花結び3




まず日向を座らせる。尾白がその後ろに座って後輩の体に腕を回す。これだけで簡単、抱かれ枕の完成である。肩に顎を乗せるとこれを長時間はきついと言うので、今は首元に顔を埋めている。
そうしてからふと、腕の中の日向がなんだか緊張しているのを不思議に思う。
「今までのとそんなに違う?」
「はあ、あの、するのとされるのでは違うと言いますか……先輩からというのは、その……」
照れます、とほのかに赤くなって言うので尾白は感心する思いではにかむ後輩を間近から観察する。ふと悪戯心が湧いて耳に息を吹き掛けると日向は大袈裟に首を竦め、やめてくださいと情けない声を上げた。
「そっ、それはそうと、抱き枕ではなくて抱かれ枕なんですか?」
「主体がどっちにあるかだな。俺からしたら抱き枕、日向からだと抱かれ枕」
尾白の適当な後講釈に日向はなるほどと感心している。どうやら無理矢理意識を他に持っていくことで気持ちを立て直したようだ。日向は意気揚々と次へと向かう。
「ところで先輩、僕は人枕の検証をこれ以上学校ではしないにしても、これで終わりにはしたくないです。そこでどれが一番先輩のお気に召したか、教えて頂きたいのですが」
「……んー?」
尾白は後輩の膝から股、腕、尻――は難しかったので腰になった――を触り無難に膝を選んだ。
「分かりました、膝ですね」
「正座じゃなくて横にした片足にっていうのもありかもなぁ」
「それもいいですね。是非次の機会に試させてください」
歯切れよく高揚した返しをする後輩とは異なり、わかった、と答えた尾白の声は随分とぼやけていた。やはり思った通り、この後輩を抱き枕にしていると程好い眠気が訪れるようである。
「……眠いですか?」
「うん」
「寝てもいいですよ?起こすのは予鈴の五分前でいいですか?」
「……うん、たのむ」
頭を後輩の肩口に懐かせてちょうどいい位置を見付けると、意識はそのまま流れ落ちるように眠りの淵へと引き込まれた。
起きたのは声かけと腕を軽く叩かれたからで、睡眠へのすみやかな移行といい穏やかな目覚めといい、短時間で不自然な体制にも関わらず質のいい睡眠を得られたようである。人枕というものはなかなかどうして侮れない。
尾白は日向を抱き込んだまま体を揺らし、後輩を解放したあと伸びをする。
「よく寝てましたね。疲れてたんですか?」
いや、と尾白は軽いストレッチを終えるとこちらを見ている日向に薄く笑んで流し目をくれる。
「お前、枕の才能あるかもよ。添い寝にうってつけだな」
その評価を受けて後輩の表情が一際輝きを増す。
「本当ですか!?ではあの――また使って頂けるということでしょうか」
そうだなと尾白は頷く。
「使うって言い方はどうかと思うけど、また頼むと思う」
「っはい、よろしくお願いします!」
嬉しくて仕方がないといった後輩に、今度は尾白の方から体が辛くなかったかと尋ねた。日向も言っていたが、尾白とて日向に負担をかけたいわけではないのだ。
「……そう、ですね。人の体って結構重たいんだなと思いましたけど……」
ちら、と日向は尾白を見て抑えきれないものが込み上げるように顔を綻ばせる。
「先輩相手だと平気ですし、嫌だとは思わないんです」
「……そっか」
こういう表情をする時、どうやらこの後輩は尾白への好意をしみじみと自覚している最中らしい。確かめたわけではないが、好きだという気持ちを伝えられる度あの表情でいるのだ。そう思うしかない。今も伏し目がちになったその口元が小さく動く。すきです、と言っているように見えた。
尾白は日向の輪郭を確かめるように見て、強引に気分を切り替えて言う。
「俺はこういうのは遠慮しないぞ。いいのか?」
「望むところです。……あっ、先輩そろそろ行かないと時間が」
日向が言い終える前に予鈴が鳴り、二人は急いで階下へ降りる。別れて教室に向かう途中、寝る時にくっついていたせいなのかやたらと胸の辺りがすかすかしている気がして、尾白は何度か胸を擦った。


