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本物の鳥であればまだしも妖を保護したいなどと言えるわけもなく、糸雨は母親に黙って鳶を家に持ち込んだ。
現世に戻ってからというもの、母には言えないことだらけだ。すっかり隠し事が上手くなった。
鳶が騒ぐようだったら一色に即時連絡をして相談するつもりでいたが、その日は糸雨が何を話しかけても彼は沈黙したきりだった。傷を負った鳥さながらにじっと身を丸めて。


翌日、さすがに二日連続で試験会場に鳥を連れて行けないので、鳶は自室に置いていくことにした。
口は達者でも明らかに痩せ細り弱っている様子では、外に連れ回すのが忍びなく思えたというのもある。

この鳶が何を好むのか分からず、金平糖や他のめぼしい食糧と水を机の上に並べた。
母が日頃から家でもパン作りをしているので、ドライフルーツやナッツ類の備蓄は豊富だ。それからニンジンにレタスやハム、竹輪にバナナなども小さく切って木皿に盛り付けた。
それらを見た鳶は琥珀色の目を輝かせ、興奮気味に羽を震わせた。一晩経って心身ともに回復したのか、彼は普通に喋り出した。

「こ、こ、この旨そうな供物はなんじゃ!?みな、わ、我のものか!?」
「そうですよ。昨夜も説明しましたが、俺は用事があって今から出かけないといけないので、お留守番をお願いします。窮屈でしょうが、この部屋で静かに休んでいてくださいね」
「苦しゅうないぞ!行って参れ!」

ふわふわのタオルにご機嫌な顔でくるまったまま並べられた食べ物をさっそくつついている鳶がおかしく、糸雨は笑いながら「行ってきます」と部屋を出た。

家に置いてきた謎の鳶のことが気になりながらも試験はつつがなく終わり、帰宅途中でコンビニに寄った。
神饌は気を遣うが妖相手ならそこまでではない。妖の好物はヒトとそれほど大差ないものの、現世にいて長そうなあの鳶ならもっと多様なものも食べられるだろう。
小腹が空いたので自分が食べるものも買い込み、糸雨は足早に帰宅した。

「若様ー、ただいま帰りまし、た……、……は?」

自室に入った直後、糸雨は唖然とした。几帳面に整理整頓しておいた物が、ことごとくひっくり返されていたからだ。
棚に並べて置いた本や参考書やノートは端から引きずり出されページがビリビリになり、ごみ箱は転がって中身が散乱し、ペン立てと卓上ライトは倒され、壁に掛けていた時計や額縁も軒並み落下していた。
ベッドと枕の上には薄茶の羽が散らばっている。
箱ティッシュの中身に至るまで全部引き出されて床一面に広がっていた。無事なのは閉じておいたクローゼットの中身だけだ。

犯人は一羽しかいない。
糸雨は慌てて部屋中をくまなく見回した。すると、カーテンレールの上に得意満面の小鳥が留まっているではないか。羽を広げて嘴の先で悠々と毛繕いをしている。

「若様!!」

怒気を込めて呼べば、鳶は胸を反らして白い腹毛を膨らませた。

「我は退屈じゃ!こんなところにいつまでも我を閉じ込めておくそちが悪いのじゃぞ!馳走が足らん!馳走を持て!」
「……なるほど、若様の言い分は分かりました。ですけどね、やっていいことと悪いことがありますよ」

糸雨はカーテンレールの上に向けてフッと鋭く息を吹いた。途端に鳶は趾を浮かせて体勢を崩し、カーテンレールの上から転がり落ちた。真下のベッドに無様な格好で倒れる。
これは、主から手ほどきされた術と同じものだ。眷属でなくとも、主の神気まじりの霊力を用いれば同様の術が使えた。狭間とは勝手が違い、現世ではかなり威力が制限されるところが難点といえば難点だ。
ヒトに向けて使いはしないが、妖や物の怪に困らされたときには重宝している。

見えない力で突然転がされた鳶が、目を白黒させてベッドの上で固まっている。そんな彼を糸雨はすかさず片手で捕まえた。
その上で霊力による圧をかければ、鳶はビクッと震えた。

「あなたね、仮にも世話になろうって人の部屋を好き勝手荒らしていいわけないでしょう」

主も逆らえぬ糸雨のお小言モードに鳶は焦りだし、知らぬ存ぜぬとばかりに、とぼけ顔で目を泳がせた。

「わ、我は知らん!我は何もしておらんぞ!」
「言い逃れは駄目です。面倒を見るとは言いましたがね、俺はあなたの臣下でも召使いでもないんですよ。ここにいる以上、いくらあなたが偉い若様だろうと分は弁えてもらいます。それができないのなら、どうぞ今すぐ出ていってください」
「…………我の足が、引っ掛かったかも……しれんの…………たまたま……ほんのちょっとだけ……」

