての母が止めてくれないとなると尾白に逃げる術はなかった。
母は尾白が差し出した画面を見て明るく華やいだ声をあげる。どうやら好感触のようだ。一方メイドの方はというと彼女の反応は一風変わっていた。目を見開いてわなわなと震え某かの衝動が四肢に行き渡ったと思ったら、どこからか取り出した紙とペンを手に猛然と何かを描き始める。それから事細かく尾白に日向のことを聞き出してきた。そうしながらも手は一向に止まらず、鬼気迫る勢いで紙面にひたすら線を書き付けていく。瞬く間に形を成していくそれは日向をモデルにした服のデザイン画だった。
尾白が母達に見せたのは、この日入手したばかりの執事服の日向である。いかにも人の良さそうな眼鏡をかけた少年が、賑やかな少女達に囲まれて困ったように微笑んでいる。さながら元気すぎるお嬢様達に手を焼く少々とぼけた雰囲気の執事といったところだろうか。
尾白は育ての母のメイド服にちなんでこの写真を選んだわけだが、彼女が反応したのは執事服にだろうか。それとも――
いいんじゃない?と母のものやわらな声が尾白の耳に触れる。尾白が視線を動かすと一心不乱に描き綴るメイドを優しい眼差しで見守る母がいた。
「千里ちゃんのインスピレーションが働いたんなら私にも嬉しい誤算だわ」
尾白は再びメイドに視線を移す。ぶつぶつと断続的に聞こえる呟きからするに、どうやら尾白とセットでの構想が彼女の頭のなかで駆け巡っているらしかった。
「と、いうわけで……もっと見せなさいっ」
母がふいに手を伸ばして尾白が持っていた携帯を奪い取ろうとする。しかし尾白も負けてはいない。咄嗟に腕を後ろに避ける。親子の駆け引きは一進一退、早々と膠着状態に陥ったが、横合いから質問がいちいち飛んでくるので尾白はいまいち集中できない。
「坊っちゃんはその方にどんなイメージを持っておいでで?」
「どんなって……」
気をそらした瞬間、母が素早く椅子を降りて回り込み、あっという間に尾白の携帯をもぎ取っていった。質問が来るタイミングを読んでいたのか?というかあれは酒が入った人間ができる動きだったろうか。自分の母親は忍者か何かなのかと疑い出す息子を置いて、母は勝利のガッツポーズをして嬉々として息子の携帯をいじり出す。尾白は母が自分の携帯で何かよからぬことをしたら後で謝ってもらおうと、このことについてはもう考えないことにした。
そしてようやく、育ての母に聞かれたことに思考を巡らす。彼女の手元には既に描き散らかされた紙が散らばっており、尾白の脳裏に浮かんでくる日向のイメージといったらあれしかない。尾白は知らず表情が和んだことに気付かないまま口を開く。
「――犬かな」
メイドは瞼を下ろしてイメージを固めると、カッと目を見開いてまた猛然と描き始めた。どんどん完成していく図を眺めていると――やはりそれは尾白と二人揃っての図案だった――ねえ、と静かに母が声をかけてくる。
複雑そうな色味に戸惑いを添えた母が尾白に手元の携帯の画面を恐る恐る向けてきた。
「……これ、とってもとってもいい写真だと思うんだけど……あんた変なことしてないでしょうね?」
尾白はそれを見て痛恨の思いに打たれる。
映っているのは日向である。ただ先程の執事服とは違い学校指定の制服を着ており、学校のトイレの個室で便座に腰掛けてこちらを見ている。とろけた表情とほのかに上気した肌、加えてどこか呆けたような様子は夢現で気だるげと言ってもいい。何より写真のなかの彼は全身という全身から撮影者に対する好意を無闇矢鱈と放出しており、あなたになら何をされてもいいと今にも懇願して縋ってきそうな気配すらあった。
当事者以外なら何かいけないものを見てしまったような、妙な気恥ずかしさや気まずさを覚えてしまう写真だ。
この写真は尾白以外の誰にも、日向本人にも見せるつもりはなかったのに。
「だってこの携帯、あんたがめんどくさがって全部私に丸投げした時のまんまよ。せめてパスワードくらい変えなさいって言ったのに」
ぐうの音も出ず耳が痛い尾白だがとにかく今は携帯を回収しなければならない。が、伸ばした腕はとても軽やかに避けられた。やはり忍者か。母はメイドの背後に隠れ、籠城を決め込む。保護者としてこれは家族会議の余地があると判断したらしい。
つまり尾白は母にあまりにあからさまな被写体の様子とトイレというシチュエーションに、交際前から学校という公共の場でよからぬことをしているのではないかとあらぬ疑いをかけられているのだ。
尾白が何か言う前にメイドが母の手元を覗きこむ。未だ興奮の名残が滲む育ての母は一つ頷き、言った。
「とてもいいお写真です。お相手の方が坊っちゃんをどう思っていらっしゃるか、一目で分かる」
母と同じく難色を示すかと思いきやメイドはむしろ好意的な発言をする。美人様、と芯の通った声で母を呼ばわり、
「こういうお写真は撮られる側だけでなく、撮る方も相手を大事に思っていなければ、またお相手の方もこういう写真を撮ると事前に同意があり、なおかつ坊っちゃんを信頼していないと撮れないものだと私は考えますが、いかがでしょうか?」
「それは、私もそうあって欲しい――けど」
「他に美人様が気にしていらっしゃるのは、よもや学生が勉学に励むべき学舎で本分そっちのけでいかがわしい行為に及んでいるのではないか、というご懸念でしょう。ごもっともな心配です。しかし美人様」

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