花結び24



すかさず片手を持ってきて強引に両手で引きちぎる。容易く糸は切れた。絡めとった蜘蛛の糸を振り切った感覚に近いだろうか。赤い糸は消えていく。尾白の目の発光も糸がなくなっていく毎に弱まっていった。
まさしく糸が切れて倒れこんだ勅使河原の体を抱え、まとわりついている糸も残らずむしり取ると尾白は少女の体を壁にもたせかけてやる。目を閉じて意識がないように見えるが他に異常らしい異常はみられない。しかし次に目が覚めたとき彼女がどうなっているのか、そもそも無事に目が覚めるかどうかは尾白には判断できかねる問題だった。
ひとまず彼女の手に握られている鍵を取り、尾白は急いで保健室に踏み込む。
「日向!」
真っ先に目についたのはベッドに押し倒された日向と、それに馬乗りになる玉生の姿だった。彼の全身には勅使河原とは比較にならないほどの真っ赤な糸がひしめき、覆っている。そんな姿の者が人に遠慮なくのし掛かっている様は、まるで人知れず生息してきた赤い毛皮の獣が突如として人の生活する場に迷い込んできたような場違いの異様さがあった。
その指が日向の首にかかっていると認識した瞬間、尾白の思考は真っ白に染まる。体が勝手に動いていた。
大股で近付き玉生に絡まっている大部分の糸を力任せに引きちぎってしまうと、同時に玉生の肩を押して日向の上からどかす。糸を切ったせいか、さほど抵抗なく玉生の体はベッドに沈む。日向は体を横にしてせきこみ、尾白はしっかりしろと声をかけ少しでも楽になるよう背中を擦り制服を寛げてやる。
「お、しろ………せん、ぱ……」
日向は息も絶え絶えにぐったりしている。最悪の事態だけは免れたものの、尾白は後輩の首に残る指の痕を発見してしまい、またもや険しく尖った気持ちになる。尾白がその感情の行く末を吟味する間もなく呻き声が聞こえた。まだ赤い糸がまとわりついている玉生がベッドから転がり落ち、そのまま這いずって二人から離れていこうとしている。尾白にもそれが逃げようとしているのではなく自分から日向を遠ざけようとしているのだと分かった。いやだごめんと何度も謝罪しながらなんとか自由のきかない体を捩り、動かそうとしている。彼とて必死に抗っているのだ。
尾白が玉生の元へ行こうとすると、弱々しく引き止める手がある。日向が首を横に振り、どうか友を傷付けないでくれとすがる。尾白は玉生にひどいことをするわけじゃないとその手をそっと引き剥がし、床に這いつくばる玉生に近付いて膝をついた。
糸の作用で意識が朦朧としているだけでなく片足を怪我しているから思うように動けないらしい。尾白が玉生の体から糸を一本残らず引きちぎってやると、玉生も勅使河原と同じく意識を失って動かなくなった。ひとまず呼吸も脈も正常であることを確認すると、仰向けに寝かして楽な姿勢にしてやる。
すると日向がふらふらと尾白の隣にやってきてへたりこむ。
「せんぱ、い……たまきは……」
尾白には玉生も勅使河原も無事であるかどうか判断はできない。しかし少なくともその寝顔に苦しんでいる様子はなかった。
日向は横たわる友を見て、 よかったと呟く。
尾白が横目で見やる日向は心の底からそう思い、やわらかく表情を安堵に緩ませている。しかし尾白の目に映ったのはそればかりではない。押し倒されたときに乱されたままの青髪、尾白が寛げてやった制服の首元からは無惨な痕がちらつき、またそのせいで日向の挙動も雰囲気も弱々しいものになっている。
――理不尽に無体を強いられておいて、この上まだ人の心配が先にくるのか。
今まさに矜持を折られようとした証拠がこんなにも分かりやすく尾白の目の前に差し出されているというのに、当の本人の意識の低さとあからさまに示された優先順位が尾白にはどうにも歯痒くてたまらなかった。それにつられて自分の感情が爆発的に増幅するのが分かる。外に――日向に向かっていくのを止められない。
「何で一人で行こうとした」
自分でもこんな声が出せたのかと思うほど発した声は硬く低く、荒っぽい。日向は目を丸くして尾白を見ている。こんなこと、まだ混乱している後輩に言うべきじゃない。責めるべきはこんな馬鹿をやらかした首謀者であり、日向に当たるのは筋違いである。それにできるだけ事を荒立てずに収めようとしたのも友のことを思えばこそだと理性の片隅で理解しているものの、しかし腹の底からわきあがってくる奔流はますます勢いを増して尾白を納得させてはくれなかった。
「お前だってこいつが怪しいって分かってた筈だ。それなのに……っ」
あまりの激情に喉が詰まった。さっきの情景が脳裏にこびりついて離れない。肝を冷やすどころではなかった。もし万が一の事を考えるとぞっとする。
尾白が卯月に聞いたのは玉生のことだった。彼女は彼が日向に対してやったことをその目で見て知っている。尾白も日向や玉生からの態度、それにこの特異な能力から知り得た情報と体感がある。それら全てが実行犯は誰かをあからさまに指し示していた。更に言うなら事前にか突発的にか、この状況を作るために利用されたのは恐らく玉生や保健室前で尾白を足止めしようとした女生徒だけではあるまい。
