ゆっくりとハンドルを切り、高専の方向へ車を発進させた。助手席に置いた紙袋が、駐車場と道路を隔てる低い段差に躓いた拍子に軽く跳ねた。何度シミュレーションしても、この中の箱をどうやって七海さんに渡そうか、答えは出なかった。他の人には深く考えなくてもできることが、七海さんの前では難題になってしまう。七海さんは大人だけど、わたしはまるで中学生みたいだ。
高専に着いた頃には、夕日は沈みきっていた。七海さんと並んで車を降りながら、中身に対して大きな紙袋を大切に両手で包む。ふいに視線を感じて七海さんの顔を見上げると、軽い音をたてる紙袋をじっと見ていた。
「バレンタインデーの、ですか」
はいかいいえで答えられる簡単な質問を前に、わたしは何も言えずにぎしりと固まった。七海さんは一瞬しまったという表情を浮かべ、わたしたちの間には重たい沈黙が横たわる。
「そうです、あのっ、お世話になってる方が多すぎて、朝はこの袋いっぱいに……」
視界がぐるぐると回るような感覚の中、わたしはよくわからない言い訳をしていた。七海さんがどんな意図で尋ねたのかわからないのに、わたしは何を口走っているんだろう。
「そうですか。皆さんに」
「ハイ!先生方にも生徒たちにも、女の子にも、家入さんや、伊地知さんにもっ……」
「律儀ですね。あなたらしい」
無表情のまま七海さんが言う。今日、わたしが多くの人に言われた言葉だ。いつもなら七海さんにもらう言葉はどれも嬉しいのに、今は違う。わたしはぐっと唇を噛んだ後、七海さんの顔を見上げた。
「……七海さんにも、用意したんです。受け取ってもらえますか?」
七海さんは、一瞬驚いたように目を見開いた。他の人とは違う、そう一言、ちゃんと添えたかった。だけど七海さんを、どんな形であれ、特別という意味合いの言葉で縛りたくはない。がたがたと震える手で、わたしは箱を取り出した。看破されたくない、だけど気持ちに気付いてほしい。交わらないふたつの本音を声にはできない。七海さんは感謝の言葉を述べながら、両手で、わたしの手の中から箱を受け取った。
「今夜、時間を取ってくれと言ったのは……このためですか」
七海さんの質問に、わたしは無言で頷いた。七海さんは小さく息を吐きながら明後日の方向に視線を向けた。その心の内が全く読めず、わたしは不安でいっぱいだった。わたしのそんな表情を見た七海さんは観念したように口を開く。
「……てっきり、あなたに食事に誘われるのかと。そういう日でしょう」
高専の地下駐車場の、安物の蛍光灯に照らされた七海さんの顔が、ほんの少しだけ赤いような気がした。七海さんの視線はわたしのそれから逃れようと、依然としておかしな方向へ飛んでいる。わたしは途端に暴れ出した心臓をどうにもできずにいた。
「……さ、誘っても、いいですか。お店の予約とか、してないですけど」
情けなさと恥ずかしさとで、わたしは相変わらず目が回りそうな心地だった。七海さんは美しく包装された贈り物をきちんと手の中に持ち直すと、穏やかな表情で、ええもちろん、と返事をくれた。