Open sesame!6



玉生は一人で一階の昇降口近くの廊下にいた。名指しで呼び出してきた当人は既に到着して待っている。あちらも一人で廊下に佇んでおり、玉生もすぐに落ち合って用事を済ませたかったのだがその人物の醸し出すオーラに出鼻を挫かれて二の足を踏んでいる。一言で言うならイケメンの存在感、更に言うなら周囲から注がれる薄桃色の熱視線に怯んだのだ。渦中の人物は話せば割と気さくな人柄だと知ってはいるものの、あの中心に飛び込むにはなかなかの勇気がいる。
“あれ”に正面からぶつかっていける日向はすごいのだなと、玉生はしみじみと実感する。のみならず尾白と言えばあいつと認識されるまでになっているのだから、大躍進だ。――そこで玉生の脳裏にその二人の間に割って入るどころか二人を両手に収めたかったのだろう人物のことが思い出された。だがあえてそこには触れず自然とその人物の面影が消えていくのに任せる。この件は既に玉生とその人物の両者間の問題ではなく、玉生自身がどうけりをつけるかに移っている。そしてそれは時が解決するのを待つしかない。
そうして深く息を吸って腹を決めた玉生は、杖と足を進めてその人に声をかけた。一人廊下に立っていた白い頭が振り向く。待ち人が判明した周囲の生徒達の間に残念そうな空気が広がる。尾白個人もだが尾白と日向のツーショットも人気があるのだ。男同士の耽美な世界を求める層にも注目されていると聞く。
「悪かったな、急に呼び出して」
「いえ別にいい、いややっぱ悪いっす」
「どっちだ?」
玉生は答えず、尾白に今回の呼び出しについて日向が何か言っていなかったか聞いてみた。この呼び出しは尾白から日向経由で玉生に伝えられたもので、言うまでもなく尾白から日向への接近禁止令は絶賛継続中なのである。それも付き添いは交えず一対一での面会希望だったために、玉生は味わいたくもない義理と人情の板挟みを味わった。
尾白は何でそんなことを聞くのかと言いたげにしていたがそんな疑問も自らの発言が黙殺されたこともあっさり流し、返してきた答えは実に簡素なものだった。玉生の足元をちらりと見て、
「怪我してるから無理はさせないで欲しいって頼まれた。それだけだな」
尾白は始め待ち合わせ場所を別の場所に指定していたのだが、日向の意見を聞き入れ玉生があまり長い距離を歩かなくて済むよう変更してきた。それを聞いた玉生は目を瞬かせた後、それでこそという笑みを広げる。そうだ、日向はそういうやつだ。余計な心配をした自分が馬鹿らしくなる。
「あいつ、俺にはライバル宣言してきたんすよ」
「へえ、何でだ?」
尾白としては日向の行動は予想外だったらしい。驚くというよりは不思議そうにしている。彼が玉生を呼び出したことに全くそういう意図はなく、それは呼び出される側の玉生とて同じこと。日向もそこは重々承知の上で、しかしそれでも言わずにはおれなかったのだろう。伝言役に徹しつつも送り出す際にこっそりと、玉生がいい男なのは分かってるけどそれでも負けられないと宣戦布告してきた。
不戦敗でいい、いやむしろ棄権でいいと、そこだけはしっかり念を押してきた玉生である。
「……まあ、それだけ日向が先輩のこと好きってことでしょうね」
またも玉生が口にしたのははぐらかした答えだったが、尾白はあっさりそうかと納得した。その一言で説明がついてしまうというのも、それはそれですごい話である。
「それで、俺に用事ってなんスか」
「ああ、そのことなんだが――」
玉生が水を向けると十中八九そうではないかと予想していた通り、尾白の用事とは日向のことだった。長くなりそうだったので二人とも廊下の端に寄り話に集中する。
知りたいのは日向が玉生とどういう形で友情を築いているか。既に日向の口から聞いている事柄ではあるものの、玉生の側からの見解も知っておきたいとのことだった。玉生は包み隠さず話した。今のところ二人の友情の在り処は日向が以前提案したものを二人三脚で目指している最中である。
「……つまり、どっちかだけに負担をかけるんじゃなくて対等でいようとする関係、で合ってるか?」
「そんなとこっスね。何かあれば話し合うことになってます。俺はあんなことした罪悪感とか……色々ありますけど、それでも日向のことは大事です。友達だと思ってる。できることならこの先もずっとそういう関係でいたい。それは日向も同じです」
「日向がそう言ってた?」
「はい」
あんなこと、と言った際に玉生の視線が自らの掌に落ちるもすぐに目の前の相手に戻る。尾白は考え深げに沈黙し、ぽつりと疲れないかと聞いてきた。
「まあ、いつでも真剣勝負みたいなもんっスからね。でも、だからこそ知れたこともあるんで。ほっといて欲しい時にはそう言いますし」
だからあいつと付き合うために必要なことなら平気っす、と答える。
尾白の日向へ向かう気持ちにもそうした思いがあって欲しいと思うのは玉生の望み過ぎだろうか。
「あくまで俺と日向の関係はこうだって話ですから。先輩は先輩のやり方で日向と向き合えばいいと思います。――聞きたいことはそれだけっスか?」
玉生の慰めとも励ましとも取れる言葉に尾白は小さく苦味を含んだ笑みを浮かべ、すぐに消した。
「ああ、俺の用はこれだけだ。そっちから俺に言いたいことはないか?」
聞けば雨月が既に単独で尾白のクラスに突撃した後だという。
「……あー、それは……すみません」
「別に謝ることじゃない。日向のこと嫌いになったのかって、それだけ聞いて帰っていったぞ」
「――できればでいいっすけど、その答え俺が聞いてもいいっスかね?」
「嫌いにはなってない」
すかさず返ってきた真正面からの堂々とした答えに、玉生は確かにこれなら他に言いたいことがあっても大人しく引き下がるだろうと考えた。
尾白の方はと言えば雨月が教室にたのもうたのもうと道場破りのような勢いでやってきたので、もっと何か言われるのだと思っていたそうだ。今度は玉生が苦笑する。
「雨月さんも俺も日向を振ったからって先輩を責めたりしないっすよ。よっぼどひどいやり方ならともかく。日向も諦めてないですしね。……でも、そうっすね。俺に言わせてもらえるなら、早いとこ元に戻って欲しい。俺、人が喜んだり楽しそうにしてるのを見てるのが好きなんで」
日向から聞いていると言われてこそばゆい気持ちになる。そんなに面白い話でもないが二人の仲が深まるための話の種になっているなら、まあいいかと思う。
昔からそうなのかと問われたので、きっかけは日向なのだと打ち明けた。
「俺、日向が先輩に惚れたその場にいたんスよ。……人が恋に落ちる瞬間を初めて見ました」
そう言う玉生の目付きはどこか夢を追うようにうっとりと熱を孕んでいる。
玉生は日向が尾白を見付け、その姿を認めて全てを鷲掴みにされる一部始終を見ていた。すぐ側という特等席で。蕾が花開く瞬間とでも言おうか、蛹が見事な造形美を誇って繭から出てくる場面を連想させるその変化にとにかく心揺さぶられたのだ。生物の営みの根幹を見た気がした。以来、玉生は積極的に他者の面倒を焼くようになった。
痛め付けて悦に入る趣味より害はないかもしれないが、自分の欲求を満たすための利己的な理由ではある。だが尾白はそれさえも受け流して平然としていた。それから、日向相手には随分と肩入れしているように見えると冷静に指摘する。
「そういうのが見たくなったきっかけで、友達だからか?」
「それもありますけど、日向は俺の命の恩人なんす」
玉生の言葉に尾白は驚く。
そこまでは言い過ぎかもしれないが、しかし間一髪ではあったのだ。玉生は尾白にそもそもの二人の出会いを語った。


