聞き間違い | 09


――果たして悪いのはわたしの間なのか、運なのか。

自動販売機に飲み物を買いに来たこよみは、偶然にも、任務出発前の七海と顔を合わせた。
七海が常に着用している色の入った眼鏡は、呪霊に視線を悟らせないようにするための対策だと聞いたのは半年前のことだ。
七海は無表情がデフォルト装備。仕事柄も人柄も、周囲に愛想を振りまく必要がない人物だということは、こよみも理解している。
だが、視線から受ける印象は思いの外大きいようだと、こよみは顔を合わせながら直感していた。目元が見えない表情では、七海の威圧感は通常よりも大きく感じる。
最も、こよみの心情が勝手にそうさせている可能性もある。百鬼夜行の報を受けての不安感や、七海への身勝手な後ろめたさから。

「……おはようございます、七海さん」
「おはようございます」

こよみの小さな会釈に、七海もつられるように僅かに頭を前方に傾ける。
その声音はやはり、全くもっていつも通りだった。七海と相対する度、こよみは大人になり切れない自分が嫌になる。

「今日は寒いし、乾燥しますね」

こよみはそう言いながら、愛想を貼り付けたような笑顔で七海の相貌を見上げる。
その指先は、ホットレモンの下のボタンへと向かっていた。七海はそうですね、と当たり障りのない返答をする。

「あ、ごめんなさい。この自販機でしたか」
「いいえ、別にどれでも」

七海が動く気配がなかったので、順番待ちをしているのかと早合点したこよみは思わず謝罪を口にした。食い気味に否定され、苦笑を浮かべる。

「これから任務ですか?」
「はい」

今度はきちんと目線が交わり、こよみは内心で安堵していた。
そうですかでも、お気を付けてでも、あとはそういう言葉を続けてここを去ればいい。
七海が自分に用事があるとか、話したいことがあるとか、そういった可能性がこよみの頭には全く存在していなかった故の、独りよがりなシミュレーションだった。

「私は『百鬼夜行』で、京都での呪霊祓除を指示されています」

不意にこよみの横顔に掛けられた言葉は、間違いなく七海からこよみに向けて発されたものだった。
こよみは自販機の取り出し口に伸ばしかけた手を止めて、七海の顔を見上げた。
本人からしたら、自然な動作と表情のつもりだった。だが、七海はそうは感じなかった。

「…………、そんな表情するの、あなたくらいですよ」
「……えっ、え!?」

七海の声が、ひどく優しかった。
こよみは七海の反応も、滲んだ気遣いも、それに反して特に変化のない表情も、全てがちぐはぐに映り、大層動揺した。
いったい自分はどんな顔をしていたのだろうか。咄嗟に両手で頬を包みながら、こよみは素早く視線を真下に落とした。顔が熱い。

「……す、すみません。百鬼夜行のことを聞いてから、不安が……大きくて」

こよみは息を深く吸って吐いてから、そう言葉を続けた。気を取り直して、今度こそホットレモンのボトルを握りしめる。
無意識に浮かべた自分の表情はわからないが、自らの心情と七海の言葉から察するに、不安げだったのだろうとこよみは結論付けた。

「そうでしょうね」

七海の声音は、もう通常運転に戻っていた。一歩前に出て、自販機に小銭を投入している。
こよみは勝手に去るわけにもいかなくなり、七海の挙動を眺めながら、ボトルを何度も手の中で握り直していた。
冷えた指先がいくらか温まる感覚がある。七海は自身の購入した缶コーヒーを手に収めると、こよみを見た。

「心配していただいて、ありがとうございます」
「……いいえ。当たり前のことですし……」
「そんなことありません。一級術師は尊敬や信頼の念を寄せられることはあっても、心配されることなど、そうそうない」
「……わ、わたしが心配そうな表情だったってことですよね……。あの、七海さんが強いのは知ってます、とんだ失礼を……」
「それも理解していますよ」

さも当然のように七海が言う。
七海は聡明で、誠実だとこよみは知っている。事実に則して物事を判断し、気遣いをもって思考し言葉にする。
つまり彼の言葉は信頼に値する。理解しているという彼の言葉通り、間違いなくこよみの思いを、誤解なく受け止めていることは、こよみからしても明らかである。かなり照れるが。

「…………これから任務でしたよね。引き留めてごめんなさい。……行ってらっしゃい」

七海との以前と変わらぬ信頼関係を実感することは、嬉しい。それはこよみの紛れもない本音である。
だが、今までとは関係性が違う。行ってらっしゃいを言えることは幸せだ。そう思えるが、こよみの表情は晴れなかった。
七海は数度目を瞬かせたが、何か言葉を掛けるまでは至らず、「ええ、では」と返事をしてからこよみに背を向けた。

(ちゃんと言えた。……でも百鬼夜行の日は、言えるかな、行ってらっしゃいって)

七海の背中が見えなくなった頃、こよみは事務室までの道をゆっくりと引き返し始めた。
任務用のアプリで確認した限り、七海の今日の任務はそれほど危険度は高くないはず。見送る声が震えなくてよかったと、こよみは感じた。

呪術師は非術師を守るために命を張る存在だ。
この世界の人間の平和と安寧のために暗躍する。
そして補助監督は、その呪術師のサポートのために存在する。呪術師の役割遂行のため、つまりそれは、非術師を守るという目的も同一であるはずだ。そうでなくてはならない。
呪いに対抗する手段をもたない非術師を、呪術界の戦力で保護することは理にかなっているといえる、はずだ。

頭でわかっていても、気持ちがついていかない。
こよみはまっすぐに、真っ先に、七海の身を案じてしまった。
他のどんな事よりも、七海が危険な任務に向かうことが恐ろしい。

(わたしは……補助監督にも、向いてなかったのかなぁ…………)

誰にも言われていない反抗を、自責を、こよみは身勝手に心に唱えてしまう。
適性など、やる気があれば合格だと、五条に言ってもらった。
一級術師への心配という無意識の思い上がりを看破され、それでも七海には肯定された。

それで何が足りないというのだろう。
自分自身よりもすんなりと、周囲の優しい人々を肯定でき、尊敬でき、好きだと思える。それなのに、どうして悩む必要があるのだろうか。
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