Open sesame!41



「ううん、まずはここからか。何度でも言うけど、今回のことは俺の都合であって日向には直接関係ない。そこは変えないし、譲るつもりもないから」
そんなことを言う先輩に後輩は反論しかけるも、堪える。途中までとはいえ尾白は日向の言い分を黙って聞いてくれたのだ。今は日向が拝聴する番である。そうやって尾白が次々に日向に振り掛けるのはいつも通りの気負いのない言葉達であり、日向ぼっこをしながら午睡に耽るようなこれまたいつも通りの空気だった。尾白は腕を組む。
「まあそれでも日向が謝りたいなら好きにしたらいい」
俺は受け入れないけど、とばっさり切り捨て、尾白は余裕のある佇まいでのんびりと自らの思いと思考を綴っていく。
「告白されて断ったのも、距離を置きたいって言ったのに理由を話さなかったのも俺だし。……そうだな、それでもどっちかが悪いってことにしたいなら、日向は俺に好きだとは言っても付き合ってくれと言わなかったから、それで相子でいいんじゃないか?」
途中から空を見上げながら記憶を探る尾白に、日向は呆然と言葉を返す。
「……僕、言ってなかったですか?」
「言ってなかったな。ただ好きだから傍にいさせてくれって、それだけだった」
尾白にそうはっきり断言されて日向に反論できる余地はない。本気で付き合えると思っていなかったのは事実だし、意識的にも無意識的にもそうした言葉を避けていたのだと思われる。だがそれで相子になるかどうかはまた別の話で、しかし尾白は日向の反論など端から聞く気はなくさくさく話を進めていく。日向は尾白からの言葉の奔流に負けじとしっかりと耳そばだてた。
「俺はさ、日向が俺と本気で付き合おうと思ってないのなんとなく分かってた。……そういうのうんざりしてたから、お前なら面倒がなくていいと思った。でもそのうちそれを不満に思うようになって……前に日向が俺と玉生で違うこと言ってただろ?それが嫌だった。何でだよって、思った。付き合う気もないのにそんな馬鹿なこと思ったんだよ」
淡々と、最後は僅かな自嘲を含ませて尾白は言う。
日向が言わずともとっくに尾白は日向の心情を見抜いていたのだ。そして自分を分析していく尾白の語り口に日向は間接的にも直接的にも尾白を悩ませてしまったことを申し訳なく思うも、尾白が言外に示してくる事実に高ぶりを隠せない。
「だからまあ、日向が言った俺がお前を遠ざけた理由もあながち間違いじゃない。でもこれはあくまで俺自身の問題であって、日向には直接関係がない。――分かるか?俺はこれまでのお前との関係に満足できなくなって、でも告白は受け入れられないのにもっと踏み込んだ関係になりたいだなんて、そんな虫のいい話あるわけない。今以上のことをお前に求めるなら、まずは俺が自分の気持ちにけじめをつけるべきだと思った。だから考える時間が欲しかった」
日向が恐る恐る、考えるだけなら距離を置かなくても良かったのではと問うと尾白はそれでは駄目だったのだと首を横に振る。
「俺、お前といると細かいことがどうでもよくなる瞬間があって、あのままだと全部なし崩しになりそうだった。それは嫌だったから、離れた。どうしてもそういう関係になるなら、俺は自分の意思で考えてその責任を負いたい」
あまり抱いたことのない感情だから余計慎重になったのかも、とも付け加える。
「でもまあ、それをすぐに日向に言えなかったのはなけなしのプライドってやつなのかもしんねえな」
どこまでも冷静に自分を透過する尾白に、日向はよくよく自分に降り積もった先輩の言葉を染み込ませてから言葉を発する。
「……その感覚、僕にも分かる気がします」
「お前もか?」
日向の同調に尾白が軽く目を開く。はい、と日向は生真面目に頷いた。
「僕も先輩といるとそれだけで満足してしまうというか、他がどうでも良くなる瞬間があって……ああ、もしかしなくてもこれが依存とか馬鹿になるってことなんですかね。でもそれじゃ駄目なんですよね。先輩とこれからも付き合っていくつもりなら、面倒くさいことや避けたいことにもちゃんと向き合わないと。先輩のことを言い訳にしちゃいけないんだ」
先程の尾白の言葉からするに、ずるずると今のような関係を続けていてもいずれ日向は尾白とどんな形であれ結ばれることにはなっていたのだろう。しかしそれはどこか歪で惰性を伴った関係だった筈だ。
目を伏せて自分の思考を追いかけつつ、まるで研究対象に対する学者のような発言をする日向に尾白がものやわらかな視線を向ける。だが日向は気付かない。それにしてもと、尾白のこれまでの話をただの友人でも後輩でもなくそれ以上の関係を望まれているように感じてしまって、そわつく期待と理性という名の自制が身の内で鍔迫り合いを起こすのを脳内で仲裁するのに忙しかったからだ。それでなくても尾白がここまで言葉に尽くし日向に心を砕いてくれるのが嬉しくて堪らないというのに。