常にない尾白の荒れように日向は先輩が心配になったらしく、こちらに手を伸ばしてくる。尾白はその手を自分に届く前に下ろさせた。今その温情を向けられるべきは自分ではない。そんな思いを込めて見つめてみても、日向は戸惑い、尾白を案じて見返してくるだけだ。当然だ。言わなければ伝わらない。その真摯に向き合う眼鏡の下の夕焼け色の瞳は先程の騒ぎの名残でしっとりと濡れている。その真っ直ぐさに、違うだろうそうじゃないだろうとだだっ子のような気持ちが喚いていつまでも木霊する。
日向の尾白を想う気持ちが本物だというのなら、尾白にだって日向に最低限守って欲しいものがある。
尾白は後輩の両肩に手を置き、その目を覗き込むようにして――いや、叩き込むようにして言った。
「頼むからもっと自分を大事にしてくれ」
頼るのは俺じゃなくてもいいから、とも付け加えたが尾白の気持ちが日向に伝わったかどうかは怪しい。そもそも尾白にもこの行き場のない気持ちがどういったものなのか測りかねているのだ。
尾白は動揺を隠せない日向の身繕いを手伝ってやり、玉生と勅使河原をベッドに寝かせると何か言いたげな日向に大人しく寝ているよう指示する。それから養護教諭を呼んでくると言って廊下に出た。
そこで尾白は待機していた卯月とかち合う。彼女は尾白が保健室で日向とごちゃごちゃやっている間に教室の方を見て回ると、廊下に一人残されていた勅使河原を発見し彼女に付き添ってくれていた。勅使河原をベッドに運ぼうと尾白が一旦保健室から出た時に日向も玉生もとりあえず無事だと告げれば、保健室には入ってこずまたこうして尾白が出てくるまで待っていた。何かを察したのだろうか。
「どこ行くの?」
保健室の方を気にしながらのその言葉にはついていなくてもいいのかというニュアンスが含まれていた。尾白が養護教諭を探しにいくのだと言うと、私が行くと言って尾白の背中をぐいぐい押して保健室へ戻そうとする。尾白はそんなちょこざいな攻撃片腹痛いと動かざること山の如しだったが、視線をあげた先で向かいの階上に人影が動くのを発見して目が細まる。その瞳には彼には珍しく剣呑な光が宿っていた。
「なあ、二階って見たか」
「私が回ったのは一階だけよ。あの子を見つけてからはずっとここにいたし」
「ふうん」
その確認が終わる頃には人影は既に姿を消していた。尾白は小さく鼻を鳴らす。どうやら向こうは一時撤退を決めたらしい。念のため、養護教諭を探しに行くなら先に雨月と合流した方がいいと提案すると、言われなくてもそのつもりで既に連絡済みであるという。
「だからアンタはここにいなさいふんぐぐ」
「いや、そっちが先生呼びに行くなら俺は飲み物買いにいこうかと思って」
卯月は疑わしそうにしていたが、結局それならいいかと妥協した。疲れたらしい。それから卯月はさっさと雨月と合流しに行き、尾白は目当ての自動販売機の前まで来た。学舎に登校してきた生徒の数が増えてきたのを尻目に何を買おうか迷い、お茶とりんごジュースにする。保健室に戻ると日向は玉生が寝ているベッドに腰かけ、寝ている二人を眺めていた。
「――あ、先輩。おかえりなさい」
そう言って迎えた後輩は大分落ち着いているように見える。少なくとも尾白の目にはそう見えた。体の具合はどうかと聞くと問題ないと返ってくる。確かに元の溌剌さを取り戻しているようだし声もいつも通りだが、どうだろうか。
とにかく買ってきた飲み物二つを同時に差し出すと日向はりんごジュースの方を手に取った。いつも通り礼を言う日向だったが、二人の間に妙なよそよそしさがあるのは隠しきれない。尾白の方もなぜあんなにも一方的に激昂してしまったのか、反省する気持ちがあった。
それだから適当に日向と離れた椅子に座ろうとすればその日向がなんだか雨に濡れた子犬の風情を醸し出すので、尾白は結局玉生が寝ているベッドの、つまりは日向の横に腰を下ろした。尾白が傍に行くと後輩の表情と体の線がほっと緩んだのは気のせいではないだろう。
尾白は一口喉を潤すとそれきり押し黙り自身の掌を見下ろした。激情が去った後には空しい虚脱と少しばかりの後悔がある。
自分に何ができたか、玉生や勅使河原に影響はどう出るのか、そして尾白自身にも何か変化はないかと自らの肉体と精神をくまなく警戒の糸で探ってみるも、異常らしい異常も何らかの兆候も見受けられない。何も無さすぎて拍子抜けするくらいだ。
そこで隣からおずおずと日向が口を開く。雨月から連絡があって、無事でいることを伝えたそうだ。随分心配をかけてしまったみたいで、と申し訳なさそうにする日向は姿勢を改め、顔つきも変えて尾白に向き直る。
「それで先輩、さっきのは……」
尾白は雨月から卯月へのバトンリレーでこの事態を知り、駆けつけた。故に花コンビに感謝しておけと言うとそれは勿論と日向は頷く。しかし後輩はまだ聞きたいことがある顔をしていた。
それから尾白は勅使河原と玉生の二人の体に絡まる赤い糸が見えたこと、それがどう見ても怪しかったので引きちぎり、すると二人が今の状態になったことを語って聞かせる。

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