「ねえねえ。今年は七海へのチョコ、どうするの?」
わたしの隣の席で伊地知さんが同情的な微笑みを浮かべているので、わたしは「なんかすみません、うちの面倒くさい上司が」という気持ちになり、ジト目で背後の五条さんの顔を見上げる。「いえいえ、お互い大変ですね」という哀れな視線を伊地知さんから感じ取り、わたしは全くだと思いながらため息をついた。
「え?なにその笑顔とため息は。以心伝心なの?」
何やら楽しそうな声音の五条さんは、どうやら次の予定まで時間があるらしく、わたしを弄って遊ぶことを決めてしまったらしい。
「まぁ……伊地知さんとは立場も席も近いですし……」
そんな言葉を選んで返しながら、パソコンのモニターを見つめたまま、不本意ながら脳に刷り込まれてしまった単語を反芻する。チョコ。そうだ、世間はもうすぐバレンタインデー。わたしは愛用の手帳とペンを取り出しデスクに広げた。誰にチョコを贈るか、きちんとリストアップしておこうと考えたからだ。
「ねえ無視しないでよ、七海の話しようよ〜」
大きな図体でちょろちょろ動き回る五条さんは、なんだかんだと周囲の人たちに愛されていると思う。特に彼が話題に出した七海さんは、いつも律儀に言葉を返しているのを目にする。五条さん、伊地知さん、高専の生徒たち、そして七海さん。平等に、順番に頭に浮かぶ名前を書き留めながら、誰かを特別に贔屓する予定はない。それでも五条さんがわたしに対してしきりに七海さんの話をしたがるのは、わたしから彼に向かう気持ちに『特別』の二文字を付与したいからに他ならない。
「七海さんもそうですけど、五条さんと伊地知さんにも用意するつもりですよ。お世話になってますから!だから勘弁してくださいよ」
やがて生徒の一人に呼ばれ、五条さんはぶつくさ言いながら事務室を出ていった。どっと疲れてデスクに伏すわたしに、伊地知さんは気遣わしげな表情を向けた。女性はこの時期は大変ですよね、と一言添えて。
「うーん……男性のほうが大変だと思います。お返しとか気にしないでいいですからね」
そんなことを、デスクにおでこをくっつけたまま伝えてみる。これまでのバレンタインに特段、思い出などない。そわそわしながら想い人の贈り物を待つ時間を過ごす世の男性の胸中に思いを馳せても、やっぱりよくわからない。だけど今年は、わたしもどきどきしたりするのだろうか。好きな人を思ってチョコレートを選ぶ時間や、手渡す瞬間を想像して、はぁと息を吐く。付与すべきなのは贔屓でも特別でもなく、感謝。だけどやっぱり、七海さんの顔が浮かんでしまうし、笑顔やありがとうの一言を期待してしまうのだ。
「甘いもの、苦手だったらどうしよう」
わたしの独り言に、色々察した様子の伊地知さんも、答えが見つけられず首を傾げた。そこに載せられた想いごと、苦手なものを受け取りたい人はいないだろう。やっぱり男性のほうが大変だろうな、と思った。