花結び9



尾白は日向に対して恋愛感情を抱いていないことを再度説明し、日向は話し始めた。
「尾白先輩は空や雲を眺めるのが好きなんだけどね」
知っている、と二人は言う。
「うん。それで僕を枕にしてみたらどうかって先輩に提案してみたんだ」
「へ、へえ」
聞き手の二人は顔を見合わせ、これってどうなの、とりあえず最後まで聞いてみようと目顔で伝えあう。
「膝や腕を試してもらったんだけどなかなかうまくいかなくて……人が枕になることがあんなに難しいとは思わなかった」
本気の悔恨を覗かせる日向に少女達は慰めの言葉をかける。が、その言葉にあまり身が入っていないのは仕方のないことだろう。
そして陰っていた日向の顔色が次の言葉と共にばっと明るくなった。
「でも最後に起死回生の策を思い付いてね。膝も腕も駄目なら後はもう尻しかないと思って」
「し、尻を」
思わず声を揃えて反応してしまった女子二人は、ここにきて聞き続けていいものかどうか迷いが生まれる。しかし日向は止まらなかった。
「でも尾白先輩に止められてね。学校じゃこういうことをしない方がいいだろうって言うんだ」
そこで日向がほのかな恥じらいと共に顔を赤らめるものだから、じゃあどこならいいのか、こういうことってどういうことだと少女達の脳裏に少々如何わしい想像が浮かぶ。日向はしみじみと、あの時の先輩かっこよかったなあと思い返していた。
「一応そっちも試してもらったんだけど、結局それっきりになっちゃって。でもまだ諦めてないんだ。今度はちゃんと使ってもらえるように頑張るつもり。先輩も向いてるって言ってくれたし」
日向はスポーツの試合の後のインタビューのように前向きにリベンジを誓っているが、それどころではない二人は全く違う所に反応していた。使う?向いている?何を?どこに?どこで?
少女達はどちらからともなく身を寄せあい、ちょっとこれってホントに大丈夫なの、でも合意みたいだし日向くんから迫ったみたいだし、と小声でセーフかアウトかを囁きあう。でも先輩は使うなんて言い方はどうだろうって言ってくれてそこもまたかっこよくてね、という日向の惚気もとい遅いフォローは残念ながら彼女達の耳に届いていない。
そんな混迷極まる教室に、一陣の風の如く元気に飛び込んできた人物があった。
「ごめんごめん、遅れちゃったー」
食パンをくわえて朝の通学路を走ってきそうなテンションで現れたのはショートヘアの活発そうな少女である。この少女こそ矢田川達の待ち人であり、日向と同じく学級委員の雨月だった。
途端にそれまでの混乱は消え失せ、どこ行ってたの、待ってたんだよ、と矢田川と勅使河原の二人から次々に迎えられた雨月はからっと答える。
「いやーホントごめん、待たせちゃって。すぐ戻るつもりだったんだけど意外と長引いちゃってね。――そうそう日向、これカモ先生から」
そう言って雨月から手渡されたのはそのカモ先生が担当する教科のプリントだった。今日提出期限だったそれは日向がなくして新たに頼んだ再提出用のものであり、カモ先生とは日向達に化学を教える加毛という教師である。
「受付は明日までだって」
「ありがとう。言ってくれれば自分で取りに行ったのに」
日向が受けりながら礼を言うと、雨月は晴れ晴れとした笑みをみせる。
「いいってそんなの。ちょうどカモ先生とバッタリ会ってね。日向が居残りしてるって言ったら頼まれちゃったー」
それから廊下の方をちらりと見て、にこにこしながら日向をツンツンつついてくる。何がなんだか分からない日向に、次に矢田川と勅使河原が頷きあい、日向に先程の話題にセーフ判定を送ってきた。もっと言ってくれていいし相談にのるからと熱血教師じみたことを言われ、とりあえず二人を不快にさせなかったのならよかったと日向はほっと胸を撫で下ろす。
それから雨月は待たせていた友人二人にくるりと向きを変え、近頃噂の毛玉を探しにいったこと、そこで偶然出会ったカモ先生もどうやらその噂に興味があるらしいことを話した。
「……あ〜、聞いたことある、かなぁ?」
「ど、どっちかというとジンクスみたいなものだよね?白い毛玉を見つけるといいことがあるっていう」
矢田川が朧気に、勅使河原が詳しく話すと雨月がそれを受けて答える。
「うん、最近その話をしてる人が増えたから気になっちゃって」
「そんなにその噂って広まってるの?」
日向の疑問に雨月がくるりと振り返る。よほど興味を引かれているのか、日向が思わず身を引いてしまうほどの勢いだった。
「そう、そうなんだよ!噂だけど、本当だったらすごくない?そんなわけのわかんないもの、見たいーって思わない?」
だからって約束をほったらかしにするのはよくないと矢田川が腰に手を当てて説教のポーズをとれば、雨月は今度こそしおらしくごめんなさいと頭を下げた。素直でよろしいと矢田川が頷き、勅使河原はそんな二人を微笑ましそうに眺めている。おそらく日向も同じような面差しになっているのだろう。そして少女達はそれぞれ鞄を手に取り、日向に向き直る。
「じゃあ私達は行くけど、日向はどうする?一緒に行く?」
「いや、僕は遠慮するよ。皆で楽しんできて。良かったら感想も聞かせてくれると嬉しいな」
「はは〜ん。さては尾白先輩を誘って一緒に食べに行くつもりでしょ〜?」
矢田川がにやんと口の端を緩ませ、雨月がハイハイと元気よく手をあげる。
「じゃあ私いっぱい食べる!そんで日向にオススメ教える!」
「た、食べ過ぎたらお腹壊しちゃうよ?」
「平気平気、私お腹丈夫だもん」
ぽんと腹を叩いて見せた雨月に勅使河原は心配が抑えきれないようでハラハラしている。矢田川の方は全くこの子はと、まるで母親のような或いは姉のような反応でいる。
「だ、大丈夫かなあ……?」
「雨月〜、あんまり食べると夕飯入らないよ?」
「ハッ、そうだった…!……じゃ、じゃあ、夕飯食べられるくらいに……程々に……」
「アンタどんだけ食べる気だったの」
「た、食べ過ぎないように見てた方がいいよね……?」
そして雨月から朗報を待っているように日向に指令が下り、日向も朗らかに答える。
「はは、うん。よろしくお願いするよ、隊長」
「任せろ日向隊員!」
小芝居が終わったところで矢田川が手を振り、勅使河原も続く。
「じゃあ、また明日ね」
「ま、また明日」
「――うん、また明日」
はしゃぎながら教室を出ていく女子三人は、なぜか廊下の辺りでもう一通り騒いでから帰っていった。何か盛り上がる話題でもあったのか。それともよほど甘いものが楽しみなのか。
日向は誰もいない教室でしばらくぼうっと外を――雲を眺め、ノートを片付けてからようやく帰り支度を始めた。


