春の日の思い出。

 わたしの入学した年は、高専の敷地内の桜が咲いたのが、例年より少し遅かったという。
 同期の□□□と一緒にグラウンドの桜の木を見上げた思い出がある。白い奈落の底に落ちてゆくさなか、何故だか、わたしはそれを思い出していた。

「■■ちゃん。見て、もうすぐ満開だね」

 そうだねと肯定し、それよりと話を逸らす。
 彼女はうっかりしていたと言うように、眉を八の字に下げて苦笑いを浮かべた。そして「ごめんね、■■」と、わたしを名字で呼び直した。
 彼女はなんでも肯定した。そういう性格だった。他人の嫌がることをしたくないという優しい性格。そして何より、嫌いなものやことについて、進んで口にしないところが印象的だった。
 わたしは嫌いなものが多かった。そのくせおしゃべりな性質だったから、彼女は聞きたくもない『わたしの嫌いなもの』について色々と聞かされ、嫌な気持ちにもなっただろう。
 春が嫌い。そう言ったわたしに「そうなんだ」と答えて彼女は笑った。「じゃあ好きな季節は?」と尋ねる声に、特にないかなと、取り付く島もないいらえ。彼女のきょとんとした表情に、気を悪くしないでほしいと伝え、慌てて言い訳を並べる。

「あっ、でも、桜はそんなに嫌いじゃないよ!」

 言い訳じみたその言葉に、彼女はそっか、と言いながら嬉しそうに笑った。
 自分の下の名前が嫌い。彼女は「どうして?」と質問をした。春の話題の時は理由を訊かなかったのにと、少し意外に思った。言いたくないならいいよと食い気味に追ってきた声に、わたしは首を横に振った。

「うち、■■家って、呪術師の家系なの。わたしは落ちこぼれで。名字はみんな同じだから、下の名前で呼ばれるとわたしの事ってすぐにわかるでしょ」

 常に他人を思いやる性格の彼女には、想像もつかない世界の話だったのだろう。押し黙って、次の言葉を考えていた横顔を、今でも覚えている。

「入学時で、準二級でしょう?全然落ちこぼれじゃないよ」
「あは。ありがとう。でも実は色々あるんだよ。□□□は知らなくていいこと」
「……でも、名字で呼ぶ理由だもん、私は知りたいと思うよ」

 遠慮がちなその声に反して、まっすぐな瞳だった。生家では向けられたことのない、わたしを思う優しいまなざし。はらりと、咲き始めの桜の花弁がわたしたちの上に降り注ぐ。その時、わたしを取り巻く全てが、優しい世界だった。
 ■■家には相伝の術式があるが、わたしはそれを継がないばかりか、呪術師としてはお粗末な程の呪力量・呪力操作性しか持たなかった。
 わたしの術式は、呪力を篭めた物体を動かす“付喪操術”だ。だが呪力操作が苦手なわたしは、物に呪力を篭めるのも苦手。わたしが持つにはあまりにも不向きな術式なのだ。だから、呪術師として懸命に体術を磨き、準二級の実力まで到達した。それすらも、親戚の術師は気に入らなかったようだけれど。

「すごい! だからそんなに強いんだね。私は武器を扱うのがまるで駄目だから、尊敬だよ」

 □□□は愚かな程に純粋な女の子だった。
 彼女は呪力量に恵まれ、呪力操作が上手い。わたしにないものを持ち、わたしにあるものを持たない。まるきり反対だけど、否、きっと反対だからこそ、わたしはみるみるうちに彼女に惹かれた。
 わたしが一番嫌いなものの話は、彼女にはしたことがない。大好きな彼女の顔を、曇らせたくはなかったから。



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