花結び17




そんな卯月の視線に気付いたのかどうなのか、日向は尾白自ら食べさせてくれていた菓子を飲みこむと卯月に向けてこんなことを言った。
「尾白先輩は食べ物で釣ればいいと言いたいんだと思います」
「いや何も考えてないでしょソイツ。今すごく、え?って顔してたわよ。よく分かったなって顔作らなくていいから」
そしてなぜだか少し自慢げにしている日向にも、何でアンタが誇らしげなの、と一言付け加えておくことも忘れない。
今更だが、雨月の動向を探るついでに観察していたこの二人がまさかここまでボケ倒しの人物だとは思わなかった。おかげで卯月はほぼ一人でツッコミ役を担うことになっている。一人ずつだとそうでもないのに、二人一緒だとどうしようもなくボケが増幅するようだった。
この尾白と日向の二人はいま学内で良くも悪くも一番の注目を集めている。卯月はそんな二人に他の生徒から壁になる配置で座ってもらっていた。屋上に滅多に人は来ないが念のためだ。注目度抜群の二人を伴って三人でこそこそどこぞへとしけこみ変な噂を立てられるよりはある程度開放された空間で、しかし誰の目にもあきらかな交友を雨月の耳に極力入れたくもないという、実に半端な気持ちが表れた位置取りである。
尾白と日向は好物を餌に罠を張って待ち受けるか、それとも好物をぶら下げて誘き寄せるかの大して変わらない選択肢のどちらが成功率が高いかを話し合っている。
「目標は身軽だからな。仕掛けるにしてもいかに早く罠を発動させるか、そこにかかってくる」
「二重三重の対処が必要でしょうね」
卯月が動物相手じゃないんだからとその意見を却下すると二人は大人しく意見を引っ込めた。どちらも本気で言っていたわけではないらしい。卯月自身も、雨月なら罠をすり抜けて獲物だけを取っていってしまいそうだとちょっぴり思ったのは秘密だ。
そこで尾白が日向を見ながら、
「……日向は釣れた魚に餌をやってほしいと思うか」
と、よく分からないことを言い出した。日向は真っ直ぐに尾白を見返し、卯月から見ても滲み出る慕情がありありと分かる表情をする。
「僕は勝手に釣られにいった口ですから。今は傍にいられることが嬉しいので……それに、餌というなら十分に貰ってますし」
「そうか」
「はい」
聞いているこっちがむず痒くなるような声音で紡がれた言の葉は尾白の心に何か響くものがあったらしい。考え深げに先輩は一つ頷き、日向も日向で尾白を優しく見つめたまま完全に二人の世界ができあがっている。尾白と日向の間に発生している空間の甘さは卯月が尻込みするほどで、他者が容易に踏み込めない濃密さがある。
さっきのはどういう意味だろうかと卯月がこっそり尾白を窺うと、気付いた尾白がさりげなく顔をそらした。こういうことはままあって、ぼんやりしているように見えて意外に聡い男のようだ。
気付いた日向がいつかの時のように尾白と卯月を交互に見たが、尾白がそらした顔をまた日向の方に戻したので、日向の意識はまたあっけなく尾白一人に奪われた。そして尾白の方もささやかだがこんな顔ができたのかと思われる表情をする。元々顔の造作が整っているだけあって破壊力がすごい。卯月はもちろん尾白にこんな表情を向けられたことはなく、どうやら日向限定で出るようだ。それをまともに食らった日向は肌をほの赤く染め、潤み始めた瞳に縋るような色が見え隠れしてくる。そこで卯月の許容量は限界を越えた。これでも耐性はついた方だが、この距離でこの空気は正直きつい。
たまらず彼女は手を打ち鳴らし甘ったるい空気の拡散と消滅を試みる。
「はいはい、いい加減もういいでしょ。いちゃつくのは二人だけの時にしてもらえる?」
尾白はしらっと取り澄ましているが、日向は戸惑って照れている。尾白はともかく日向はまさか二人の世界の発生に気付いていなかったのだろうか。それはそれでおそろしい。
そうして本来の議題について話し始めるも、如何せん手詰まりなのは否めない。戦況は芳しくなく、どうしたって閉塞感は出る。形だけでもなんとかしようとしているのは卯月と日向で、尾白は完全に考えることを放棄してただ空を眺めていた。
尾白は作戦を実行する際には付き合ってくれるが、話し合いにはろくに参加しない。果たしてこの場にいる意味はあるのか。前にそう言ったら、僕のやる気が違いますと日向がきりっと言い切るので、卯月はその日向に倣い尾白の出席や態度については気にしないことにしている。
その尾白が話し合いには参加せずとも、根城としている屋上で付かず離れずの位置を保ちながら卯月と日向の会話に耳を傾けている理由はなんとなくわかる――と、卯月は頭を悩ませている日向を見やる。尾白は時折この同級生をこっそり気にしているのだ。