また別の日である。ペンを片手にメモ帳を構え、取材体勢ばっちりの日向が慎ましく尾白の傍に控えて言う。
「今日は質問させて下さい」
おかしな方向に行く時もあるが基本真面目な後輩は、きっちり正座をして尾白の反応を待った。尾白はいつものようにマイペースに後輩に付き合う。
「聞きたいことがあるのか?」
「はい。先輩の胃袋を掴もうと思いまして。今日はそのための情報収集です」
「それを本人の前で言っちゃうか……分かりやすくていいけど。――でも、そっか。料理できんだ?」
「しますにはしますが、自慢できるほどでは。叔父と二人暮らしなので家事はその時々の都合によります。凝ったものより手軽なものになりがちですね。叔父さんには長生きして欲しいので、健康的な食事になるよう心がけてはいるんですけど」
そこまで話して日向は口を噤んだ。質問しようとして逆に喋らされたことに気付いたからだ。にやにやと意地の悪い表情を浮かべる尾白へ日向が、先輩はたまに意地悪ですよねと拗ねた口調で言う。尾白は苦笑して、日向はからかいたくなる隙があるからついやってしまうのだと言い訳をした。反応もいいし、素直に引っ掛かってくれる。そう言うと日向は納得した様子で、そういえば尾白先輩は悪戯好きでしたと断言された。悪ノリは嫌いではないがそこまでとは思っていなかった尾白は、我が身を振り返り首を捻る。
「俺ってそんなに悪戯好き?」
日向も尾白と同じ角度で首を傾げる。
「僕が勝手にそう思っているだけかもしれませんけど」
しかしそうだと言われればそんな気もしてくる尾白である。現に尾白は日向といると悪戯の気がむくむくと湧いてきてちょっかいをかけたくて仕方がない時がある。そうしてみると日向の指摘もあながち間違ってはいないのだろう。
二人揃って頭の角度を元に戻すと、日向は困った子供を見守る親のように言う。
「でも、先輩には意地悪されても嫌だとは思わないんですよね。むしろ嬉し――」
言いかけてまた途中で言葉を切る。それからやや強引に、僕のことより先輩のことですと脱線していた話を元に戻した。さすがに恥ずかしくなったらしい。
もしやこの後輩は苛められたい願望でもあるのかと良からぬ物思いを尾白に抱かせつつ――好きな人にされるからこそ、という趣向なのだとはなんとなく察してはいたが――ようやく後輩からの質問が開始された。
まずはどの程度のものなら手作りのものでも平気か、アレルギーはあるかという根本的な質問から。そしていざ好き嫌いの話になった時、当然というか何というか尾白の返答は雲を掴むようなものに終始した。
「特に好き嫌いはないなぁ。出されたら食べるし、腹減ったら食べる」
「そう、ですか。ううん……では、そうですね」
本当に答える気があるのかと突っ込まれそうな回答にも、あるべき答えを導くために日向は諦めなかった。後輩はこういうことを苦には思わないらしい。
「例えばこれは食べてみて良かったとか、食べやすかったとかあります?何度食べても飽きないものとか」
そうだなぁと尾白は上を向いて考える。今日の空は薄く長く筋になった雲が青い空に擦りつけたように伸びていた。しばらく雲を見て放心していた尾白だったが、ようやく思い付いて視線を元に戻す。その先では日向が先輩からの回答を辛抱強く待っていた。
「食べやすいと思うのはあれだな、片手で食べるやつ」
「おにぎりやサンドイッチとかですか?」
「そう。俺が買うと大体あのへんになる」
なるほど、と日向はメモ帳に書き込み、普段の食事はどうなんでしょうと続けて尋ねる。
「家では大体任せてるなぁ。自分でも作るけど作り置きとか、出来合いのものを買ったりしてる。ジムにも通ってるけどそのへんも全部お任せだ」
一応体が資本のバイトやってるから、と言うと、日向が興味を引くものを発見した犬のようにぴこんと表情を明るくした。前屈みになり、辺りを憚るようにしてこそこそと聞いてくる。
「……先輩はモデルをやられてるんですよね?」
まるで重大事のように言うのがおかしくて、尾白の目がやわらかく細まる。そのまま肯定すると、日向が何故かぽやっとしたまま動かなくなった。
「おーい、どうした?」
目の前で手を振ってみても硬直は解けない。先程言われたからかそれとも自覚ができたからか、尾白の悪戯好きの血が騒いだ。顔を寄せて日向の耳に至近距離でふうっと息を吹き掛けてみる。
「〜〜〜っ!?」
「――あ、戻った」
声なき声を上げて息を吹き掛けられた耳を押さえ、体を竦ませてまた別の意味で硬直している後輩に尾白は悪戯っ子が悪戯を成功した時の表情を見せた。
尾白が身を引くと、無事に再起動した日向がぎくしゃくとした動きで姿勢を戻し、ほうと慎重に息を吐く。よほど効いたのか、潤んだ目でじっとりと尾白を見て、目が合うと慌てて尾白の体に視線を下げる。
「先輩、体鍛えてますもんね」
どうやら抱き枕にした時のことを思い出しているらしい。顔じゃなくて体なのかと問うと、だって服を見せるのが仕事でしょうと逆に不思議そうに尋ね返された。日向はクラスメイトに尾白が載っている雑誌を見せてもらったことがあり、それが全体としてのスタイルが決まっていてとても惚れ惚れしたという。
「それで、その……」
「うん?」
それから恐る恐る、腹筋は割れているかと聞かれた。シックスパックとはいかないまでもそこそこに筋肉はつけている。そう言うと日向はますます憧れが詰まった眼差しを尾白に向ける。尾白のような体型に憧れがあるらしい。だがそれだけでもないようで、尾白の体型維持への努力をあの例の慈しみとも言える面差しでしみじみと感心する。尾白は曖昧に笑った。

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