ありふれたせかいせいふく | 03


“雪風神社”へ向かう道を、五条と夏油は並んで歩いていた。
こよみの祖母の土産店から徒歩で約15分、舗装されたコンクリートの歩道を徐々に外れ、観光客に踏みつけられた物言わぬ雑草が、行先を教えている。
往き慣れた道ながら、こよみは悪寒に肩を震わせていた。周囲を飛び回る呪霊の数が、足を進むのに比例して増えていく。

「大丈夫?こよみちゃん」

数メートル先を歩いていた夏油が、こよみを振り返る。
疲労の色など全く見えない男二人の顔を見上げた後、こよみは膝に手を置いてその場に立ち止まった。地面に向けた顔から、ぽたりと汗が滴り落ちる。

「もうバテたのかよ。ここ、何度も来てるんじゃねーの」
「来ませんよ……こんな暗くて怖いところ……」
「こよみちゃんは呪霊が見えるし、気配も感じるのだから、何も感じない非術師よりもあてられやすいかもしれないね」

この息切れの原因はむしろ歩き続けた疲労からだが、話がややこしくなりそうなのでこよみは何も言わなかった。
自分の倍ほど身長がありそうな感覚すら覚える長身の男たちは、空と周囲を覆い尽くす呪霊に全く臆することなく、尚且つスタミナもあるらしい。

「こよみちゃんは、意図的に呪霊の目を見ないようにしているんだね」
「あ……はい。小さな頃、何もわからず顔を見たら、飛びかかってきたので」
「その時はどう対処したの?」

こよみは少し考える素振りを見せた後、夏油の相貌を見上げた。

「覚えてません。……反射的に、腕を前に出したりしたと思うんですけど」
「そう。怪我はしなかった?」
「はい」
「何か、その動作の中で、その呪霊を祓うことができたということかな。悟、どう思う」
「あ?聞いてなかった」

全くお前は、と呆れた声で悪態をつきながら、夏油は進行方向に視線を向ける。
雪風神社に近づくにつれ、呪霊の数が増えていくのは確かだが、等級の高いものはほとんど見当たらない。
そこは地方の田舎だからか。明確な人間の悪意の絶対数が少ないのか、それとも観光地ならではか。
旅行は本来は楽しいもので、様々な土地の人間の往来があるとしても、幸いにも現時点ではこの土地にそれほど噴き溜まっているという感じではない。

「とにかく、やっぱりこの先の神社にある短刀が原因なんだろうね」
「あの、それって雪風神社に昔から奉納されているものなんですが……神聖なものじゃないんですか?呪いって悪いものなんじゃ」
「あー、そうか。そこから話さないといけないよね。別に短刀だから悪いってわけじゃない。そこに絡む人の思いのほうが、より重要なんだ」
「ま、その話は後にしようぜ。見えてきた」

時刻は夕方。
念のため、観光客がいないであろう時間を選んでこの場にやってきた。心底正解だったと、夏油は思う。

「おーおー、グロ注意って感じだな」

後頭部を掻きつつ、表情を僅かに歪めながら五条が言う。
こよみは目の前の光景にはっとして息を呑み、反射的に両手で口を押さえた。気を抜くと過呼吸を起こしそうだ。
雪風神社の木造の柱や壁に、蛆が湧くように呪霊が蔓延っている。トカゲのように壁や周辺の木を登るもの、浮かんでいるもの、地面を這うもの。
その中心には、四方を壁に囲まれた箱状の空間がある。

「あの中にあるのは、」
「短刀、徒花(あだばな)……ってわたしたちは呼んでいます。奉納刀、この土地の守り神……シンボルっていうか」
「ガイドブックの雪風神社の紹介文には、わざわざ載ってないよね」
「観光スポットなんてそんなもんじゃね?その徒花って、伝承とかあるわけ?」

呑気に構える五条と夏油が、こよみの顔を見下ろしていた。
こよみは周囲への警戒を解くことができないでいたが、同時に不思議な安心感も感じていた。
この人たちがいれば、自分は守ってもらえる。きっと安全だ。誰にも保障されていないのに、妙な確信があった。
ごくりと生唾を飲み込んだ後、こよみはゆっくりと記憶の糸を手繰り寄せ、口を開いた。