そうしてようやく気分を切り替えた日向が無造作に視線をあげると、何やら情に溢れた尾白の視線とかち合う。内心かなり動揺したがすぐに立て直し、別の話題を振った。
「あの、さっきのことですけど。先輩が玉生との違いを嫌だと思った時のことです。それって、嫌な気持ちがなんかこう、ぐわっと襲いかかってくるような、自分じゃない他の誰かに手をつけられるのが無性に納得いかないような、そんな気持ちじゃなかったですか」
「ああ、そう言われればそんな感じだったかな。今思えばあれが独占欲ってやつなのかも」
教師に質問する生徒のように生真面目に質問を投げ掛ける日向と、難問の答え合わせをする探究者のような返しをする尾白。話している内容に応じた色っぽさはない、探究心だけが先行する会話だった。
尾白からの追い風を受けて日向は更に踏み込む。
「僕は尾白先輩が他の人に告白されたと聞いたとき、そんな気持ちになりました」
「へえ、そうなのか」
尾白からの感心に日向はこっくり頷いてみせる。
「はい。先輩が感じた気持ちと全く同じってわけではないんでしょうけど。僕の場合、いじけるみたいな、拗ねる気持ちもありましたね。そこは僕が欲しかった場所なのにずるいって、正当な権利もないのにそんなこと……思ったりして」
他人事のように淡々と打ち明けていたと思ったら、最後にはしょんぼりと肩を落とす日向。そんな後輩に尾白は鷹揚に応じる。
「まあ、俺も似たようなもんだったし」
身勝手なのは同じだと尾白が言うと、後輩の表情と雰囲気がぱっと明るくなる。尾白が更に付け加えて言った。
「似た者同士ってやつだな」
「ふふ、そうですね。……そうだったら、いいな」
日向が嬉々として食い付き、とろりとした嬉しさを灯してはにかむ。尾白も泰然としてそれを受けいれるから、後輩の脳内はますます幸せ色に染まった。
端から見たらまだろっこしい気の抜けるやり取りだろうが本人達は至って真剣である。日向は尾白の気持ちが多少なりとも理解できたことが嬉しかったし、尾白も尾白でなんとなくでも日向と感情の擦り合わせができたことに満足感を覚えている。
そしてここでまた尾白の視線がやわらかな光を灯して日向の輪郭を辿っていくが、日向は日向で一度火がついたらどうにも止まらなくなっていた。次々と尾白に自らの内情を吐露する。尾白は止めるどころかむしろ乗ってくれるので日向はますますヒートアップした。
「僕、離れてるときも先輩と会えたらいいなって思ってました」
「ああ、俺も昼休み一人でいるのは落ち着かなかった」
「不思議ですね。これまで会わないのが普通だったのに、今ではそんなこと考えられない。……僕は先輩の傍にいられないのがなんだか不自然な気がして、撮影会のことで先輩に会えるまでずっと不安でした」
手を組んで遊ばせながら言う日向はまるで理不尽にも何年も会えなかったような口振りだが、実際は一ヶ月にも満たない。ただ会えなかっただけではなく、これから二人の関係がどうなるか先行きが不透明だったため余計に不安を煽られたのだろう。
それからも日向は語り続ける。
「離れてからは先輩はいま何してるんだろう、何考えてるんだろうって思う時間が増えて」
人によっては引く発言だろうが尾白は気にせず平然と流した。そんな先輩に後輩はおずおずと言う。
「……その、声が聞けたら、嬉しかったです」
上目遣いで、こっそり尾白の袖を引くような発言だった。
うん、と答えた尾白の相槌が温かくも優しかったので、日向の内側に熱く湿った思いが綻ぶ。しかも尾白の方からの暴露もあった。
「俺もモーニングコールするようになってから、朝起きるのが楽しみになった」
「途中から競走みたいになってましたもんね。明日が早く来ないかなって、先輩の声が聞きたくてわくわくしながら布団に入ってました。なんだか遠足みたいで」
共有する感情を微笑みながら交わしあって、尾白がぽつりと言う。
「……電話を切ったら熱っぽいのに、どこか冷える感じもあって」
「はい」
しんみりとした尾白の呟きに日向も寄り添う。尾白がさらけ出してくれる心の内と自分の胸の内を触れあわせることがこんなにも驚きに満ち、新鮮な手触りがあって、満たされていくものだとは。日向は尾白に順応され感化されていく心を望んで差し出したままにする。それが尾白の気持ちと見えない向こう側でゆっくりと高まっていくのが感じられた。

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