温かい寝床と旨い食べ物を与えられなくなることを恐れたらしき鳶は、顔を背けながらもギリギリ己の非を認めた。
――この件でよく分かった。
主の尊大さは、皆を守護し導く実力と責任能力を備えた上での主君たる振る舞いであり、一方で若様は、傍若無人とわがまま一辺倒の暴君だ。まったく雲泥の差である。
それを改めて実感した糸雨は、苦いものを飲み込んだようなしかめ面のまま鳶を解放してやった。

「とにかく、部屋を片付けるので若様も手伝ってください。自分の羽ぐらい集められるでしょう?」
「う、うむ。特別に、そちの願い聞き届けてやろうかの」

進路がかかった大事な試験の日だというのに、とんでもない二日間だった。
試験が終わって息つく暇もなく荒らされた自室を片付けなければならないとは――先が思いやられ、糸雨は深く長い溜め息をついた。

精神的疲労から作業の進みは捗々しくなく、元通り片付け終わった時は夜になっていた。破られた本は補修できるところは直したが、そうでないものは諦めた。
途中、仕事から帰宅した母に試験終了の慰労として外食に誘われたが、糸雨は「疲れたからもう寝たい」と言って断った。

ようやく片付いた部屋で椅子にぐったり腰かけると、鳶がひらりと飛んできて机の上で鳥らしく首を傾げた。いかにも「飯はまだか」と言いたげだ。
コンビニで買ってきた食べ物を鳶に分けてやれば、彼は気分良くつついた。
あれもこれもと嬉しそうに小さな嘴で器用に食べる様はやはり愛嬌があり、それを見ているうちに糸雨の口元も綻んだ。

「――で、そろそろ教えてもらえますよね?若様が何の目的で俺に近づいたのか。あなたの正体も」

腹がくちくなったところを見計らって単刀直入に切り出す。
自由奔放な鳶も事ここに至っては分が悪いと観念したようで、顔を上げて気まずげに口を割った。

「……奇っ怪なヒトが天狗を探しておると小耳に挟み、会いに来たのじゃ」
「天狗?たしかに調べてましたけど……。いや奇怪って何ですか。若様の方が怪しいですよ」
「怪しくなどない!我は、ごりょうげんとうざん大天狗頭領しょうじんぼうが末子(ばっし)、はっこうまるじゃ!」

鳶の口からすらすらと出てきた耳慣れない単語の羅列に面食らってしまった。
かろうじて『天狗』という箇所だけ聞き取れたことで彼に詰め寄る。

「はっ?え?天狗!?ちょ、ごりょう……ちょっと若様もう一回!」

糸雨は急いでつぎはぎだらけのノートを開き、鳶に一文字ずつ字を聞き返しながらなんとか書き留めた。
牛崚玄宕山(ごりょうげんとうざん)の、正甚坊(しょうじんぼう)という大天狗の息子。
そしてはっこうまる――。

「『はっこうまる』は?どういう字を書くんですか?」
「字は知らん。皆からただそう呼ばれておっただけじゃ」

出身地と親の名を、しかもそこそこ難しい漢字を知っていながら自分の名の字が分からないとは一体どういうことだろうか。
不自然さを覚えつつも、糸雨はにわかに体温が上がりドキドキしはじめた。
まさか、ずっと追い求めていた天狗が向こうからやってくるとは思いもしなかった。悩みの解決に繋がる手懸かりをようやく掴んだのではないだろうか。
高揚した感情そのままに早口で鳶に問う。

「皆って、天狗の仲間からですか?」
「……父上と兄者達からじゃ」

(まるは『丸』だとして、発光……八甲、じゃないよな、たぶん。まさか薄幸のわけないし)

思い浮かべた字はどれもあまりピンと来なかったので、糸雨はスマホで検索してみた。
熟語ではない可能性もあるが、明らかなところから調べはじめるのは仲介屋における調査の癖だ。
さして時間もかからず『八荒』という字が検索結果に引っ掛かり、スマホの画面を鳶に見せた。

「若様、これじゃないですか?天下、とか国の隅々、みたいな意味があるみたいですよ。八は末広がりだし縁起が良さそうじゃないですか」

それらしい字面に喜んでもらえるかと思ったが、当の若様は表情を曇らせて首を曲げた。白い腹に嘴が埋まる。

「若様?」
「……そうじゃな。八荒……八荒か。うむ、気に入った!我が名はこれより八荒丸とする!」

急に頭をもたげた鳶は、高らかに宣言した。
その落差にかなり違和感があったものの、糸雨は新たに手に入った情報を早く解き明かしたくて八荒丸に矢継ぎ早に質問した。

「では八荒丸様にさっそくお聞きしたいんですが、この牛崚玄宕山というのはどこにあるんですか?」
「知らん」
「……異界から現世にお渡りになったのだとお見受けしますが、どうやって御山からこちらにいらしたんですか?」
「知らん」
「ふざけてるんですか」

糸雨は再び八荒丸を片手で掴み上げ、握る力を少し強くした。
小鳥はグエッと鳥らしくない蛙に似た鳴き声を上げたが、糸雨の手の中でバタバタ暴れて必死に言い募った。

「知らんと言ったら知らん!我は好きで現し世に来たのではない!我は、……す……っ、捨てられたのじゃ!!」


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