「雪風神社の徒花信仰とか、徒花伝説って呼ばれています。おとぎ話みたいなものなんですが……」

――何百年も前、この土地で疫病が流行し、村の人口の半分が亡くなったのだという。

この土地に住む人々は土地神様がお怒りなっているのだと騒ぎ立て、その怒りを鎮めるために、生贄を捧げることにした。
人柱となる人物は満場一致で、ある一人の男に決まった。
その男は村では有名な変わり者で、誰にも見えないものが見えると言った。
ある日、村で起こった奇怪な変死事件の後始末役に呼ばれた男は、凄惨な現場を見て、目玉が三つある化け物の仕業だと証言した。
この土地は神聖な雪風神社の神様に守られている。そんな化け物がいるはずがない。
出鱈目を言う男を悪人と決めつけ、村から追い出したかった村人たちにとって、都合良く降って湧いた“人柱”という免罪符。
男は新月の夜に、村人たちに拘束され、縄で手足を縛られて雪風神社の前に放り出された。
土地神様は男を見て驚き首を傾げた。『お前は村の若者か。どうしてそのような目に遭っている?』
男は答えた。『俺は確かに見たんだ、化け物が村の娘を襲って食っちまったところを。正直に話しただけなのにこの仕打ちだ。村の奴らが憎い』と。
土地神様は嘆いた。自らの力が及ばぬ邪悪な力が、村に忍び寄っている。化け物はその一つ目の事象に過ぎない。
疫病に至っては、もはや不運だ。自然がもたらす力に人は抗えない、それを知らない人間の無知と傲慢こそが最も愚かであり――それこそが化け物だ、と。

「土地神様は男を刀の姿に変え、村の次世代の守り神として、この雪風神社と共に在るようにと命じた。……っていうお話です」

しばしの沈黙が三人の間に落ちる。
作り話だとしても、なんとも気分の悪い伝承だと感じながら、夏油が口火を切った。

「なるほどね。化け物は村人を憎んだ男の怨念だったってわけか」
「でも、その土地神様とやらからしたら、村人の寄ってたかって一人の男を虐めてた姿のほうが化け物だったわけだろ」
「……助けずに刀にしちゃった土地神様も、わたしはちょっと怖いですけど」
「なんにせよ、あんまり気持ちのいい話じゃないな。そんなのを好き好んで見に来るの?ここのお客さんは」

夏油が眉間に皺を寄せながら、こよみの顔を見た。こよみはふるふると首を横に振る。

「……いいえ、この伝承はこの辺りの歴史に詳しい人くらいしか知らないと思います」
「そうなんだ。じゃあなんで?雪風神社、ご利益があるような話も聞かないわりには有名だよね」
「二年前に流行った映画で、雪風神社が出たんですよ。それで聖地みたいになって」
「はー。そういうこと。ま、とにかくこのままってわけにはいかねーよな」

五条がサングラス越しに、雪風神社に視線を向ける。うじゃうじゃと湧いて出る呪霊は、暗い森の中で異様な迫力を放っていた。
こよみは手で口を押さえて視線を地面に向けた。吐き気がする。そして、ふと先程自分が語り聞かせた伝承に思いを馳せる。
まるで、男が見た三つ目の化け物が、あの壁の向こうにいるような気がしたのだ。
我々人間からしたら異形、その恐ろしい容貌。いつかにこよみに飛びかかってきた生き物は化け物としか表現のしようがなかった。

「あの、呪霊っていうのは……お化けなんですか?」

がたがたと震える手を握り合わせながら、こよみは隣に立っていた夏油に一歩近付き、縋るように寄り添った。
夏油はこよみのすぐ横にしゃがみ込むと、穏やかな声音で話し始めた。

「呪い……呪霊っていうのはね、人の悪意や恐れの感情から生まれ、質量をもつまでに成長したものだ。放っておくと、人を襲う」
「人の、悪意……」
「こよみちゃん。呪霊が見える人は、あまりいないんだ。世の中の大多数の人は、呪霊が見えないし触れない。でも、奴らは人に危害を加える」

こよみは、目の前の異形の存在を見つめた。
あんなにはっきりと見えるのに、自分以外の人には見えない。

「そうなんですか。……よかった」

こよみの言葉に、夏油は内心で首を傾げた。この状況で、何がよかったのか。思い至らなかった。
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