花結び25



日向は神妙に聞いていたが、もどかしそうな気配は伝わってきていた。尾白は苦笑して、はぐらかすことはできなさそうだと腹を括る。
「それとな、さっき言ったことは気にすんな。怒って悪かったな」
「そ、そんなこと言わないでください……っ!」
気軽に言った一言だけに、日向が必死となって食らい付いてきたことに尾白は面食らう。もう一度、そんなこと言わないでください、と俯いてしおらしく言った後輩の言葉には湿って震える気配さえあって、尾白は再度驚き、よく分からないながらも了承した。
後輩はすみませんとぽつんと謝り、その後もぽつぽつと気持ちを吐露し始める。なんだかいつもの日向とは違い、拙い子供のような口ぶりである。
「僕は嬉しかったです。先輩にあんなふうに言ってもらえて。……不謹慎なんでしょうけど、先輩にも雨月さん達にも心配してもらって、僕は喜んでしまいました」
そこで日向は顔をあげ、尾白に精一杯言葉を連ねる。
「僕は先輩にああ言われること、嫌じゃないです。前にも言いましたけど、先輩になら本当に嫌じゃないんです。むしろ嬉しくて、胸の奥がぎゅっとなって……ええっと、だから」
言っているうちに訳がわからなくなってきたらしい。日向は言葉を止めてうんうん唸る。やがて言いたいことが見つかるとしっかりと尾白を見据え、いつでも来いってことです、と堂々と言った。少し自慢気ですらあった。そんな後輩の一途な訴えに気持ちがふうっと軽くなるのを、尾白は確かに自覚した。
後輩の言葉はまだ続く。
「それに僕も玉生も勅使河原さんも、先輩や雨月さん達に助けてもらいました。――ありがとうございました」
律儀にそう言って頭を下げる後輩の真面目さとは裏腹に、尾白が口にしたのはなんとも間の抜けた一言である。
「……怒られて喜ぶのはどうなんだ?」
「それは……僕もそう思います」
自覚はあるようで日向は殊勝に応じる。そんな後輩を相手にしていると尾白はだんだん愉快な気持ちになってきて、その頃になってようやく自分がらしくもなくずっと神経を張り詰めさせていたことに気付いた。気を抜かせたら尾白の右に出る者はいない。座りながら骨でも抜けたように遠慮なくだらりとすると、隣で日向がやわらかく微笑むのが分かった。どうやら二人の間にも雲を一緒に眺めている時の空気が戻ったようである。
そして日向はベッドに横たわる二人の友人を交互に見やりながら尾白に語りかける。
「先輩、前に言ってましたよね。他にも先輩と同じような力を持った人がいるかもしれないって」
その横顔には理知的な光が宿り、奥底には静かな闘志がたゆたっている。
「……心当たりがあるってことでいいですか」
そうだと肯定すると日向は一瞬苦しげにしたが、しかしその感傷をすぐに押し込める。その人がやったという確証はあるかと聞いてくるので、これにも尾白は是と答えた。
日向はベッドに眠る二人を眺めながら苦渋の色を過らせ、こんなのってないです、と呟く。どうにもやるせなく、悲しみに浸された声音だった。
「僕はこのままにしておきたくない。こんなことをした人を許せない」
先輩、と尾白を呼び尾白を射抜く日向は凛々しく力強く、見る者を引き付ける意思の煌めきを備えている。
「よかったら、僕に協力してもらえませんか」
そう言ってくしゃくしゃに皺が寄った手紙を差し出してきた。つまりそれが尾白が言ったことに対する日向の答えなのだろう。馬鹿正直に体当たりで、それでいて真摯。実に日向らしいありようだ。
尾白はにやっと口の端を持ち上げ、手紙を受け取る。尾白にとってもこれは最早他人事ではない。望むところだった。


そうこうしているうちに養護教諭が慌ただしく入ってきたので、尾白と日向は大人しく場所を譲る。玉生と勅使河原はそのうち目を覚ますだろうとのことで、日向は自らに仕掛けられた暴挙について申告することはなかったし尾白もまた後輩の意思に準じた。
保健室を出れば卯月と雨月の二人に挟まれて矢田川がこちらに向かってくるところだった。
「……あの、二人が倒れたって、聞いて」
矢田川の方こそ今にも倒れそうな顔色である。
後で聞いた話だが、どうやら雨月は経過を抜かして後に残った事実だけを矢田川に伝えたらしい。即ち二人が保健室に運ばれたという事実のみを。そしてそれは日向の意向とも合致した。尾白と日向が道を開けると彼女は真っ先に保健室に飛び込む。花コンビがその後を追いかけ、雨月がすれ違い様に日向に無事で良かったと囁く。卯月は仏頂面ながらも頼もしい視線を送った。
「……ありがとう、よろしく」
そう日向が呟いたのを機に矢田川と寝ている二人は彼女達に任せ、尾白と日向はこの事態を引き起こした首謀者の顔を拝みに行くべく行動を開始した。


