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 物事には必ず始まりと終わりがあるように、一年という長いようで短い月日も今日で一旦終わりを迎え、日付を跨げばまた新しい年がやって来る。歳を重ねる毎に時間の流れも速くなるという言葉は本当らしい。思い出そうにも一月や二月の記憶なんてぼんやりどころか微塵も残っていない。多分家と職場を往復する、そんな毎日だったのだろう。そこだけ切り取るとあまり聞こえは良くないかもしれないが、生憎仕事は嫌いじゃなかったし、何より自分の淹れたコーヒーを求めて多くの人が店に足を運んでくれることが単純に嬉しくもあり、誇りでもあった。

 スーパーで買い物をしながら、ふとそんなことを思い返す。頼まれていた鍋の材料は全てカゴに入れたし、あとは適当に酒のつまみになるものでも買っていこうとスナック菓子や珍味コーナーを物色していると、携帯が短く振動した。

『もうすぐ着くか?』

 画面には一文だけ表示されていて、こちらも『あと10分ぐらいだ』と最低限の言葉で返す。男同士のメールなんてこんなものだ。再び携帯をポケットに戻し、目に入ったポテトチップスと柿の種をカゴに追加してからレジに向かうが、どの台もそこそこ長い列で埋まっており、

「よお、17分だったな」

 目的のマンションに着くと家主である錆兎は人懐っこい笑みで俺を出迎えた。口ではこう言っても本当は全く気にしていないことぐらい、長年の付き合いからしても御見通しである。このマンションに来るのは実に4ヶ月ぶりだった。数年前こそ今より頻繁に顔を合わせていたのだが、錆兎が晴れて小児科医という職業に就いてからは連絡を取り合う機会もうんと減ってしまう。だからといって疎遠になるわけではなく、連絡一つでこうして突如鍋をすることに決まったり、これまで通りの関係にすぐ戻ったりできるのは俺も錆兎も互いに良い友人だと認識し合っている証拠なのかもしれない。

「義勇、それ取って」
「それってなんだよ」
「ほら、そこにある白菜とかネギとか椎茸とか野菜全部」

 錆兎は昔からこういう奴だった。塾で偶然知り合った俺らは席が隣になったことをきっかけに仲良くなり、講習の合間に錆兎が繰り出す話はどれも取り留めのないものばかりだったのだが、勉強でガチガチになっていた頭にはかえってそれが心地よく、ある種の癒しのようにも思えた。

 しかし今求めているのは癒しでなくどちらかと言えば段取りの良さである。俺も錆兎もそこまで料理に精通しているわけではないので、完成した鍋は本当に不格好だったが、味はまあ……合格ラインといったところだろうか。そんな出来立ての鍋をつつきながら、錆兎が横目で俺を見ながら話を切り出す。

「義勇、最近なんかいいことでもあった?」
「いいこと?」

思い当たることは、ある。

「うん、例えば彼女ができたとか」
「……」
「……えっうそ、図星?」
「勘違いするな、まだ彼女ではない」
「まだ、かぁ……へえ。まだ、ねえ」

今のは語弊のある言い方をしてしまった自分も悪い。錆兎のじっとりした視線から逃げるようにしてビールをちびちびと流し込む。

「ねえ、その子の名前は?どこで知り合った?あ、芸能人で言ったら誰に似てる?」
「待て、質問が多すぎる」
「んーそうだな、まずは名前から聞かせてもらおうか」
「……苗字、だ」
「苗字さんね。じゃあ知り合った場所は?」
「……」

 どれも錆兎じゃなければ全部無視してる質問ばかりだ。しかしこいつにはこれからも苗字のことを話す機会もあるかもしれないという期待の意味も込めて、更にビールを一口飲んだ勢いでポツリポツリと話し始める。

 苗字は店の常連客で、一年以上前から知り合いではあったが距離が近付いてきたような気がするのはごく最近の話。更に数日前のクリスマスには二人で出掛けたということまで教えると、「へえ〜そこまでいい感じなら今日連れて来てくれたら良かったのに」ととんでもない発言が飛び出して思わず咳込んだ。

「ばっ……そんなの出来るわけないだろ、そもそも苗字はもう帰省してるんだし」
「だったら今から電話してみるってのは?」
「……電話?」
「せっかく年内最後の日なんだしさ、来年もよろしくって挨拶でもしたらいいじゃん」
「挨拶ならもう済ませた。それに電話なんか用事がある時の連絡手段だろうが」

