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「――というわけで、俺はここにいるんです」

身近な限られた者にしか伝えていないとはいえ、自身の境遇を説明するのもかなり慣れたものだ。
糸雨の話を聞き終えた迷夢は顔を伏せると、片手で目を覆った。

「ちょ……ああクソ、情報量が多すぎる。ここまでとんでもないのが来るなんて……」

ぶつぶつと独りごちたあと、長い溜め息を吐いた迷夢が前を向いた。
すると彼はもう人形らしさを取り戻していた。というよりどうにか取り繕っているといった様子で、初対面の時よりだいぶ綻びが見受けられるが。
表面上涼しい顔をした彼は、仕切り直しとばかりに小さく咳払いをした。

「……仮に、今の話が本当だとしよう。それなら貴様が僕の城に入ってこれた理由も分かる。貴様はやはり人間と呼ぶべきじゃない」

またもや人ならざる者扱いを受けて糸雨は苦笑した。もはや反論するのも徒労に思えて、受け流しつつ室内を改めてざっと見回す。

「ここは、ええと、城ということはあなたの結界の中ですか?結界破りをした覚えはないですが……」
「たしかに貴様は破ってなどいない。『入ってきた』だけだ。かといって結界内でもない。ここは異界――のようなものだ」
「異界?」

瞬間的に狭間を思い描いてドキリとする。念願の異界越えを果たしたのかと胸が高鳴るが、その期待はあっさり否定された。

「貴様が言う狭間とやらじゃないぞ。が、現世とも違う。言うなれば『隙間』といったところか。貴様、今までに何度か奇妙な空間に足を踏み入れたことがあるだろう。異界に近いような……たとえば神域」

神域といえば山神の居処が真っ先に思い浮かぶが、現世に戻ってからというなら、高一の正月に神社の境内でおかしな空間に迷い込んだことがある。あれも狭間に近いようで決定的に違う異空間だった。
その他にも、自身に備わる霊力を自覚して以来数度、似たような経験をした。たいていは霊的な場所で起こったが。

「その顔は覚えがあるな。どう言おうか……そうだな、こう、両手を合掌してみろ」

体の前で祈りの所作のごとく両手を合わせた迷夢に倣って、疑問に思いつつも糸雨も同じようにしてみた。迷夢は合掌したまま淡々と説明しだした。

「世の境というのは『線』じゃない、『面』だ。いま掌同士が接している『面』にはところどころ隙間があるだろ。それと同じで、この世にはあらゆる場所にそういう『隙間』がある」
「隙間……」
「よく言うだろ、隠れ里だとか迷い家とか竜宮とか。この店は、その『隙間』にある。僕の方では『寓居(ぐうきょ)』と呼んでいるが」

マヨイガという単語にぴくりと反応する。糸雨はつい口を挟みたくなったが話が横に逸れてしまいそうだったのでどうにか堪えた。
合掌を解いた迷夢が、胸の前に垂らされた黒髪を指先でねじる。

「現世でも常世でもない合間。現世の理の外だが完全な異界とも違う。行って帰って来れるお手軽異界ってところか。時にはそのまま帰れなくなるけどな」
「そう言うあなたは『隙間』にいて平気なんですか?」
「まあな。一口に隙間と言っても深度が様々で、ここはかなり現世に近いんだ。というより問題は貴様だ。そんなにも世の境を行き来した魂なら、『隙間』にも入り込みやすいし引き込まれやすい。それを意識的にやってるんだから、貴様はおよそ人間じゃないと言ってるんだ」

今まで糸雨が異空間に入ったのは、そういった『隙間』を己の領域として持っている神仏や妖に招かれたということなのだろう。
それはむしろ糸雨にとって朗報だった。転じて異界越えも容易く思えるからだ。
ずっと合掌していた糸雨も手を離すと明るい笑顔を見せた。その満面の笑みを見た迷夢がまたもや「なぜそこで笑う。気持ち悪いな……」とつぶやいた。

