あの人に会いに行く。

 目を覚ました時、わたしは緑の葉をつけた桜の木の下にいた。
 高専のグラウンドの、思い出の桜の木。あの呪霊のオネエさんのことから同期のことまでとは、脈絡もない上に、随分と長い夢だ。
 呪霊は鶯宿さん。姿も覚えている。だが、同期の彼女の顔と名前は、黒塗りを施されたように、きちんと脳内に描き出すことができない。これは何かの暗示だろうか。
 わたしは桜の木の下に座り、考えてみることにした。
 『契約を結んだ』――その表現が正しいかどうかわからないが、呪術の基本は利害の一致による契約関係。言い換えれば、縛りだ。
 鶯宿さんがわたしに一方的に『幽霊として生きる時間』とやらを与えるのはしっくりこない。彼の口ぶりから予想するに、仮に心からそうしたかったとして、わたしはそれを望んでいないから“破棄”だろう。だが、結果としてわたしはそれを受け入れている。
 彼が言うように、「この世に未練がないなんて嘘に決まってる」がわたしの本音か。不本意だが、おそらくそういうことなのだろう。
 次の問題は、この身体のタイムリミットについて。
 鶯宿さんの残りわずかだという寿命が尽きれば、わたしの命も終わるだろう。だが彼は「わたしの未練と後悔を見つけた時、この命は終わる」とも言った。
 わたしを叱咤するために与えられたヒント。……遊ばれている。ゲームをクリアする感覚だ。わたしに与えられたクエストが、未練探しというわけだ。ファンが推しにする仕打ちではない。いつか再会したら言ってやらなければ。

「あなたの寿命が尽きるより先に、わたしが未練を見つければ、わたしの勝ちってことでいいよね」

 声に出しても、返事はなかった。まぁ、そもそも勝ち負けを競っているわけではないのだが。
 ゲームマスターはどこから見ているのだろう。その気持ちすら、聞き届ける人はいない。
 ……そうだ。灰原さんはどこにいるのだろう。わたしの声は、やはり聞こえないのだろうか。

「……わたし、なんで身元不明で、七海さんしか知り合いがいないような時期の高専にいるんだろう」

 ふと浮かんだ疑問は、次の疑問を連れてきた。
 七海さんは唯一の知り合いだというのに、彼の目にわたしは映らない。
 そういえば、彼らは今二年生だと言った。
 自らの名を名乗ることもできず、同期の顔と名も黒塗り状態。もし、わたしの未練がこの時期のこの場所にあるのなら?生前のわたしが干渉し得る七海さんが、わたしにとって未来の七海さんとは思えない。
 わたしの大切な人の、そのまた大切な人が、彼だ。不思議なことに、それだけは確信があった。
 わたしが“契約”を結ぶ時、未練を見つける旅を決めた時、七海さんをよすがにしたことは間違いない。
 じゃあ、同期の名前がわからない理由は?
 七海さんの同期の灰原さんだけが、わたしを認識できる理由は?
 わたしの一番大切な人は、七海さんじゃない。
 わたしは“好き”や“大切”などという宝物みたいな感情を、ずっと知らなかった。
 七海さんは知っているのだろうか。七海さんがそれを知っている理由を、わたしこそが知っているんだろう。そうじゃないと、七海さんをよすがにする理由がない。
 誰かが、七海さんを想っている。彼を想い、彼の名を呼ぶ声が、わたしの中に生きている。
 そしてわたしにとって、それこそが未練だった。わたしがわたし自身を呪い縛った鎖だ。そんなのはまるで、亡霊だ。

「…………、会わなくちゃ、今すぐに……」

 わたしはわたし以外の人を、呪ってはいけない。鎖を断ち切り消えるべきは、もう死んだはずのわたしだ。
 お願い、あなたは呪いになどならないで。あなたは、彼と一緒に生きて。
 それを伝えるために、わたしはあの人に、会わなくてはならない。



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