入学式当日、玉生は病み上がりだった。家族の風邪の看病をしていたら玉生も風邪をもらってしまい、寝込む羽目になったのをこの日に合わせてどうにか治したのだ。真新しい制服を身に着けて学校に向かう。薄く広がる雲が空の青のかなりの面積を占めていたのを覚えている。何より記憶に鮮明なのは風がゆったりと吹くなか、頭上に咲いていた満開の桜だった。その日は運良く桜の開化と晴れの日が重なり、花弁も落ちることなく樹上にあった。学校の前の歩道には等間隔で桜の木が植えられており、読んで字の如く花の道となっていた。
同じ制服を来た生徒達の流れに沿って歩いていく。校門が近くなっていくにつれ塀を挟んだ学校の敷地の方にも色付いた桜が見え始める。すると、進行方向にいる複数の女子生徒達が携帯を掲げて何やら撮ろうとしていた。塀の上に器用に乗った猫が一本の桜の木を注視しており、その一連の構図を撮りたいらしい。
左に桜の木と壁に猫、それから生徒達。右にこちらも桜の木と車道。
言い訳させてもらえるなら玉生はまだ体が本調子でなかったのに加え、桜に目を奪われて意識が散漫になっていた。生徒達を右に避けて直進から大きく迂回しようとしたところ、写真を撮ろうとしている生徒の一人が大きく後ろに後ずさった。誓って言おう。普段ならそんなことでよろめくことも、こけたりすることもない。だがその日は例外が重なり過ぎて衝撃を受け止めきれずに体が傾ぎ、倒れていく。間の悪いことに車道にはちょうど車が走ってくるところだった。
スローモーションで流れていく視界のなか、やっと事態を把握した脳内に危険信号が鳴り響く。それでも動かない体。思考が凍り付いた世界で、玉生は急激に逆方向へと引っ張られた。痛いほどに腕を取られ、茫然と車を見送る玉生の耳に落とされた声がある。
「……大丈夫?危なかったね」
自分も震えていたくせに一丁前に助けてくれて、こちらを気遣ってもきた眼鏡の男は血の気の失せた顔で無理に笑ってみせた。

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