花結び19



「駄目ですね、連絡はないです」
携帯を見て日向は心配そうにしている。雨月達一行と別れたあとも卯月は姿を現さなかった。
普通ならこのまま探し続けるか、本人が出て来るまで待つしかないのだろうが、尾白には分かりやすい目印がある。日向の名前を呼んで上を指差す。後輩もその意を汲んで表情を引き締めた。卯月が慕う友から伸びた糸は頭上――屋上にまで続いていた。


屋上は雨に濡れていた。垂れ込めた雨雲はもう雨粒を落としてはいないが、どんよりとした暗さを地上に投げ掛けている。屋上の空気は肌寒いほどで、そのなかで見知った少女が一人、所在無さそうに立ち尽くしていた。
尾白と日向が扉を開けて入っていくと、こちらに顔を向けた卯月の口許には皮肉な自嘲が刻まれている。尾白達から視線を外すと俯いて、滴が垂れるようにぽつりぽつりと少女は語った。
「……私、何やってるんだろ。肝心な時に動けないで、何の役にも立たないで」
そこまで一気に言ってしまってからはたと口をつぐみ、しかし今更とでも思ったのかますます彼女に滲む自嘲は色濃くなる。
「また雨月の傍にいられたら、今度はあの子の支えになるんだって思ってた。あの頃とは違って、次は私が雨月を助けるんだって。……なのにこの様。笑えない」
ひきつって震える吐露に、尾白の横から日向が、できますよあなたなら、と優しく声をかける。卯月は違うと激しく首を横に振った。細い肩や小さな体がいかにも心細そうだ。時折体が小さく震えているのは寒さのせいばかりではないだろう。
「アンタ達だって分かってるでしょ。私、私は……っ」
そのまま言葉に詰まってしまった卯月に、仕方なさそうに尾白が一歩前に出る。フンと小さく鼻を鳴らし、いつもの調子を崩さず、どこかだらけた態度のなかにも多少の真剣さを帯びた表情で、じゃあ言うけどな、と卯月を見据える。
「お前、本当はあの子と顔を合わせたくないんだろ。……自分に自信がないから」
最後は少女への温情か、多少語気が落ちた。日向は気遣わしげに尾白と卯月の両名を見守っている。
卯月は尾白の指摘にビクッと体を揺らし、しかしすぐにものすさまじい微笑を浮かべた。彼女の両目は火を吹かんばかりにギラギラしている。
尾白は少女の回りにたゆたう金にも似た光沢を持つ黄色の糸が、そのきらきらしさを蝕ばむようにどす黒い斑に侵食されていくのを見た。友のことを話すとき、彼女から伸びる糸は美しいばかりではなく時折こうした禍々しい色を混じらせた。
「ええ、そうよ。何年かぶりに雨月を見たとき、私が始めに感じたのは劣等感だった。……本当に、あの子は全然かわってなかった。見た目も、中身も、全部あの頃のまま!それなのに人に囲まれて楽しそうで。嬉しそうで。……じゃあ、外見ばかり気にしてた私は何?見た目にばっかりこだわって、中身をよくしようなんて、変えようなんて思ったことなかった。……こん、なんじゃ……っ」
少女はくしゃりと顔を歪め、音を立てて内に息を吸い込む。
「こんなんじゃ私、雨月にふさわしくない……ッ」
身を捩るようにして声を絞り出した彼女は、泣くかと思われたが絶対に泣かなかった。代わりに聞くも痛々しい独白が縷々と続く。
興奮する卯月とは反対に尾白はどこまでもニュートラルだ。
「あのな、お前が気にするのはそこじゃないだろ」
真実困ったように頭をかく尾白の隣に日向も一歩前に出て横に並ぶ。
「そう思えるなら大丈夫ですよ。次から後悔のないようにすればいいんです」
今の気が立っている卯月にいい子の正論は火に油なんじゃないかと思った尾白だったが、案の定カッと卯月の感情が爆発したのが分かった。
「アンタに何が分かるの!好きな人と付き合えて幸せそうなアンタに!……結局私は自分だけが大事なんだ。雨月のことなんて、どうでもいいのよ。――これじゃ友達なんて言えない……ッ」
そう反射的に言ってしまってから卯月は乱れる己の意識と感情を抑えるので精一杯の様子である。しかしここで妙なのは尾白と日向の反応だった。どちらも思いがけない糾弾に当惑しているといった風で、どこか場にそぐわない間の抜けた困惑を示している。
そこで尾白が片手をあげ、この真面目な空気に水を差すつもりはないんだがと自ら先頭に立って言おうとするのを日向が引き取る。卯月の発言にあった二人が付き合っている事実はないことを明言し、かつ日向の片想いであること、告白はしたが尾白からは既にお断りされていることをかいつまんで説明する。
今度は二人の困惑が卯月に乗り移る番だった。
「えっ?待って、あれで?付き合ってないの?嘘でしょ?」
何があれなのかは分からないが、付き合っていないのは確かである。そこは尾白も日向も太鼓判を押せた。同時にこっくり頷く二人に呆然とする卯月はやがて威儀を取り繕い、謝らないわよ、とそっぽを向く。
どうやら自分の発言を省みるだけの冷静さが戻ってきたようだ。この分なら日向の言葉も届くだろうと、尾白は隣にいる後輩の背中をそっと押す。日向は尾白に凛々しく頷いてみせた。