***


「先輩?」
「……よお」
廊下に座り込んでいた尾白は驚いて目を見張る日向に片手をあげて応える。思わぬ遭遇に日向は破顔しいそいそと尾白の傍に寄って来る。
途中、廊下を歩いてきた一人の女生徒に見つかり尾白はジェスチャーで黙っていてくれるよう頼んだのだが、――後の教室内の会話で彼女が日向と同じ学級委員の雨月だと知った。その雨月が尾白の横に座り日向が語る尾白愛ににこにこしながら当の本人を肘でつつき出したころ、日向が新たにもたらした話題で教室内の空気はにわかに騒然とし出した。それを機に尾白は雨月に突入指示を出して場を煙に巻いてもらおうとしたわけだ。尾白は何と思われても構わないが、あの話題で後輩達を放置しておくのは忍びなかった。
それから教室から出てきた雨月を含む三人の女子達にも黙っていてくれるよう頼み、しかし肝心の日向のへの対応を思い付かぬまま、尾白はターゲットに発見されてしまった。それもこれも別の考えに耽っていたせいなのだが、その考え事も目の前の人物によるものなのである意味今回の悪戯は本人によって阻止されたことになるのだろうか。
「どうしたんですか、こんな所で」
「いや、ちょっとな」
日向からの言葉に、いつもの尾白なら盗み聞きしていたとあっさり白状するところだ。だが今は言う気にならなかった。まじまじと後輩を見る。
尾白にとってあまりに都合が良すぎる日向の考え方とその一貫した態度は、あれは本当に日向の意思なのだろうか。無言で凝視する尾白に合わせて何の疑いもなく沈黙を守る日向の姿形を、尾白はその輪郭を辿るように視軸を動かして確かめる。
日向は尾白に合わせてあんな考え方をするようになったのか。それともたまたまそういう考え方を持った人間が、偶然に尾白の前に現れて恋愛感情を持つに至ったのか。考えても答えは出ない。
尾白は立ち上がり、タルタルソースのことを後輩に告げる。今度たっぷり入れてきますねと日向は張り切った。下駄箱まで連れ立って行くことになり、すると斜め後ろについた日向から忍び笑いが聞こえてくる。尾白は不思議に思い肩越しに振り返る。
「どうした?」
「いえ。嬉しいんですけど、先輩がなんだか子供みたいに思えてしまって」
本当に大事そうに慈しむように言われて、尾白は首の後ろを擦った。後から思えば日向の笑い声も笑顔も嫌いではないのだと、この時初めてはっきり自覚したのだと思う。日向がハッと何かに気付き表情を変える。
「――あっ!もしかしてこれは胃袋を掴む作戦が成功しているということでしょうか」
「まあ、戦法としては合ってるだろうな」
尾白が評価すると、まるで見えない尻尾が振られるように日向は嬉しがった。
「ではこれからも先輩のお口に合うよう頑張って作りますね」
「じゃあ俺は最後の一口を手ずから食べさせてやろう」
低く笑いながら悪の組織の一員が言いそうな口調と雰囲気で言ってやると、それはとてもとても嬉しいのですが毎度の事となるとさすがに気が咎めると後輩が今更ながらの遠慮をみせてきた。尾白はフンと鼻で息を吐き前を向く。
「俺がしたいんだから気にすんな。交換してると思えばいい」
言い切って角を曲がる。下駄箱に近付いたところで日向がまたもついてきていないことに気付いた。あの後輩は忠実に尾白の後をついてきているようで、目を離すとすぐに逸れる。来た道を戻ると他に誰もいない廊下で日向は一人立ちすくんでいた。尾白が近付いていくと濡れた瞳でじっと見上げてくる。やがて震える唇を開き、すきですと小さな小さな恋情の呟きを落とした。恥じらいと他の感情により肌が薄く染まっている。
尾白は、うん、と答える。心のなかでは知っているとも答えていた。
この後輩の告白が慣れたものとして認識される程度には回数を重ねたやり取りである。尾白は日向が事あるごとに伝えてくるこの言葉に、嘘やまやかしがあるとは思えなかった。――思いたくないと、思い始めている。
行くぞ、と促して下駄箱に向かう。日向も今度はちゃんとついてきた。

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