「ということは、つまり――」
「待て待て。ちょっと考えを整理させろ」

早口に言い募ろうとした糸雨を制した迷夢はテーブルに両肘をついて手を組むと、そこに顎を乗せた。
目を閉じて数分じっと黙り込む。しばらくしてやっと動き出したと思えば、彼は手を伸ばしてカードが収められたクリスタルケースの蓋を開けた。
その中身を取り出すと、裏面に伏せられたカードの束を手品師よろしく卓上でアーチ状に広げる。
滑らかな手さばきでそれらをかき混ぜたあと、もう一度束にまとめた。さらにその束を三つに分け、また一つに戻す。その動作を三回繰り返してから、一つの束に戻ったカードを上から順に慣れた手つきで一枚ずつ並べていった。

何かの図形のように並べられた八枚のカード。残りの束は迷夢の手元にまとめて置かれた。
一連の動きを黙って見ていた糸雨はひそかに感心していた。まるで本物の占い師のような無駄なく洗練された手さばきだ。部屋の雰囲気と相まって、これでは『客』がスピリチュアルな期待を寄せてしまうのも頷ける。
神妙な様子になった迷夢は、その繊細な指先でテーブルをトンと叩くと高慢に指図した。

「この中から一枚を選べ」
「何のために?」
「貴様が知る必要はない」
「だったら俺にわざわざ選ばせないで勝手にあなたが選べばいいじゃないですか。何か俺にとって意味があるんでしょう?それなら内容を教えてもらわないと、俺も選びようがないですよ」
「……本当に貴様という奴は、肝心なところで厄介だな」

今のは誉められたのだろうか。糸雨は苦笑しつつ肩をすくめた。
観念したとばかりに短く嘆息した迷夢が、腕を組んでソファの背にもたれかかる。

「これは単なる遊びだ。そう畏まったものじゃないから安心しろ。内容を言うなら『この出会いをどうとるか』ってところか。貴様の意思は重要じゃないが、無関係でもない。だから直感で選べ」
「そうですか、分かりました。えーと……じゃあ、それを」

糸雨が指したのは卓上に並べられたカードではなく、迷夢の手元に置かれたカードの山だ。

「そこの一番上のカード、っていうのアリですか?」

迷夢は呆気にとられて、もはや人形に戻ることすら忘れたように若干引きつった表情になった。何言ってるんだこいつ、とありありと顔に書いてある。

「たしかにカードの中からとは言ったがな、普通は選ばんぞ、これは。……まあいい、これだな」
「はい」

糸雨は別に裏をかいてやろうだとか意表をつこうといった他意は抱いていなかった。
ただ、鮮やかな手つきでテーブルに並べられていくカードがたったの八枚で、次に並ぶと思ったもう一枚が予想外に寸止めされてしまったから、並べられるはずであったそれを選んだに過ぎない。
カード占いのことなど何も知らないが、糸雨の中ではそれがいいと、それこそ直感で選んだのだ。

少しばかり戸惑いつつも背もたれから体を起こした迷夢は、言われた通り、カードの山の一番上の札をめくって糸雨の前に差し出した。

カードの絵柄は蛇の目傘だった。
円形に中央から放射状の骨組みが広がる傘の絵に、紫色の真ん中に目のように白抜きされた柄。周囲には雨雲と蔦、横殴りの雨を模した斜線、そして四隅に種類の違う鳥が四羽描かれている。
ゆゆが言っていたとおり、たしかに一見して花札らしい色味と絵柄だ。モチーフも和物で、上部に『十』の文字。これは十字架ではなく漢字の十だろう。
雨に傘とは、雨の名を持つ糸雨にとってはなんとも暗示めいたカードだ。
興味深くそれを見つめていた糸雨の耳に、迷夢のかすかな笑い声が届く。訝しみつつ視線を上げれば、彼は心底愉快そうに体を震わせていた。

