彼らはこの手をすり抜ける。

 二〇〇七年、八月下旬。
 曇天の暗い雲が引き篭る熱気に蓋をするように、じめじめと蒸し暑い昼下がりだった。
 高専の校門では、今まさに呪霊討伐の任務に出向こうとする二人組の姿が在った。わたしは全速力で二人の前に向かうと、両手を左右に広げて、進路を阻むように立ちはだかった。

「わっ、おばけさん! どうしたの?」

 灰原さんのその声を聞き、七海さんが足を止める。これから任務なのに一体何事だと、眉をひそめたその表情に書いてあるかのようだった。
 一方で、わたしの姿を視認できる灰原さんは、わたしの冷や汗の浮かぶ表情をじっと見つめる。“行っちゃ駄目”。わたしのその発声は、二人のいずれにも届かない。

「え? ええと、ごめん、もう少しゆっくり言ってみて」

 灰原さんは、真剣な表情でわたしの口元を注視した。唇の動きから、わたしの言葉の内容を汲み取ろうとしていた。

「……行っちゃ駄目、死んじゃうかも……? そう言ったの?」

 灰原さんがわたしの両目に視線を移して確認する。わたしは頷いた。灰原さんの声を聞き、七海さんが大きなため息を吐いた。

「何を根拠に? あなたは未来から来て、結果を知っているとでも?」

 わたしの姿が見えない七海さんは、忌々しそうな表情を浮かべて、自身の足元に視線を落としていた。当然の反応だ。何も言えずに七海さんの横顔に視線を留めるわたしに、灰原さんは言った。

「心配ないよ、おばけさん。任務は二級呪霊の祓除なんだ」

 灰原さんの、困ったような笑顔を見つめ返す。
 二人は二級術師だから、任務のランクは妥当だ。だが、どうしても不安が拭えなかった。
 『この任務で灰原さんは死ぬ』。
 確信はない。未来は知らない。だが、未練に勘づいたわたしの死はきっと近い。灰原さんは、幽霊のわたしという存在を知覚できる時点で、きっと死に触れている。声が聞こえなくなったのは、時計の針が進んだ一つの証拠ではないか。ピースが一つずつ合わさっていく。だが、その一欠片だって、わたしは彼らに伝えることができないのだ。

「困ったね、七海」
「馬鹿馬鹿しい。困っている暇はありませんよ」

 なんの根拠もない、身元も知れない女性の言うことを真に受けるほど、私はお人好しではない――七海さんはそう続けた。

「灰原は姿が見えているので、違うかもしれませんが」

 七海さんのその言葉を聞き、灰原さんは首を捻る。

「うーん。もちろん僕だって、任務先の被害状況や調査結果を聞いて、呪術師として任務に参加しているから、おばけさんの言うことで覆るわけがないことはわかってるよ。僕が人を信じたい性格だってこともわかってる」

 灰原さんは七海さんを見ていた。でもね七海、と言葉を続ける。

「おばけさんと一緒に過ごした二週間も、僕にとっては本物なんだ。信じたい」
「……彼女を信じることと、任務の達成は両立できるんですか?」

 灰原さんは顔を上げて、少し笑った。そして、わたしの顔を見た。

「ごめんね。七海の言う通りなんだ。僕にとって今、七海より、任務の達成より、大事なことはない。今できることを精一杯やる、それが僕だから」

 だから、待っててね、おばけさん。
 最後に彼はそう言って、笑顔でわたしに手を振った後、背を向けて校門の外に歩き出した。
 終わりが近いわたしはもはや、校門の外の景色すら不鮮明だ。彼にそれを伝える術も、もうないんだな。そんなことを考えた。



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