「近くにいても間に合わないことはあります。それに僕はあなたが雨月さんをどうでもいいと思ってるなんて思わない。あなたと雨月さんや尾白先輩について話しているとき、僕はとても楽しかった。心地よかった。あなたもそう思ってくれていると僕は信じているんですが……どうでしょう?」
卯月は答えなかった。それでも日向は満足そうに、
「あのとき僕は、あなたはとても雨月さんを大事に思っているんだなと感じました。何よりあれが取って付けたものだなんて無理があります。卯月さんは僕が言っていた尾白先輩への気持ちを、偽物だと思いますか?」
卯月は戸惑い、戸惑い、それでも日向に導かれるように答えを紡ぐ。
「――お、もわない、けど……」
それを聞くと、そうでしょう、と殊更嬉しそうに日向が表情を崩す。卯月がそれを見て微かな唸り声を漏らす。恐らく罪悪感なりそれに準ずるものが刺激されたのだろう。
それと同じことです、と日向が堂々と少女の想いを保証する。それから今回のことはタイミングが合わなかっただけで、雨月ならきっとまた仲良くしたいと思ってくれる、そもそも自分だけが大事ならそんなに気に病む筈もない、と怒濤の日向の攻勢を卯月はますます複雑な面相で聞く。
尾白ももっともらしく隣でうむうむと腕組みして同意を示し、
「そもそもふさわしいかどうかを決めるのはお前じゃなくて、あの子の方だしな」
と言ったのを更に日向が受け、
「雨月さんはそんなことで友達を選ぶ人じゃありませんよ。気付いたら親しくなっていた。友達になっていた。そんな人です」
と、やはり幾分自慢げに言う日向である。そうだろうなあ、そうですよ、といつものペースでのんびり会話を交わす二人に、可愛い顔が台無しになりそうな程ぎりぎりの形相をしていた卯月がついに白旗をあげた。二人に向かって両の手のひら突き出して一時中断を宣言する。何だ何だと訝る二人を前にへなへなと座り込み、卯月は重く深い溜め息を吐いた。
「……アンタって……アンタ達って、ほんっと……」
その先は口の中に消えたが、虚脱し、呆れ返った声音の割にはその口許に痛快な笑みが広がっていた。尾白と日向の顔にも明るい色が差した。
卯月は鼻をすすって立ち上がる。足を踏ん張って胸をそらし、高飛車に言い放つ。
「どんなに情けなくてもこれが私だもの。納得できる自分になるのを待ってたら切りがないし。――決めたわ。私、雨月に会いに行く」
大人しく身が引けるならストーカーしてないしな、と尾白が混ぜっ返すと、うるさいわねと即座に噛みつく。日向はにこにことそんな二人を微笑ましく見比べている。
「だ、だから、あの、その……」
それから卯月が何か言いたそうにもじもじし出すが、尾白と日向は聞いちゃいなかった。それどころかてんで好き勝手に適当なことを喋り始める。
「いやあ、これは聞きしに勝る名勝負だな」
「決闘ですね」
「やはりここは手紙で呼び出すか?」
「入れる場所はオーソドックスに下駄箱ですかね」
「臨場感出すために筆で書くのもいいな」
「僕、筆ペン持ってますよ」
そこで日向が何かに気付いたようにハッと表情を改め、先輩は手紙がお好きですかと密やかに聞くのを、好きでもないが嫌いでもないという尾白のどうでもいい返しに、ふむふむと真面目に頷いている。今度は尾白から、じゃあ日向はどうなのかと質問し返したのを、僕はどんなものでも構いませんが直接言うのが一番気持ちが伝わると思います、と少し首を傾げながらこれまた真剣に答えていた。ふうん、と気のない相槌をする尾白は、卯月にしてみれば日向からの答えを大事に心に刻み込んでいるようにしか見えないのだが、本人達が言うにはどうも違うらしい。
またも発生した二人の空間に卯月は呆れ、疲れた顔色ながらも、どこか晴れ晴れとした心持ちで尾白と日向に意見すべく息を吸い込む。
尾白が活力のあるその声に目を向けると、きらきらと輝く金の糸が雨雲から差し込む一筋の光を反射してどこまでも伸びやかに、彼の人を目指して浮遊していた。


そしてまたまた物影からこっそり事態を見守る尾白と日向の二人である。時刻は早朝、場所は校舎の外になる。
この学校には少し風変わりなものがあって、校舎の向かって左手にグラウンド、右手に体育館などの施設があるのだが、正面となる校門から校舎を挟んで生徒達が普段使用する教室から見える敷地にはイングリッシュガーデンを模した緑の生け垣に色とりどりの花々が鮮やかな色彩でもって見事な景観を誇っている。この学校には緑が至るところに配置されているが、ここにあるものはそれらの集大成と言っていい。中庭は一面の芝生なのに対してこの空間はその季節毎の草花を植え、木や生け垣を利用して外からは極力見えないようにしてあった。上から見てもうまく木を配置して完全には見通せないし、またどの階からでも見映えがするようにと細心の注意を払い巡らされた工夫は緻密で隙がなく、生け垣を迷路のように配する遊び心もある。

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