「ふっ、ふふ……そういうことか……」
「あの、これってどういう結果だったんですか?何か占いっぽい呪いみたいな感じですか?」
「ははっ、いや、それはない。というか、今のは呪いどころか占いですらない。僕はカード占いなんてできんからな。お前の行動を見たかっただけだ」

迷夢の言葉の意味がまったく分からず、糸雨は怪訝な顔をして彼を覗き込んだ。彼の水色の瞳が瞬きながら細められる。

「お前が選んだ札はタロットでいうところの『運命の輪』。この中からそれを引いたお前の定めは、僕の予想の遥か上を行くものらしいな」
「あのすみません、全然意味が……」
「よし、決まった。お前のスマホを出せ。友達登録するぞ」
「はい!?」

迷夢のやることなすこと唐突すぎてついていけない。糸雨はさすがに今までになく警戒して袂を押さえた。
それすら思惑通りとばかりに迷夢が懐柔するような猫なで声を出す。

「こういうのは手順が重要なんだ。悪いようにはせんよ。友達登録したら貴様の求める情報も提供してやろう。というか、そうでないと何も話せん」
「いわゆる対価、ということですか?」
「まあそんなところだ。いくら金を積んだところで、この僕と友達になれる機会はそうはないがな」

小一時間前に会ったばかりの女装呪術師と友達――どこをとっても強烈な単語の並びで、今度は糸雨が口元を引きつらせる番だった。
固まっている糸雨などお構いなしに、迷夢は少し上体を屈めてテーブルの下に手を差し入れた。
天板のすぐ下に隠し棚が設えられてあったらしく、引き抜いたその手に四角い端末が握られている。
彼のスマホは一見クマのぬいぐるみに見える、もこもこしたケースに嵌まっていた。当然のごとく紫色だ。

躊躇いがないといえば嘘になるが、それでも糸雨は「虎穴に入らずんば……」と呪文のように心の中で繰り返し唱え、袂落としからスマホを取り出すと迷夢とアプリで友達登録をした。
必要なことだけしたあとはさっさとスマホを袂に仕舞った糸雨に対し、迷夢はほっとしたように息を吐いた。
少女趣味なスマホを棚の中に戻した彼は、すっかり湯気の消えた紅茶のカップを持ち上げると口をつけ、ゆっくりと嚥下した。

「僕はさっき手順が重要だと言ったな。これで僕とお前の縁は繋がれた。形式的にだが、目に見える繋がりによって、さっきお前にかけようとした術の反動による隷属は解かれた」
「えっはい?そんな術を俺にかけようとしてたんですか?」
「そうたいしたものじゃない。普段なら自力で解ける程度のものだが、今の僕では力が及ばんのでな、こういう形をとった」

先程から迷夢は「今の僕」だとか「使い物にならない」といった言葉を多用している。
どういうことなのか、そしてそれをどうやって訊くべきかと迷いつつ糸雨が目で問いかけると、彼は紅茶を一気に飲み干した。

「……まず大きな誤解があるようだから先にそれを伝えておく。僕は呪術師だが、呪詛だけが専門じゃない。そもそもの話、呪術師というのは元来、祈祷や卜占を生業とするものだ。もちろん僕もそれにあたる」

これには糸雨も大いに驚かされた。てっきり邪術を専門とする術者全般を呪術師と呼ぶのかと思っており、一色もそのように語っていたからだ。
糸雨の困惑の顔色を見てふっと軽く笑った迷夢は、空になったカップにガラスポットから自分でフルーツティーを注ぎ足した。

「といっても現存の術者は大半が呪詛ばかり扱ってるからな、別に間違っちゃいないさ。ただ、僕の家は、禁厭(きんえん)の祖から賜った術を今の世まで継承している」

優雅に紅茶を注ぐ迷夢を前に、糸雨の全身から血の気が引いていった。心臓まで冷えていくようだ。
主の眷属だった頃ならばあっさり聞き流していたであろう台詞だが、様々なことを学んだ今では到底看過できるものではなかった。


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