 昨日の午前中、小さなキャリーバッグを持って現れた苗字は、いつも通りコーヒーを一杯飲み終えると飛行機の時間に遅れるからと急いで会計を済ませ、「皆さん来年もよろしくお願いします!」と言い残し、店を飛び出して行った。つまり、次に会ったり話が出来るのは年が明けてからということになる。

 それを踏まえると満更でも無い錆兎の発言が、鍋を食べ終わった後も脳内を反芻する。そして錆兎が風呂に入っている間、俺は遂に行動に出る。実際に掛けるかどうかは別として、携帯を手に取り、あとはボタン一つで苗字に電話ができるという段階まで事を運んでしまっていた。

 苗字も今頃、実家で年末ならではの歌番組を観たり、蕎麦でも食べたりしながら過ごしているのだろうか。地元は相当寒いと聞いているが、風邪なんか引いたりしていないだろうか。たった一日顔を合わせないだけで聞きたいことがフツフツと湧き出てくる。……黙ってたってどうせ考えることは一つなんだ、だったらこれはもう電話するしかない。そう腹を括って電話のマークに指をかけようとした時、コンマ何秒の差で画面が着信中に切り替わった。こんな時に誰だよ、と顔を顰めたが、相手の名前を見て驚きのあまり目を見開く。

「あっ、こんばんは。苗字です」

 名乗らなくてもわかっている、画面に表示されているのだから。というより何なんだこのタイミングの良さは。

「すいません、いきなり電話しちゃって。今大丈夫でしたか?」
「ちょうど一人の時だったし、大丈夫だ」
「良かった。本当はメールにしようと思ったんですけど電波が悪いのか全然送れなくて」

 用件までは分からなくとも、苗字も俺に連絡しようとしていた。その事実だけで胸にこみ上げてくる何かを感じてしまう。しかし、「冨岡さん、蟹ってお好きですか?」と唐突な質問に意識は強制的に蟹へと移される。なんでまた蟹?少し戸惑いながらも好きだと告げると、苗字の声は一層明るくなった。

「本当ですか!実は家に貰い物の蟹がいっぱいあるんですけど、食べ切れなくて困ってたところなんです。じゃ、冷凍して年明けにでもお店に持って行きますね」
「わかった、ありがとう。……そっちは寒いのか?」
「ふふ、東京に比べたらやっぱり寒いですよ。今だって気温は氷点下ですし」
「すごい世界だな」

 苗字は北国出身ということは知っていたが、俺自身一度も行ったことがない地域のため、氷点下と聞くと本当に異国のように感じてしまう。久しぶりの世間話に気持ちを弾ませていると、突然電話越しに『姉ちゃん誰と電話してんのー?』と声が割り込んでくる。苗字には弟がいるのか。そうぼんやり考えていると、

『もしかして彼氏〜?』
「!バカ、うるさい…!それじゃあ冨岡さん、そろそろ切りますね。長々と話しちゃってごめんなさい」
「謝らなくていい。……久しぶりに話せて楽しかった」

一瞬聞いてはいけない会話を耳にしてしまった気もするが、それに関しては何も言うまい。

「来年もよろしくお願いします」
「…うん、こちらこそ」

今年もあと二時間足らずで終わろうとしている。新しい年の訪れも楽しみにしていた俺だったが、ここで思わぬ壁が立ち塞がる。





◇ ◇ ◇





 それは年が明け、約束通り苗字が蟹を持って店にやって来た二日後のこと。この日、珍しく閉店間際に姿を現した苗字は何だか様子がおかしく、話をしていてもどこか上の空な感じがした。何かあったのかと聞いても、そんなことないと言われたらもうそれまでである。

 気になった俺は閉店作業を早めに終わらせ、苗字が帰るタイミングに合わせて自分も上がろうと考えたのだが、

「なあ苗字、この後よかったら一緒に──」
「!ご、ごめんなさい。私これからちょっと寄らないといけない場所がありまして」

 お代をテーブルに置くと、苗字は「ごちそうさまでした」と逃げるように店を後にする。ようやく崩れかけてきた壁が再構築された、そんな風にも思えるような態度に身体が固まってしまい、追いかけることすらできなかったことが今になって悔やまれる。

この日を境に、苗字は1ヶ月以上店に姿を現すことはなかった。
(2020/07/20)


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