日向は至ってごく普通の、人が良さそうな男子生徒である。眼鏡をかけてその言動も優等生っぽい。尾白が彫りの深い異国風の顔立ちならば、日向はあっさりとした和風の面差しである。一見気が弱そうに見えても意外に気丈で、少々思い込みが強い面もある。とぼけたことも言うが、まず話しやすい人柄といえよう。
尾白に対して信奉とも言うべき情を抱いておりそれを隠そうともしない。あまりに熱心なので、もう好きにしてくれとこちらの方が投げ出したくなるような面を持ちあわせている。尾白はいっそ重いとも言えるその多大なる情を右に左にと受け流している。むしろ居心地が良さそうにしている時すらあるから、日向の完全な一方通行というわけでもなさそうだった。
そんな二人を前にしてなんとなく尾白を抜きに卯月と日向の二人で何かするのはよした方がいい気がして、日向と連絡先は交換しても携帯上のみで話し合いを済ませることはせず、校外で会うことも選択肢から外している卯月だ。
そんなことを順繰りに考えながら、妙案も思いつかず進展のない膠着状態が徐々に思考をずらしていくのを止めることができないでいる。
するとうんうん唸っていた日向が、そっと卯月と目を合わせて提案を申し出てくる。この同級生はいつでも真っ直ぐに人を見た。
「あのう……そういえば前々から思ってたんですけど、卯月さんのことを僕から雨月さんに……ええと、僕のクラスメイトの方の雨月さんにですね、聞いてみましょうか?本人同士だと聞きにくいことでも、他の人が聞いたら案外平気かもしれませんし」
漢字が違っても読みが同じだとこういうとき不便だ。卯月は日向から目をそらす。
「……私はやっぱり、雨月をびっくりさせたいから」
と、できるだけ自然に言った。それから二人の反応を窺うと、日向はそうですかと些か残念そうではあるもののあっさり引き、一方空を眺めていた尾白は真意を探るような目付きでこちらを見ている。先程とは逆の構図だった。なんとなしに居たたまれない気分になった卯月は視線を落とす。膝の上で組んだ指先に念入りに手入れをした爪が澄まして畏まっている。髪や顔、手や足に至るまで、人から見える範囲も見えないところも常に誰かの視線に耐えうるよう心がけている。制服の着こなしや仕草もこの見た目にあうように、けれど下品になりすぎないように注意しているし、それは学校から離れても同じだった。いつだって気は抜けない。雨月と別れてから身に付けた技法であり、習慣である。
そんな卯月に、実はですね、と日向が明るく声をかける。その声の朗らかさに引かれて思わず卯月が顔をあげると、やわらかに微笑みかける日向がいた。尾白に向けていたものとは違っても、それでも卯月の内に沈んでいた気持ちを少しだけ上に引っ張りあげて楽にさせる笑顔だ。日向は卯月相手に前傾になって若干落とした声量で話し始めた。どうやら内緒話のつもりらしい。
「僕が尾白先輩とこうしていられるのは、友達が背中を押してくれたからなんです」
日向は後押しがなくともいずれ尾白に接触するつもりではあったが、それでもここまで早く尾白の傍にいられるようになったのはその友達が色々と勇気付けて便宜を図ってくれたから、なのだそうだ。言われた名前にはピンとこなかったが、説明された容姿には覚えがあった。日向ほどではないが雨月と一緒にいる機会が多い人物。日向の友達。
遠くに見ているだけでもそれはそれで得るものはあったけれど、やはり実際に傍で同じ時間を過ごせるとなると話は違う。傍にいるからできること、気付けることもあり、共に過ごせる時間のなんと代えがたく愛おしいことか。
卯月は日向の言葉に刺激された過去の思い出達が喉元までせりあがり、胸が詰まる思いがした。今となってはその過去達もただ懐かしいばかりである。
「僕がそうなんですから、卯月さん達がまた仲良くなれたら……もっとよくなるんじゃないかと思って」
ありがた迷惑かもしれませんけど、と姿勢を戻して言う日向に卯月は相手の意図を察した。自分はいま慰められているのだ。しかしそう気付いた彼女の胸に湧き起こったのは感謝ではなく負けん気である。
「……言いたいことは分かったわ。でも、アンタにそんなこと言われる筋合いはないわね」
急に不遜な態度になった卯月に日向は戸惑うも、次に発せられた言葉に嬉しそうに顔を綻ばせる。
「だって、雨月とまた仲良くなれた私が幸せになるのは誰が言わなくても決まってることなんだから」
自信満々に言い切る卯月に日向はより一層嬉しそうにする。
「そうですね、きっとそうです」
「ふふん、当然よ」
腕を組み、顎をあげ、鼻高々といった卯月に今度は日向が挑戦的な悪戯っぽい目を向ける。

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