***


屋上で尾白と日向は待っていた。雲もなく、風もない。ただ青い空があり、隣に寄り添う存在を感じる。尾白はふいに思い付いて日向の眼鏡を取った。日向はいつもの悪戯だと思ったようでさして抵抗せず、尾白は預かった眼鏡を壊さないようそして傷付けないようポケットにしまう。そしてまたしばらく二人きりのぬるま湯に浸った。来るべき対峙に備え次第に神経が研ぎ澄まされていく。そんな二人が見守るなかついに扉が開いた。
「――やあ、待たせたね」
勿体ぶって登場し二人に向かって微笑んだその人物は、トップクラスの美形でありながらその佇まいにも仕草にも拭いきれないくどさがある。颯爽と姿よく歩いて二人の前で止まった。その立ち姿でさえカメラを前にポーズを決めているかのようなわざとらしさがある。
神無月光輝。尾白のライバルを自称しサッカー部のエースたる男は、スポーツマンらしく日に焼けた肌に歯並びのいい白い歯を覗かせる。相変わらず爽やかさと暑苦しさが両立した笑顔だった。
「やあ、尾白くんも日向くんもお揃いだね。やっと僕の言うことを聞いてくれる気になったのかな。……それにしても、授業をサボれと言われるなんて思わなかったよ」
そう言って神無月はひらひらと一枚の紙を取り出す。尾白が徳さん経由でこっそり届けてもらった呼び出し状だった。あれには尾白の名前を使ってある。その方が釣れると思ったからだが、ライバルからの果たし状を無視するわけにもいかないからね、と芝居気たっぷりにキザな仕草で言っているのをみるとどうやら当たったらしい。書いた内容を知らない日向が聞きたそうにしているがここは我慢してもらう。
「まあそう言うなよ、授業中ってのも案外悪くないもんだぞ。いざとなったら全校生徒の注目が集まるし、授業中だから教師だって問題にしないわけにはいかない。まあ、俺と日向の噂を考えると、ここで何か起きたとしても男同士の痴情の縺れってことになりそうだけどな」
この男の場合、醜聞そのものよりもそれによって得られる他者への波及効果がどれほどのものか、その成果によって行動が決まると思われた。尾白は相手が強行手段に出る可能性をできるだけ削っておきたかったのだ。神無月は尾白の言い分を吟味していたが、結局まあいいさと流し、
「それで、どっちが僕の糸を切ったんだい?やっぱり尾白くんかな」
と、悪びれなく言った。尾白の横で日向の体が強張る。全く調子の変わらない態度が目の前の男の内面を如実に表していると言えよう。尾白が答える。
「教えない」
「いやきっと君だね。僕のライバルであるからには、それくらいできないと話にならない。――うん、決めた。やはり僕を阻んだのは尾白くん、君だよ」
有無を言わさずビシッと指をつきつけられ、尾白は無表情、無言で通す。
ここで日向が一歩、二歩と前に出た。抑え込んでいても煮え立つ感情が立ち上るようである。
「……あなたが、僕の友達をあんな目にあわせたんですか」
「そうだが、それがどうかしたかい?」
罪悪感など欠片もない。心底不思議そうに応じる神無月に日向は瞬間的に感情を揺さぶられたらしく、即座に食って掛かる。
「どうして……っ!僕が気に食わなかったのなら僕だけを標的にすれば良かった筈です。あの二人を巻き込む必要なんてなかった……!」
神無月は両手を広げ表情も仕草もオーバーに驚きを表現する。どうにも白々しく演技くさいが、これがこの男の素なのだ。
「どうしてとはまたおかしなことを言うね。君達には僕の忠告が理解できないみたいだったから、やり方を変えただけだよ。辛くて苦しい思いをした分、僕の傍に来たときの幸せは増す。これは君達のためにやったことさ」
「――な、にを……言って……」
「それに僕が君を気に入らないだって?とんでもない!僕は君のことをとてもとても気に入ってるんだよ。ただ僕が不思議でならないのは日向くん、君が――おっと尾白くんもだね、どうしてこんなに明快で単純な事実を分かろうとしないのかということさ」
日向はあまりに自分の常識とかけ離れた神無月の主張に呆然としている。神無月はそんな日向を相手に長々と演説していたが、ふと悩ましげに顎に指を添えた。
「ふむ。前にも言った気がするが……いいだろう、もう一度言っておこう」
男はこの場の支配者であるかの如く屋上を闊歩し、悠々と構える。磐石の自信をもって二人に宣言した。
「君達はもっと周りを見るべきだ。そしてもっと自分を知るべきだ」
君も、と言って尾白を指差し、君も、と言って日向を指差す。
「何故なら君達に最も相応しく在るのは僕以外にいないのだから。君達は僕の傍に侍り、僕のために在ることが正しい姿なんだよ」

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